小説『ハルケギニアの青い星』
作者:もぐたろう()

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

 あのオーク鬼の討伐から1年が経ち、僕は10歳になった。オーク鬼を倒したあの時から魔法の威力が急に強くなったので、アデル先生の協力を得て調べてみると僕はトライングルメイジになっていた。アデル先生の話では、戦いの中などで追い詰められ、精神が高揚すると急にメイジとしてのレベルが上がることがあるらしい。そんな僕の成長を聞いて、フランも早くトライアングルメイジになると息巻いている。お前が規格外なのは知っているけど、そうやすやすと差を付けられてたまるかと笑っていた。

 オーク鬼を倒すのに使った『サンダークラウド』は、僕の持つ現代の知識と魔法を融合させたせいか、想像以上の威力に仕上がっている。多分、トライアングルスペルだと思うのだが、どう考えても威力はスクウェアクラスと同等かそれ以上。アデル先生に頼まれて、先生が作ってくれたゴレームをふき飛ばして呪文を披露したときは先生も目を点にしていた。父も父で、「お前のことだから諦めているよ」と良く分からない微妙な笑いを返してくれた。
 充電時間を変えれば威力の調節が可能で、練習のおかげで以前よりもチャージまでの時間は早くなったし、コントロールも良くなった。対人戦ではスタンガンレベルに威力を抑えているが、これならチャージまでほとんど時間がかからない。

(それにしても、雷に打たれて死んだのに雷の魔法を使っているなんて、なんとも皮肉だよなぁ)

 そんなどうしようもないことを考えると、僕は思わず苦笑いをこぼした。










 ある日、僕とフランは父上に呼び出され、父の執務室を訪れていた。僕とフランに話があるようだった。

「よく来たな、二人とも」

 父上が嬉しそうに出迎えて、僕らに席を勧める。

「はい」

「シリウスの提案で始めた堆肥だが、検証を終え、去年から領内で広く使い始めたところ思ったよりも効果を上げているようだぞ?もうすぐ収穫に入るようだが、どの村からも年々すすんでいた作物の出来具合の悪化に歯止めがかかったようだと報告が上がっている」

「領民や父上の役に立てて、嬉しく思います」

「それで父上、今日は一体どういったご用件でしょうか?」

 僕の隣に座っているフランが父の言葉を促す。

「うむ。実は、二人に頼みたいことがあって呼んだのだ」

「一体どういった内容でしょうか?」

「なに、今後二人には私が行う領内の政務の手伝いを頼みたいのだ」

「「なっ!?」」

 正直驚いた。まだ、10歳の少年に政務の手伝いをして欲しいと頼んでくるとは夢にも思っていなかったからだ。確かに、フランならわかる。彼は次期のヴィルトール家の当主となるのだから若いうちから経験を積ませようということだろう。では、僕は?

「父上、シリウスなら分かりますが、なぜ私まで?」

「いえ、父上。跡継ぎのフランだけなら分かりますが、なぜ私までお手伝いを?」

 フランの言葉に、逆だろうと突っ込みながら僕は父上に質問を投げかけていた。父は僕たち二人の反応を見て、どこか楽しそうに口を緩ませると次の言葉をつむぎ出す。

「フランよ、シリウスの言う通り今から領主の政務について知っておくことはお前の将来にとって有益だろう」

 フランは確かにそういうことなら分かるという顔で得心がいったような顔で頷く。

「それになシリウス、お前にとってもいい経験となろう。ここでの経験はきっとお前の将来にとって無駄にはならない。お前が将来どのような人物になるかはまだ分からないが、父親としてお前には様々な経験をしてほしいと考えておるのだ」

 僕たちはお互いに顔を見合わせて軽く笑うと、父に向き直った。僕は父親の優しい心遣いを嬉しく思っていた。

「非才の身なれど、父上のお役に立てるようお勤め、果たさせていただきます」

「シリウスの邪魔はしないように精一杯、頑張りたいと思います」

「ふふふ、期待しているぞ。それから、フランはもう少しやる気を出しなさい。それでは、私から政務の簡単な説明をおこなうとしよう」

 父の話によると、領主の仕事は大きく税の徴収と領内の治安維持に分かれる。前者は農税と商税の一般的な税率を決定し、実際に徴税官が派遣されて農民の収穫高や領内で商いをする商人の売上などを「調査」し、具体的な税額を「決定」、「徴収」するというプロセスを経る。後者は領軍を編成・維持し、定期的にまたは領民の求めに応じて野盗やこの前のような亜人の討伐にあたる。
 他にも、領内の街道の整備を始めとする公共事業の実施や領内の法律である布告の制定・公布、他の領地からの貴族の歓待などその内容は多岐にわたるようだ。また、領内の裁判権は父に存するため領内での犯罪や紛争の処遇も父が決めることになる。

 現代では三権分立の思想の下、立法・行政・司法の三権が分離され、互いの均衡を図られるがこのような思想やその前提となる自然権思想が定着するのは近代以降であった。中世の封建的社会制度の下では王や領主たる貴族に三権が全て帰属するのが一般的であったし、それはここハルケギニアでも例外ではないようだ。
 貴族が絶対的な権限を持っているため、彼らに市民の生活が虐げられるという事例はここトリステイン王国を始めとするハルケギニア全体で後を絶たない。不当な税金をとったり、村の美人を連れては夜伽にしたり、それこそ枚挙に暇がない。社会の成熟の一過程として貴族への権力の集中は必然と言えるが、異世界でそれをまざまざと体験した僕は現代人として少し気落ちしたのを思い出していた。

 また、政務の具体的な最終決定権は領主である父にあるが、個別の案件は父の直属の家臣たちに裁量が与えられている。家臣たちには個別に別室が与えられ、財務、農業、商業、法務、渉外などの部署に分かれ、それぞれが専門的に仕事をおこなっている。
 行政権とは国権のうち立法権と司法権以外のすべてを指すと消極的に定義されるように、その内容は極めて多岐にわたる。そのため、それぞれの行政作用に応じて区分された担当部署に裁量を与え、事案を処理させた方がはるかに効率がいいのだ。現代日本の総理大臣を頂点とする縦割りの行政組織を思い出し、意外と先進的なヴィルトール家の行政組織に僕は内心で深く感心していた。
 領軍については父上が最高指揮官であり、普段は総隊長に兵の管理や訓練を一任している。これは上記の行政組織からは分離していて、独立の組織を形成している。戦時に際しては、この領軍に加えて領民から兵を徴兵し、諸侯軍として国に従軍することになる。

 また、家臣だけで処理が困難な大きな案件については、父上を長とする政務会議に上げられる。そこで他の部署の家臣たちも交えて議論がなされ、その議論の帰趨を見て父上が最終的な判断を行なうことになっている。逆に、父上だけでは判断に困る案件が父から会議に持ち込まれることもある。そして、担当部署の家臣の意見を聞きつつ、議論を経て、父上によって最終的な判断がなされる。これは現代で言うところの内閣組織に近いものだろう。
 僕たちは、独立した父上直属の補佐官として同会議への参加も命じられた。普段は父上の補佐官として、父の言葉に応じて助言をおこない、気づいたことがあれば父に報告するように頼まれた。要は相談役という名の、付き人だ。子供に政務への本格的な参加は通常困難であるから、父上の仕事につき合わせて政務の様子を見学させようという魂胆だろう。










 そこで、僕たちは小さいことから始めようと考え、父に与えられた作業部屋に父から借りて持ってきた領地の資料を使って、ヴィルトール領内の状況の把握から始めた。
 ここヴィルトール領の面積は7,500アルパン(1アルパン=1/3k?)ほどの琵琶湖約4個分の大きさで、トリステインの中では比較的大きい。伯爵領にもかかわらずこのような大きさを誇るのは、この地域が雄大な穀倉地帯であり、トリステインの食料供給の要の一つとして期待されているからと予想している。領内には50ほどの村落が点在しており、その多くの村で農業が営まれている。領内の人口は15,000人ほどで、税収は年間約60万エキューだがこのうち3分の1は国に献上する必要がある。
 エキューとはこの国の通貨の単位の一つで1エキューは金貨1枚を意味する。4人家族の平民の家庭の年収がおよそ300〜500エキュー程度なので現代の感覚だとだいたい1エキュー=1万円くらいだろう。

 領内の状況の把握を終えて一休みしようとした頃、僕らの部屋に突然、訪問者が現れた。

「失礼しますよ」

「ネスティア様!?」「母上!?」

「フランもいたのね。ところで、シリウス。あなた、以前に私が言ったことを覚えていますか?」

(おそらく、父に領村内の衛生環境の改善と堆肥の活用を進言したときのことを言っているんだろうな…)

「母上、これは父上に頼まれてやっていることです」

 フランがそう言って僕を援護した。

「フラン、あなたは口をはさまないで!シリウス、別に断ることもできたのではないかしら?なぜ引き受けたの?」

「父上からは可能な限り多くの経験を積むべきだとの言葉をちょうだいし、私自身も父上の言葉のように多くの経験を積むことが私にとっても益のあることだと考えましたので」

「本当かしら?何か良からぬことでも考えているのではないのでは?」

 ネスティア様は邪推し、僕にお前なんか信用ならないという侮蔑の目を向ける。

「…そんなことはありません」

「妾の子の言葉なんて信用ならないわ」










「いい加減にして下さい!!」

 静かにしていたフランが大声をあげて僕らのやりとりを遮った。

「母上、あなたが私のことを心配してくれていることはわかっています。そのような心遣い自体は子供に対する愛情として嬉しくも思っています。ですが、これ以上シリウスのことをそのような蔑(さげす)む目で見て、責め立てるのはやめて下さい」

「フラン…」

「確かに、シリウスは何でも飛びぬけて優秀です。私自身、彼の存在に何度も挫折しました。正直、彼にはどんな努力しても勝てないと覚悟しています」

「だからこそこうして!!」

 ネスティア様はそういって意気込む。

「ですが、どんなに優秀でも、シリウスは私を見下したりせず、対等に扱ってくれます。だからこそ、私は彼の隣に並び立とうと努力し、彼には及ばずとも多くのものを身につけてきました。そんな私にとって、シリウスは私の大切な兄弟であり、私の見習うべき好敵手なのです。いくら母上でも、これ以上私の大切な兄を卑下するというのであれば私はあなたを許しません」

「…」

「今までは、母上が私を思いやってのことなので、母上の言葉を聞き流すに留め、強くは反論できませんでした。しかし、いい加減おやめ下さい。これ以上は私も聞くことは耐えられませんし、このような行いはこのヴィルトール領の領主の妻としての品位を汚すものです」

 フランはそう言ってネスティアを睨みつけた。そして、さらに言葉を続ける。

「こいつはこんなに優秀なくせに、他人のために平気ですべてを投げ打ってしまうようなどうしようもないお人よしです。母上も彼のことをもっと良く見てください。母上の思ったような人物であれば、私やナタリア、使用人にこんなに好かれたりしませんよ」

 ネスティア様が言葉を詰まらせていると、再びドアが開く音がした。そこにはナタリアの姿があった。

「…ナタリア」

「すいません。お兄様たちに会いに来たのですが、話が聞こえてしまいました」

「そうですか…」

 恥ずかしいところを見られたと、ネスティア様が肩を落とす。そんなネスティア様にナタリアからも言葉がかけられる。

「お母様、シリウスお兄様のこと認めてあげていただけませんか?お兄様はお母様から何を言われても、絶対に私に嫌がらせなどをせずに良くしてくれました。幼い頃には私もお兄様にはたくさんわがままを言ってしまいましたが、いつも少し困った顔で笑いながら私のわがままを聞いてくれました。フランお兄様の言う通り、シリウスお兄様は本当にお優しい方なんです。まぁ、誰にでも優しいのが少し心配ではありますが…」

 ナタリアはそういうとなぜか少し落ち込んでいた。

「ナタリアまで…」

 ネスティアは二人の言葉をどうしていいか分からず、うな垂れている。そこで、僕は彼女の前で跪き、言葉をかける。

「ネスティア様。私は大切な人を助けられる力が欲しい…ただ、それだけなんです。学問を学び、魔法を磨いてきたのはいつか訪れるかもしれない大切な人の危機に備えてのことです。こうして父上の仕事を手伝おうと思ったのも、いつの日か領主になったフランが困ったときに私が彼の支えになれたらと考えたからに過ぎません」

「それであなたはいいの?」

「構いません。大切な人が笑っていてくれるなら、私にとってこれ以上の幸せはありませんから」

 ネスティアはシリウスの言葉を聞くと、思い出すように喋り始めた。

「私は男爵家の娘でした。幼少の頃より父から貴族の娘としての立ち振る舞いについて厳しい教育を受けてきました。より地位の高い貴族に嫁ぎ、息子を領主とするのだと父からは何度も聞かされたものです」

「ネスティア様…」

「縁あって、私はヴィルトール伯爵と結婚することになりました。しかし、なかなか子を授かることができませんでした。ようやく待望の男の子を産んだと思えばミネルバの子が先に生まれていました。そして、その子は神童と呼ばれて何の差支えのない優秀な男の子でした。私はいつも焦っていたのでしょうね。私がここに嫁いでしばらくして父は病気で亡くなりましましたが、いつも私の脳裏からは父の姿が離れなかったのです」

(この人は昔の僕と同じだ。父親から生き方を強制され、縛られて生きてきた。この人もきっと苦しかったんだろうな)

「お話いただけて嬉しく思います。私は大切な人の力になりたいと申し上げましたが、それはネスティア様とて例外ではありません」

「しかし、私はあなたに散々ひどいことを…」

「ネスティア様もきっと苦しんでいたのでしょう。それに『家族』を助けるのになんの理由が必要でしょうか?私がお役に立てることがあれば、何でも申し付けて下さい。非才の身ではありますが、できる限りのことをさせていただくつもりです」

「あなたは、私を家族と思ってくれるのですか?…フランやナタリアの言う通り、あなたは本当にお優しいのですね」

 彼女は僕に向かって頭をふかぶかと下げ、謝罪の言葉を述べた。彼女のきれいな長い銀髪の合間から見えた目元には光るものが見える。

「今までのあなたへの仕打ち、本当に申し訳ありませんでした。到底許されることではありませんが…」

「気にしたことはありません。ネスティア様の焦る気持ちを子供ながらに理解はしていましたから。きっと、私の母上も同じ気持ちだと思いますよ」

「ふふ、あなたには勝てませんね。私が言うのは図々しいとは思いますが、どうかこれからもフランやナタリアと仲良くしてあげて下さいね?」

「もちろんです。僕の大切な弟と妹ですから」

「ふふ、そうでしたね」

 彼女はつきものが落ちたような清々しい笑顔を浮かべて笑っていた。シリウスは彼女のそんな心からの笑顔を初めて見た気がした。

-11-
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える




ゼロの使い魔 (MF文庫J)
新品 \609
中古 \1
(参考価格:\609)