小説『ハルケギニアの青い星』
作者:もぐたろう()

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 僕が父に新しい農法、いわゆる輪栽式農法を提案してから2年が経った。
 僕が最初に視察に向かったエイジス村長の村の協力を得ることができたため、この村に新しい畑が整備され、すでに実験が始まっている。もうすぐ2度目の収穫期を迎えることになるが、まだ2年目にもかかわらずかなりの成果をあげている。
 この農法は収穫期を迎え、冬になるとその効果は発揮する。本来、食料不足になりがちな冬であっても、ジャガイモの備蓄や家畜の存在が村の食卓を大いに潤してくれる。クローバーを植えた放牧地では一年を通して家畜が畑に大地の恵みを与え続けてくれるおかげで、明らかに土の色が濃くなっていた。堆肥の利用を始めてから4年、毎年回復していた土壌の状態はより一層の回復が期待され、豊作を予感せずにはいられなかった。実際に、収穫期を迎えると小麦の実りは実に見事で、村民はもちろん父を大いに喜ばせた。
 この農法は畑に植える作物の種類を毎年変えるため、畑に含まれる大地の恵みを無駄なく使うことが出来る。そのおかげで、家畜の放牧によって大地の恵みの恩恵が得られなかった放牧地以外の畑も、休耕期をはさむことなくその収穫量をある程度維持した。家畜の数や大きさも去年よりずっと改善しており、今年の村民の食卓も豊かになるに違いないだろう。

「この農法を国に広めることはこの領地にとって不利益となりませんか?この農法を独占できれば我が領地は多くの利益を得ることができます」

 順調な結果を収めつつある新しい農法の利用について、僕は父を試すようにこんな質問をぶつけたことがあった。なぜなら、父にこの農法を提案する際に、僕はこの農法が成果を出すことが出来たらこの農法の実験結果を王城に報告し、国全体でこの農法を採用することを上申するように父に進言していたからだ。

「お前の言うように食料の増産に効果があるのならば遅かれ早かれ自然と広まるだろう。畑を屋内に作るわけにもいかないし、隠せるようなものではないからな。それならば出し惜しみせずに王城に報告した方が恩を売れるというものだ。それにこの農法の独占はシリウスの本意ではないのだろう?なに、どうせお前はこれからも私を楽しませてくれるものをたくさん披露してくれると期待しているよ」

 そう言って、父は楽しそうに笑っていた。僕は父の発言に苦笑いしつつ、内心で本当にこの人の息子で良かったと思っていた。
 僕の真の狙いはトリステイン王国全体の国力の底上げにある。そのため、この農法による恩恵を一つの領地で独占してしまうことに意味はない。この領地を守れても、国が滅んでは意味がないからだ。この国に住む多くの貴族は平民を虐げ、他の貴族の足を引っ張り、国全体を疲弊させてでも自己の利権の確保にやっきになっている。彼らの行動の裏側には、何があってもこの国は滅びないという甘えがある。しかし、冷静になってこの国が二つの大国に囲まれているという現状を顧みれば、そのような甘えは幻想に過ぎないことがわかるはずだ。父上はこのことをしっかり認識した上で僕にこのような言葉をかけていることに僕は気がついたのだ。

 また、農法の改良と並行して農具の改良にも着手した。まず、領内では青銅製の農具が一般的だったので、ゲルマニアから鉄を輸入して領内の鍛冶師に鉄製の鋤や桑などの農具を作らせた。平民ではこの鉄製の農具は高くて買うことができないので、これを格安で貸し与えることにした。赤字になるのは目に見えているが、鉄製の農具の使用によって収穫量が増えれば十分に利益が出せるとにらんでいる。また、飼料作物の栽培により家畜を多く飼うことができるようになるので、牛を利用した農具の開発も始めた。牛に農具を引っ張らせて土地を耕すことで、人力よりもはるかに効率良く開墾が可能になる。これはまだエイジス村長の村での実験段階だが、すでに大きな成果を見せている。領内全体で飼料作物の栽培が始まり、多くの家畜を保有できるようになれば牛を利用した農具も領内全土に普及するだろう。










 農業については順調な結果を収めつつあったが、僕はもう一つ手を打ちたかった。具体的には、新たな産業の勃興だ。特に、他国に輸出することによって外貨を獲得できるような産業が望ましい。
 ヴィルトール領内の多くは第一次産業である農業に従事している。次に、大きな産業としては林業があがるが、これにもう一つ加えたいのだ。

 そこで、僕は何かのヒントが見つかればとフランとナタリアを連れて領内で一番大きな街に来ていた。ここには領内で生産された農作物や材木などが集められ、行商人によって買い集められてから他の領地へと運ばていく。逆に、ここに他の領地から行商人により多種多様な商品が持ち込まれ、領内の生活を豊かにしている。そのため、ここで何かヒントになるようなものが見つかればと考えたのだ。

「やっぱ、ここはいつでも賑やかだなぁ」

「本当ね」

 二人は相変わらずの大通りの人の多さに驚いていた。現代日本に住んでいた僕にとっては田舎もいいところなのだが、ここは二人に同調しておく。
 街の大通りは10メートルほどの幅があり馬車がすれ違うことができる。領内で林業が盛んなため建物の多くは木造で、これらが道の左右に立ち並び、その多くが商店を営んでいる。近年、堆肥の利用により少しずつ領内の収穫量が増えているため街は緩やかな好況にあるようだ。そのため人々の顔は明るい。農法の改革が領内に広まればさらに経済も活性化するだろう。

「ナタリアにあげたカチューシャもここで買ってきたんだよ。確か、王都トリスタニアから持ち込まれたものと聞いたかな」

「ふふ、そうなんですか?」

 ナタリアは嬉しそうに笑っていた。9歳になった彼女は最近ラインメイジへとレベルを上げていた。なかなか、トライアングルに上がれずにいるフランが妹に追いつかれてしまったとめずらしく落ち込んでいたのを覚えている。しかし、魔法学園に入学する15、6歳の少年少女の多くがドットメイジなのを考えれば二人は文句なしに優秀と言えるだろう。僕のようにこの年齢でトライアングルメイジへの階段を昇ってしまうのは稀有な例と言える。

 そんな話をしつつ、大通りにある商店の品物を見ながら歩くうちに街の市場にたどり着いた。ここでは、国中から集まった行商人たちが露天を開き、持ち込んだ様々な品物を売っている。そんな品物を目当てに集まった多くの人たちが、この市場をおおいに賑わわせている。あちらこちらに露天を楽しそうにのぞく人たちの姿が見える。

 例に漏れず、僕らも三人で露天を冷やかして回るうちに、僕は懐かしい品物を見つけた。

「これは…」

「なんだ、このでっかい本は?」

「ええ、これは東方から持ち込まれた品物だそうで、その名も『漬物石の本』というんでさぁ」

「確かに重そうな本ですね」

 ナタリアはこんな分厚い本は見たことがないといった様子で驚いていた。

「これいくらです?」

「へい、100エキューでさぁ!」

「そんなに高いのか!?ぼったくりじゃないか?」

 商人の言葉を聞いてフランは驚いていた。1エキューは金貨1枚を意味するので100エキューとは金貨100枚を指す。1エキューの価値は1万円程度なので、100エキューというと100万円程度の価値になる。

「おじさん、これ買います」

「シリウス、こんなものが欲しいのか?それにさすがにこれはぼったくりだろう」

「うん、僕には必要なものだから。それにぼったくりでも構わないよ。これにはそれだけの価値があると思うんだ。悪いんだけど、フラン。手持ちが足りないから少しばかり貸してくれないか?」

「お前がそう言うなら別に構わないけど…」

 不思議そうな顔をするフランからいくらか金貨を受け取ると、商人に100枚の金貨を数えながら渡していく。

「毎度!」

 そうやって、受け取った本をまじまじと見つめると懐かしい気持ちがこみ上げて来た。これと同じ本を僕は生前によく読んでいた。教養を身につけるようにと父から買い与えられた百貨辞典。この本には多くの写真がふんだんに使ってあり、僕はそんな写真を眺めながらこれを読むのが大好きだった。子どもの頃、あまり外で遊ぶことを許されていなかった僕はそんな暇な時間を潰すために夢中でこの本を読みふけっていた。

(懐かしいな。まさかこの世界でこの本と再会するなんて…)

 この世界には生前の世界の品物がときおり流れてくるらしい。どういう仕組みでこの世界に流れてくるか、詳しいことはわからないがこういった品物が流れてくると東方から持ち込まれた品物として好事家たちの間では高値で取引される。










 街から戻った僕は、部屋に篭もって本を読み込んだ。父の書庫にも東方からの書物として日本語で書かれた書物があり、僕は日本語を忘れないようにするため日頃からこれらの書物を定期的に読むように心がけていたので、日本語は問題なく読めた。僕は百貨辞典に書かれている数ある知識の中でも、特に『紙』に目をつけていた。
 この世界の紙といえば羊皮紙が一般的で、この辞典に使われているような木から作られた紙というものはまだ存在していない。羊皮紙は使い勝手は悪くないが、非常に高価で平民が簡単に手を出せるものではない。一応、布などの繊維から作られた紙は存在していたが、これは品質が悪く、原材料である布を大量に確保することが困難であり、広く流通しているとはいえなかった。
 そこで、僕はこの『紙』を大量に生産できれば大きな産業として開拓できる可能性が高いとにらんでいた。もともと、貴族・平民を問わず紙の需要は余りある。しかし、一般人である僕には木からパルプを取り出す方法の細部までは分からなかった。そのため、市場で懐かしの百貨辞典を見つけたのはまさに渡りに船であった。

 翌日から、僕は『紙』の製作を始めた。まず、紙をすくのに金網が必要なので、その作成を領内の鍛冶師に依頼した。鍛冶師はその奇妙な注文を不思議に思ったようだが、鉄製農具の製作以来懇意にしていた僕が頼み込むとその製作を快諾してくれた。その後しばらくして、金網が完成すると僕はさっそく紙の試作品の作成に取りかかった。
 まず、屋敷の裏の林の木から何種類か試してみて、紙作りに一番具合のよさそうな木を切り出す。そして、その木を僕の魔法で細かく破砕することで木材チップを作る。石灰の粉などを加えてアルカリ性にした熱湯でこれを長時間煮込み、木材チップからセルロースを主体とするパルプを取り出す。これが『紙』の基本的な材料になる。その後、パルプを水洗いして余分なゴミや薬品などを洗い落とす。その際、アルカリ性の廃液を練金の魔法で中和しておくことを忘れない。取り出したパルプを叩いて、含まれている繊維を細かく均等にするとこれを水に溶かし、鍛冶師に依頼して作った金網でこれをすいて水を切る。あとはこれを薄く均一に伸ばし、台に載せて乾燥させると『紙』の試作品が完成した。
 その後、何度か試行錯誤をおこない、僕は納得のいく『紙』が作り上げた。現代の紙と比べると品質はいささか劣るが、現存する布製の紙よりもはるかに文書の作成に適している。そして、この『紙』の製法を羊皮紙にまとめると、試作品を持って父上の執務室を訪れた。










「また、お前はとんでもないものを持って来たのう…。これは何だ?」

「これは木から作った『紙』です」

 父は頭を抱えている。

「簡単に言ってくれる。こんなもの、ハルケギニアの誰も作れないのだぞ!?」

「私が独自に調べたところ、東方から流れてくる本はこの『紙』のように木から作られていることがわかりました。そこで、私はどうにかこれを再現できないかと以前から少しずつその製法を研究していました。母から学んだ秘薬作りの知識や父上の書庫で学んだ知識を活かし、試行錯誤を重ねてようやくこの『紙』を作り上げるに至りました」

(まぁ、百貨辞典に書いてあったなんて言えるわけがないしなぁ)

「簡単に言いすぎだ…」

 父は案の定呆れていた。

「これは木から作ることが出来ますので、林業の盛んな我が領内でも産業として興すことが出来ます」

「ふむ…お前の狙いは何だ?」

 父は僕にまた何かしらの狙いがあると踏んで、その疑問を直接問いただしてきた。

「新しい農法や農具の改良により領内の食糧生産は増え、これを安定させることができるようになると予想できます。これにより、領内ではより多くの領民を養うことが出来るようになりますので人口は増加することになるでしょう」

「確かに、そのように言っておったな」

「しかし、農作業に必要な人手は大して増えません。むしろ農具の改良により必要な人員は減少するかもしれません。そこで、生じた余剰な働き手の受け皿となる職場が必要となります。なぜならば、仕事がなければ人は食べるために野盗や乞食になる他に道はなく、その結果として領内の治安が悪化することになるからです。そこで、新しい産業を興す必要性を感じ、この度『紙』の製造を提案するに至りました」

「言いたいことは分かる。しかし、そんな簡単にこんなとんでもない代物を持って来るでない…」

 父上は話に納得しながらも、僕の突拍子もない行動になかば呆れている。

「まぁ、確かにこの『紙』を作る技術を独占できれば領内は潤うであろうな」

「…父上。その点について、私はこの技術を独占するべきではないと考えています」

「それは何故じゃ?」

 父上は驚いた顔でこちらを見ている。

「市場の独占は、多くの商人の反感を買うからです。ヴィルトール領では農作物や材木などの商品も取り扱っています。しかし、多くの商人つまり商人ギルドの反感を買えば、これらの商品が市場から閉め出される可能性が少なからずあります。我々は商人ではありませんから、商人たちの無用な争いに巻き込まれることは愚策でしょう」

「確かに商人は利に聡く、その手腕は辛辣であるからのう」

 父上は何か思うところがあるのか、何かを思い出すように目を細めた。

「また、紙の生産を始めてもその流通は商人の手に委ねるほかないので、商人と仲たがいしても仕方ありません」

「確かにその通りだ」

「そうであるならば、紙の製法を商人にも広く教えることにより恩を売ったほうが得策でしょう。これにより商人から技術供与の対価として多額の金銭を引っ張り出せるという利もあります。また、これは同時にこれから追い詰められていくであろう既存の製紙業者の不満の矛先を分散化し、また、既存の業者にもこの紙の製法を教えることで無用な恨みを買わないようにする目的もあります」

「…お主も相当に辛辣だのう」

 父の顔が若干引きつっていた。

「この場合、市場で商人たちと争うことになります。しかし、特に心配することもないと思います。まず、ヴィルトール領は林業が盛んですので原材料である木材を安く仕入れることができ、より安価な紙を市場に提供することができます。また、我が領地は比較的税収がいいので巨大な資本力を背景に巨額の初期投資が可能であり、より一層生産コストを下げることができるでしょう」

「…」

「そして、一番重要なのはいち早く紙の製法の研究と開発を進め、市場に安価で高品質の紙を提供することです。これにより、ヴィルトール領の紙は一つのブランドとしての信頼を獲得できるでしょう。これは商人がどれだけの金貨を積んでも手に入らない価値のあるものです。これにより、我が領は製紙業において他よりも頭一つ抜き出ることが出来ます。もっとも、紙の需要は余りあるので作れば作っただけで売れるでしょうからあまり心配する必要はないかもしれませんが」

 僕が一気にまくし立てると、父は俯いて沈黙していた。

「そこまで考えているとは…お前の前世は敏腕の商人だったのかもしれんな」

「前世のことは覚えていないのでなんとも…」

 僕は父の鋭い問いかけに冷や汗をかきながら、微妙な顔で嘘をついた。

「では、家臣と検討を重ねた上で、工場の設置場所の選定や働き手の手配、必要な設備・材料の確保など必要な事項を詰めるとしよう。もちろん、お前にも協力してもらうぞ?これを製品化できればお前の目論見通り確実に利益をあげるだろう。それにしても…お前は本当に12歳なのか?」

「私としてはそのつもりなのですが…」

 父は息子の自信のない返事に、苦笑いを浮かべていた。

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