小説『The Last Judgement―最後の審判―【完結】』
作者:亜薇(楽園喪失)

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<7>失墜美女


「ジャ……クリ……ン……!」
 腹に開いた穴を手で押さえ、膝を付く。炯士の顔には怒りと驚愕が表れていた。
 幸運にも急所は外れているが、傷口から流れる血は多く、倒れずにいるのが不思議な程である。
 ライフルの銃口を炯士に向けたまま、ジャクリンは顔色一つ変えず言い放った。
「炯士、あんたはここで死ぬの」
 冷たく無感情な言葉が静かに響く。
「……がっ……!」
 喉の奥から無機質な味が染み出してきて、炯士は反射的に口を覆った掌に血を吐いた。どこか内臓に弾を食らったらしい。
 痛みはさほど感じていない。ただ、度重なる受傷と激しい動きに体がついていかない。現に、彼にライフルを向けていたジャクリンの気配に全く気付かなかったではないか。
「悪く思わないでよ」
 ジャクリンの後ろから現れ、そう言ったのは倫子だった。
「だってこうでもしなきゃ、あんたは殺せないでしょう?  他の悪魔はみんな殺したから、邪魔は入らない」
 抑揚の無い声でそう言うと、倫子は無防備な炯士のこめかみ辺りに銃を当てる。
「ジェダの……命令ってか……?」
 唇を噛み締めながら、忌々しそうに言う。問うてはみたものの、他に理由は考えられない。この二人がジェダの命令なしにこんな行動に出るはずがない。
「そうよ」
 きっぱりと、ジャクリンが答えた。
「あんたは危険。このままでいたら私達の破滅にもなりかねない。だから、狩りの混乱に乗じて……とのことよ」
 ジェダが自分のことを危険視しており、煙たがっていることに炯士自身気付いてはいた。しかし、直接ジャクリンたちを使って殺そうとすることまでは予想していなかった。

「……それで、ご本人は出て来ることも……せずに……高みの見物、聖人ヅラ……か。まぁ……あいつらしいな」
 呼吸を荒げながらも、今なお不気味に笑う炯士の態度を見て、ジャクリンが怪訝そうに言う。
「何がおかしいの……?」
 それには答えず、炯士は俯いたまま乱れた呼吸を整えようとする。腹部の傷は血塗れの手で強く押さえているだけで、彼が膝立ちしている場所の床には小さな血溜まりが出来始めていた。
――あれだけの重傷で、まだ笑っていられるなんて……!
 ジャクリンも倫子も、初めて『敵』として前にした炯士を恐れていた。
「あんた、本当に……人間……?」
 倫子が我知らず漏らしてしまったのも当然のことだった。いくら悪魔狩りで体が強いとは言え、炯士は体が限界を越えれば死にゆく人間である。見たところ、既に失血死していてもおかしくない程の血が流れている。 
「おまえら……本当に……俺を殺すんだな?」
 炯士は下を向いたまま、確認するかのように尋ねた。
「本当に……俺を消すんだな?」
 その質問に、ジャクリンたちは顔を見合わせた。そして倫子が迷いなく、力強く答える。
「そう。私達はあんたを殺し、この世から消す」
 彼女が言うか言い終わらないかのうちに、炯士は顔を上げた。
「それなら、おまえらが死ね」
 ……有らん限りの殺意を込めた凄惨な嗤い。それは一瞬にして、彼らの間を流れる空間の時を止めた。
 十代の少年の表情とはとても思えぬ、鋭く恐ろしい獣のような顔。爛々と光る紅い瞳に、ジャクリンと倫子は飲まれてしまっていた。
 そして気付くと、先ほどまでの構図が逆転していた。
 全身に銃弾を受けて倒れる倫子とジャクリンに、両手に銃を携えて見下す、炯士。片手にはジャクリンのライフル、片手にはワルサー。ワルサーの方は途中で弾が切れたため、二人を貫いた弾のほとんどはライフルの弾だ。
 突然立ち上がり、女二人を倒した炯士は、倫子の落とした拳銃を遠くに蹴ってジャクリンのライフルを構えた。
 二人は起き上がる間もなく、上方から撃ちまくられた、というわけだ。
 余りに短い時間に起きたことで、床にうずくまるジャクリン達は、まだ何が起こったのか良く理解できていなかった。
 炯士は銃を捨てると、虫の息の二人にしゃがんで顔を近づける。
「……あーあ。こんだけ撃たれちゃあもう立ち上がれねぇな」
 血だらけになった倫子の右手を乱暴に掴むと、にっこりと笑ってみせる。それまでとは打って変わって、それはそれは楽しそうに。
「うっ!」
 べりべりべり、という聴き慣れぬ音がする。炯士が倫子の右の親指の、生爪を剥がしたのだ。倫子の顔は痛みに歪み、指先の肉は惨たらしく露出する。
「あ!わりィ。ついキレちゃって」
 二人は急所を全て外され撃たれていた。それでも傷が多く逃げることもできず、やがて出血多量で死に至るのは目に見えていた。
 炯士はジャクリンの長い髪を右手で掴み、顔を無理矢理上げさせる。気道を負傷したのか不自然な呼吸音を立てており、声を出すことはおろか、息を吸うこともままならないようだ。
「ごめんな、痛い?  苦しいよなァ。ジャクリンの綺麗な肢体こんなにボロボロにしちまって」
 まるで哀れむような目で見つめながら、彼はジャクリンの唇に口付けた。ベッドの上で何度もそうしたように、彼女の口内を舌で蹂躙する。さらに、自分の唇に付いていた自分の血と、ジャクリンの側に溜まっていた彼女の血を舐め取って飲み下した。
 抵抗する力もなく、炯士の舌を噛みきる力すらない。しばらくして漸く解放されると、ジャクリンは残された僅かな力とありったけの軽蔑でもって彼を睨みつけた。
「あんた……は……あんたは、狂ってる……!!」
 後ろから、息絶え絶えの倫子の声がした。ジャクリンとは違い、なんとか声は出せるようだ。
「この……悪魔! ……あんたこそ本物の悪魔だ!呪われるがいい!」
――死ね、炯士! 今すぐ死ね!
 何を思ったのか、炯士は倫子の言葉に一瞬身体を硬直させた。しかしまた直ぐに嗤笑を浮かべてジャクリンを放し、倫子のもう片方の親指の、爪を剥がした。
「黙れよ、バカ女が」
 既に感覚すら麻痺し、声にならない痛みに耐えている倫子の顎を持つと、炯士は嘲りたっぷりに話し始めた。
「おまえさ……アホみたいにジェダの言いなりになってるけど、ルークを殺したのはジェダだって分かってるのか?」
 思いがけない発言に、倫子は目を丸くする。
「ルークはジェダのやり方に否定的だった……違うか?」
 わざとらしく尋ねてはみるものの、炯士の言葉は確信に満ちている。
「ジェダには最初っから、ルークが悪魔に殺されることが『視』えてたんだよ。止めることもできたのに止めなかった……当たり前だよなァ?  邪魔に思ってたんだから」
 倫子は炯士の期待通り、首を左右に振って否定する。 
「……う……ウソよ……」
 ルークがジェダに賛同していなかったのは事実だ。だがジェダは、彼が死んだ後止められなかった自分が情けないと悔やみ、倫子を大事に労わってくれた。そのジェダ本人が、始めから仕組んでいたことだったとは信じ難かった。
「だいたい……あんたどこか……ら……そ……んな……?」
 炯士が悪魔狩りとして仲間に加わったのは、ルークが死んだ後だ。それなのに、倫子が知らないことを事実であるかのように炯士が話すのは、何故なのだろうか。
「……霧都だよ」
 反応を示せば炯士の思う壺だと分かっていながら、驚きを隠し切れない倫子。
「そんな、ばかなこと……」
――嘘だ。
  たとえジェダの真意について炯士の言うことが正しかったとしても、霧都が真実を言わなかったなんて。
「くっ……くっ……! おまえ、霧都はそんなにお人好しじゃないぞ?  霧都はなァ、ジェダの命令で、ルークが死ぬのを待ってから悪魔を殺したんだよ!」
 倫子は、ジャクリンを見た。彼女も倫子の目を見たが、何も応えない。話せないのは仕方なかったが、何の反応すら返さず答える気が無いようだ。やがて倫子から目を逸らし、うなだれる。
「ジャクリン、そうなんだろ?  ジェダも霧都もそういう奴らだよな?  正にジェダなんか……こうしておまえらで俺を殺させようとしたもんなァ! ハハハハハッ!!」
 炯士の高笑いが轟く。信じられないという倫子の顔を見て、大層愉快そうに……満足そうに笑っている。
――こいつの言う通り、ジェダはそういう男よ。
 ジャクリンは心の中で、倫子に向かって呟いた。
 最近は離れていることが多かったとはいえ、悪魔狩りの中ではジェダに近い所に最も長くいたのはジャクリンだった。
 ルークが死んだ時、ジェダの本意は見抜いていたが、霧都がジェダの命令で一役買ったかどうかはジャクリンの知るところではない。だが永遠に叶わなくなった倫子の霧都への想いを、今自分が何も答えないことで少しでも断ち切れるなら、その方が倫子にとっても良いと思ったのだ。
――私を弄んだ挙句醜い女にして、高みから嘲笑っている……それでも、結局私はジェダに逆らえなかったの。
『あ……い……し……て……たか……ら……』
 倫子は、ジャクリンが瞳を閉じて動かなくなったのを見ると一筋の涙を流した。そして全てを諦めてしまったように自らも瞼を閉じ、ゆっくりと意識を手放していく。
 彼女は先に逝った愛しい人と、次に想いを寄せた霧都の姿を思い浮かべ、痛みと苦しみを少しでも和らげようとしていた。
 笑うことを止めた炯士は、仲間であった二人の最期を静かに見届けながら独言する。
「……さっき殺したヤツで……7人、ジャクリンと倫子で9人だから……あと3人か? ……いや、他の悪魔は皆殺したとか抜かしてやがったから、あとは……」
 傷を手で塞ぎ、ぶつぶつ言いながら弾の切れたライフルを投げ出す。
「ジェダと……霧都か」


>>次回「裁きの時」

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