小説『ハルケギニアの青い星』
作者:もぐたろう()

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 ネスティアが部屋を去った後、部屋の空気はすっかり緩み、三人で談笑していた。

「それにしても、本当にシリウスはお人よしだよな。自分の母親をこういうのも何だけど、もう少し怒ってもいいと思うぞ?母上がお前にことあるごとに突っ掛かっているのは知ってたし、普段は目も合わせようとすらしてなかったらな」

「昔は思うところもあったけど、ネスティア様の立場も理解できたから。誰だって、僕を見れば不安に思うのは仕方ないよ。それに、フランやナタリアの母親なんだから、嫌いにはなれないし」

「シリウスお兄ちゃんは優しすぎなのよ。ああ、将来が心配…」

「何が心配なの?」

「お前は分からなくていいよ。まったくナタリアも苦労するよな」

 疑問だらけの僕をおいてけぼりにして、ナタリアはため息をつく。そんな二人のやりとりを見て、フランはやれやれと肩をすくませていた。
 その後、僕らは領内の状況を把握するために父から預かった資料を読みこむ作業に戻った。ナタリアも手伝いたいということなので、三人で資料とにらめっこをしている。

「それにしても、地味だなぁ。もっと、こう驚くようなアイディアはないのかな?」

「何かアイディアを閃くにしても、現状の確認は必須だよ。領地の状況がわからないのに対策なんかとりようがないからね」

 領内の地理や財政状況の確認を終えた僕らは今度は歳入、つまりこの領内の税収の内容の確認に入っていた。

(それにしても、これはちょっとわかりにくいな…)

 父から渡された資料を見ると、一枚の羊皮紙に村の名前、年度、収穫量、納税額、特記事項、徴税官などの徴税に際して必要な情報がまとめてある。そして、これが村の数だけ集められて、年度ごとに一まとめにしてある。これは徴税官たちが村に赴き、必要な事項を調査、記録した羊皮紙を報告後にまとめただけの状態になっているからだろう。
 しかも、まとめているだけで羊皮紙の順番さえバラバラで、毎年こうして記録はつけているもののあまりこれが見直されることはないようだ。多分、全体の税収がどれだけ増えたか減ったかにしか目が行っていないのだろう。これでは、村ごとの毎年の収穫量や税額の推移を確認するためには、まずその村の情報が記載されている羊皮紙を全て探し出して来なければならない。他の村と比較しようにもまた一苦労である。

「これじゃあ、村ごとの納税額の年度ごとの推移を確認するのもままならないよ。まずは、情報を整理して各村の年度ごとの収穫量、納税額をまとめた一覧表を作っていこうか?」

「まぁ、この資料じゃ読む気にもならない」

 フランは目の前に詰まれた膨大な数の羊皮紙を見て辟易して言った。

「資料を分かりやすくすることで分かる事実もあると思うんだ。例えば、汚職なんかは村から徴税官が対価を得る代わりに、実際の収穫量よりも少なく報告することで納税額を減らすという形でおこなわれると予想できるよね?」

「そうですね」

「でも、これらの情報を整理して表にしてしまえば、簡単に前年までの情報と比較ができるから急に収穫量が少なくなったりしたらすぐにわかるでしょ?」

「確かに!」

 フランは得心がいったという面持ちで相づちをうっていた。

「もちろん単に不作なだけの場合もある。でも、これをやるだけで格段に汚職はしにくくなるよ。賄賂が露見する可能性が格段に高くなるわけだから」

「ふむふむ」

「加えて、村ごとの農地面積をきちんと検地しておくことも大切だと思う。これをやっておけば同じくらいの農地面積の村と比較して、一方の村だけが妙に収穫量が少なかったりしたら不自然なのがすぐにわかるでしょ?」

「そうすれば、汚職はさらにやりにくくなるな。だけど、農地は毎年増えるから毎年調査しなければいけないけど、収穫量を少なく申告するような徴税官は農地面積も少なく報告するんじゃないか?」

 フランの鋭い疑問に僕は嬉しくなって、頷いた。

「そうだね。だから徴税官と検地官は別の人を任命する。確かに、人件費は高くなるけど汚職の防止には必要な費用だと思うから」

 フランとナタリアがなるほどという視線を僕に向けてくる。

「他にも村や徴税官、検地官がお互いに協力して汚職を行なうような環境ができないように定期的に徴税官と検地官の入れ替えや配置転換を行ったりするのも効果的かもしれないね」

「これで完璧かな?」

「他にも、徴税官が賄賂を払わなければ収穫量を多く報告すると脅す場合も考えられるけどこれはどうかな?」

「そのような行為については罰則を設けたらどうでしょうか?」

 ナタリアが自信なさげに聞いてくる。

「きっと、それはもうやっていると思う。それでもバレないと思うから脅迫するんだ。だから、父上に村民の声が良く届くように抜き打ちで査察官を派遣したりするなどするのが効果的なんじゃないかな?」

「バレたら父上に何されるかわからないからなぁ」

 父上は怒ると恐いんだよなぁという顔でそんなことを言うフランをみて僕は苦笑いをして、内心で同意しておいた。

「なんだか人を疑ってばかりですね…」

「仕方ないよ、権限あるところに汚職はつき物だから。個人の倫理観に頼って、その人の不正を糾弾しているだけでは汚職は防止できない。汚職や犯罪の発生は構造的、組織的な問題であることを認識しないといけない。性悪説的な思考に立ち、汚職を困難にする組織・仕組みを作り上げることが大切なんだと思うよ」

 シリウスは生前、病院でなされる数多くの賄賂や汚職を見てきた。だからこそ、そういう不正を防止するための組織作りというものを意識せずにはいられなかった。










 フランとシリウスは今のやりとりを父に報告しにいった。

「なるほど。汚職などは税収を減らすばかりか、高すぎる賄賂は村を疲弊させるので頭の痛い問題なのだ。今までは賄賂の事実が見つかればその場で処罰してきたが、これを事前に防止することができるならこれ以上のことはない。わかった、家臣とも検討した上でそのように取り計らうよう連絡しよう」

「ありがとうございます。私たちは、さきほど申し上げたように資料の整理に入ります」

「わかった。人手が必要ならいつでも言いなさい」

「わかりました」

 その後、3日ほどかけて過去20年の収穫量・納税額などをまとめた一覧表を作り上げた。整理されていない資料を分別し、内容を確認してから他の羊皮紙に一つずつまとめていくという作業は正直骨が折れた。

「やっと、終わったぁ」

 フランも疲れたとばかりに両手を上げ、体を伸ばしながらそう呟いた。

「さすがにね。ナタリアも手伝ってくれてありがとうね?」

「お役に立てて嬉しいです」

 ナタリアがそういって嬉しそうに笑う。それから僕たちは早速、整理した資料の分析に入った。

「うーん、この辺はあきらかにおかしいね?この年からこの村だけ急に収穫量が落ちている。この年は特に不作ということもないはずなのに。あっ、この辺りもだ!」

「この辺もおかしいぞ。やっぱり汚職はあるんだなぁ」

 そんな、フランの嘆きを聞いて、僕も人の世はどこであっても変わらないんだなと、苦笑いをこぼしていた。










「次は農法の改善に着手したいと思う」

 資料の分析を終えて、僕は神妙な顔で二人に言い放った。

「お前の発案した堆肥のおかげでなんとかなったんじゃないのか?」

「確かに、収穫量は増えつつあるけどそれだけだよ。今後、食糧生産が増えれば絶対的に堆肥は足りないし、不作だって当然に生じる可能性はある。もっと、根本的な問題を改善しようと思う」

「根本的な問題?」

「うん。まず、小麦ばかり植えていると作物を育てるために必要な大地の恵みが土地から失われていき、収穫量が減っていってしまうのはいいよね?」

「そういえば、そんなことを言ってたな」

 フランは思い出すように僕の言葉に同意をしていた。

「失われる恵みは作物の種類によっても違うから、畑を分けて複数の作物を順番に育ててより効率的に土地の疲弊を防止するんだ。具体的には農地を4つに分割して、小麦、じゃがいも、大麦、クローバーの順にローテーションさせる。じゃがいもはカブなんかでも構わない」

 シリウスは前世に世界史の勉強で学習した、中世ヨーロッパで農業革命を起こすきっかけの一つとなった輪栽式農業を提案することにした。

(この世界には輪作の概念もないからね。土地柄もヨーロッパに近いから最適だろう)

「複数の作物を育てるのはいいけど、なんでクローバー?」

 フランは、そんな食べられないもの育てても仕方ないだろうという顔でこちらを見ていた。確かに、その疑問はもっともだよね。

「クローバーを育てて、そこに家畜を放牧するんだ。この領地では豚も育てているからね。豚たちの糞が大地に恵みを与えてくれるから土地の力を回復させられるんだ」

「なるほど、じゃあジャガイモやカブは何のために育てるんだ?」

「まず、当然食料になる。これらは痩せた土地でも育てやすいし、じゃがいもは小麦よりも収穫量がずっと多い。それに、長期保存も可能だから冬場の貴重な食料になる。そして、これが大切なんだけど、冬場に家畜の餌にするんだ」

「なんで家畜に?草でいいんじゃないか?冬はただでさえ食べ物に困るんだから」

「もっと南の地域ならまだしも、このあたりの冬場は厳しいから家畜を養うための牧草が手に入らないでしょ?だから、冬を前に放牧してある家畜は干し肉やベーコンなんかの保存食にしてしまう。しかし、豚を冬場にも飼育できれば貴重な冬場の食料になるんだ」

「確かに、冬にもたくさんの新鮮な肉を食べられるのは嬉しいな」

 そんな子供らしいフランの感想を聞いて、僕は微笑ましくなった。

「そして、一番大きいのは休耕期を作って畑を休ませる必要がないこと。今は2、3年に1度、畑を休ませないと畑が痩せていくから、休耕期をはさむ。だけど、この方法ならこれがいらない。畑を無駄なく活用し、食物の幅を広げることが出来るんだ。冬も安定的に食料を供給できるから飢餓のリスクも減らすことができる。麦なんかの穀物の収穫量は多少減ると思うけど、全体的な食糧生産はかなり増やせるはずだよ」

「いいとこばかりじゃないか。しかも、飢餓がなくなるのはいいことだな」

「それに、家畜の数を増やせるから輸出もできる。人糞から作った堆肥は余ったら売ってしまっても良いかもしれない」

「そんなもの売っていいんだろうか?」

 フランは少し変な顔をしていた。

「効果はあるからね。土地が痩せて困っている人たちは欲しがるんじゃないかな?じゃあ、早速父上に提案するための文書を作ろう」

 シリウスはせっかくなのでフランに文書を作らせた。先ほどの説明の中の疑問に答えながら、報告書の作成についても助言をおこなう。以前、父に提出したようなレポート形式の文書の作り方を教えるいい機会と考えたからだ。

(やっぱり、フランは優秀だな。僕はズルしているから別として、彼の物分りの良さは天性の物だ。こんな僕でも仲良くしてくれるような素直な彼だから、知識の吸収も早いのかもしれない)










 二人は羊皮紙に考えをまとめると、執務室にいる父のところにこの農法の提案に向かった。

「資料の整理が終わったことの報告だけと思いきや、また面白いことを提案してきたな」

 父上は楽しそうに話している。

「申し訳ありません」

「いや、責めているわけではないのだ。しかし、一体どうすればこんな方法を思いつくと言うのだ?」

「書庫で得た知識はもちろんですが、農法の改善については日頃から考えていました。ですので、これは今さっき考え付いたようなものではありません」

「以前から考えていたのか…それはなぜだ?」

 父はそういって興味深そうな目でこちらをうかがっている。

「まず、飢餓に苦しむ人を救いたいという単純な気持ちがあります。また、何よりこの農法によって口減らしなどをする必要がなくなるでしょう。そして、飢餓に苦しむ難民が領地の外から食料をもとめて流れ込むことにもなります。結果として、この領地の人口が増えることになるでしょう」

「確かにそうなればより広い農地を開拓できるから、領地の税収が増えるな」

 父上は、ふむと言って口元の髭をいじる。

「それもありますが。人口が増加すれば新しい産業の可能性も見えて来るでしょう。例えば、ゲルマニアで盛んな製鉄業のように農業以外の産業に労力を注ぐことが出来るようになります」

「ほう」

「トリステインはガリアとゲルマニアに挟まれた小国です。今は平和な状態を保っていますが、いつこれが崩れるかわかりません。あまりにトリステインは他の二国と比較して、国土も国力も小さいからです。また、海の向こうにあるアルビオンと違って他の国と地続きなので侵略は容易でしょう。その時になってからでは小国であるトリステインはなにもできません。これを防止するためにはトリステインの人口や生産力の上昇による国全体の国力の底上げが急務です」

「そこまで考えているとはな…」

「この国を守るために自分の知恵を出し惜しみするつもりはありません。この国には父上を始めとした家族や領民のみなさんが住んでいますから」

 話を聞き終えた父上は納得した顔で口を開く。

「わかった。この改善案については家臣ともよく協議しておこう。最初は堆肥のときと同じように実験農場での検証になるだろう。多分、今回もエイジスの村が協力してくれるだろうから打診しておこう」

「ありがとうございます」

「…やはりお前を領主にするべきではないと改めて実感したよ。私の判断に間違いがなかったことを嬉しく思う」

「それは、喜んでいいのでしょうか?」

「もちろんだ」

「そうですか、それでは失礼します」

 二人の息子を見送りながら、あいかわらずの息子にため息をこぼした。

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