小説『ハルケギニアの青い星』
作者:もぐたろう()

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 ここハルケギニアの地形はヨーロッパに似ている。ハルケギニアの西側、現代のフランスを中心とする地域には魔法大国『ガリア王国』が存在し、ハルケギニアの東側、現代のドイツを中心とする地域には新興国『ゲルマニア帝国』が広がっている。そして、その二つの大国にはさまれた地域、現代のオランダ・ベルギーがある地域にここ『トリステイン王国』は存在する。また、ガリアから南に突き出した半島、現代のイタリアがある地域には始祖ブリミルを祖とするブリミル教の宗教国家『ロマリア皇国』が存在する。さらに、現代のイギリスがあるはずの海には『アルビオン王国』が浮かんでいるそうだ。侍女の話では本当に「浮かんでいる」らしいが、どういうことだろうか。

 この世界の人々は基本的にこのブリミル教を信仰していて、これは各国の王や貴族も例外ではない。キリスト教に似た宗教で、ブリミル教の教皇に破門されれば王や貴族の権威は失墜する。そのため教皇を頂に構えるロマリア皇国への対応には各国が苦慮している。
 また、ハルケギニアの東には『サハラ』という砂漠が広がっていて、ここにはエルフが住んでいるという噂である。ここサハラの彼方にはブリミルが降臨したとされる『聖地』が存在しており、ロマリアを中心とするハルケギニアの国とは聖地の処遇を巡って何度も衝突を繰り返しているとか。
 そして、そのさらに東には「|東の世界(ロバ・アル・カリイエ)」という地域が広がっているとされ、エルフが砂漠に住むようになってからはハルケギニアとの交流がなくなっている。ただ、時折り東方からの品物として不思議な道具が流れてくるらしい。

 そして、トリステイン王国にある父のヴィルトール伯爵領は、トリステインのおよそ中心に位置する王都トリスタニアからみて南東の内陸部に存在している。他の領地よりも比較的広いこのヴィルトール伯爵領は広大な農地を有しており、多くの食料を生み出してこの国の人々の生活を支えている。また、多くの山々にも囲まれ、そこから多くの建材などを切り出して生活の糧としている。王都には石造りの建物が多いが、この領地には木造建築が目立つのはこのような事情によるところが大きい。










「ねぇ、ミスティ。これはどんな意味なの?」

「シリウス様。これはですね…」

 早くも4歳になった僕は、傍に控えている侍女のミスティに無理を言って文字を習っていた。こちらのいわゆるメイド服に身を包んだ少女は侍女のミスティ。ミスティは家名を失った元貴族で、今ではこのヴィルトール家に奉公してメイドとして働いている。15歳と若いが元貴族なだけあって、文字の読み書きや算術などの教養を備えているのはもちろん、魔法まで使うことができる。そのため、腰には魔法を使うのに必要な杖が携えてある。ちなみに、彼女は事情があって僕付きの侍女ということになっており、いつも僕の傍で控えている。

 本来ならば4歳で文字を習うのはいささか早いのだが、さすがに僕には耐えられなかった。精神年齢は25歳を超えているのに子どものふりをして3年も過ごして来た。最初は周りの話を盗み聞きして現状の把握に努めていたが、それも数ヶ月が限界。それ以降はすることもなくなってしまった。しかし、子どもが急に大人のような振る舞いを始めたら確実に「悪魔つき」と勘違いされてしまう。そこで、警戒して赤ちゃんのふりを続けたが、もう限界というものだろう。

(さすがにあの赤ちゃんプレイは勘弁して欲しい…)

 普段は母上に文字を習っているが、今は魔法薬の調合に勤しんでいる。いつもほわほわした天然な性格の母上ではあるのだが、彼女の作る魔法薬はその出来が良く、高値で取引されるので我が家の家計を大いに助けている。

 この世界の文字はアルファベットに似た表音文字でその文法は英語などに似ている。そのため、英語とドイツ語の読み書きに不自由のない僕にとっては馴染みやすいものだった。また、子どもの脳の記憶力は著しいものがあり、習い始めて1ヶ月で驚異的な上達をみせた。
 そのせいで、両親や使用人などは僕を「神童」などと持て囃し、気恥ずかしい思いをさせられていた。

(前世の記憶があるから他の子よりも有利なのは当然で、ズルしてる気分でなんだか後ろめたい…)

「シリウス、あそぼー」

 この子供部屋にはもう一人の子供がいた。彼はフラン・ド・ヴィルトール。領主である父上の第一夫人であるネスティア様の第一子だ。彼は僕より数ヶ月ほど遅く生まれた腹違いの弟で、もうすぐ3歳になる。僕の金髪とは異なり、ネスティア様と同じ銀色の髪で、顔つきも男の子らしい元気な少年である。なぜ第二夫人の子である僕の方が年上かという、ネスティア様は結婚後なかなか子宝に恵まれず、苦労の末、ようやくフランを身ごもることになった。そのため、第二夫人の子である僕が数ヶ月ほど早く生まれてしまったのだ。そんな事情があるため、ネスティア様は僕のことを警戒している。

(僕自身は魔法で人助けができれば十分だから領主になる気はないんだけどね…)

 ネスティア様は僕が文字を習うことにあまりいい顔をしない。そのため、ミスティに文字の読み書きを習うことができるのもネスティア様がここにいない時間帯に限られる。ミスティにも内密にと言われている。

(フラン、ごめんね。ネスティア様がいるときは一緒に遊んであげるから)










 ネスティア様の目を逃れて文字の読み書きを習い、母からもらった本を読んで過ごしていると半年が経った。この頃になると、母が用意してくれた本ではもう物足りなくなってしまった。そこで、より専門的な書物を収めている父の書庫への立ち入りの許可を求めるために父のいる執務室まで足を運んだのだ。

「父上、失礼します」

「む、シリウスか。どうした、珍しいな。私に何か用かな?」

 珍しい来客に父は少し驚いた様子だったが、優しく出迎えてくれる。

「はい。父上の書庫への立ち入りの許可を頂きたく、そのお願いに参りました」 

「書庫?あそこの本は子供が読めるような本ではないぞ?」

「いえ、母上から頂いた本では少々物足りなくなってきまして…」

 僕の言葉を聞いた父がため息をつく。

「はぁ、お前の優秀さにはため息しか出ないな。ふむ、ところでシリウス、突然こんなことを聞くのもなんだが将来お主はどうしたいと考えているのだ?」

 普段の優しい父親の目とは異なり、何かを問いただそうとする眼差しを僕に向けてきた。僕は少しだけ姿勢を正すと、父の質問に口を開く。

「将来ですか?私は魔法や知識を活かして、母上のように医療に携われたらいいと考えています。そのためにも今は多くのことを学びたいのです。父上に書庫への立ち入りのお願いに参ったのもそれが理由です」

「ミネルバは水のメイジだからな。我が家は代々火のメイジの家系だが、お前には水のメイジになれる可能性があるかもしれんな。ところで、シリウスは領主になりたいとは思わないのか?」

 父の言葉に僕はやはりかと内心で一人ごちると、僕にはその意志がないということがきちんと伝わるように父の目を正面から見定めてから言葉を返す。

「いえ、領主には第一夫人であるネスティア様のご子息であるフランがなるべきです。そして、私としては先ほども申し上げたとおり母上のようなメイジになることを心から望んでいます」

「そうか。いいだろう、あの部屋の本も自由に読んで構わない。使用人にも伝えておこう」

 父は僕の言葉に納得したのか、あっさり書庫の使用の許可を与えてくれた。

「ありがとうございます」

「たまにはフランと遊んでやるんだぞ。お前もあれくらい子供らしく遊ばないといけない」

「わかりました。失礼します」

 父の言葉に少しだけ苦笑いをこぼすと、僕は部屋を出てその足で書庫へと向かった。

(それにしても、父上には感謝だな。これでたくさんの本が読めるぞ)

 父は第二婦人の子である僕にも平等に愛情を注いでくれている。そして、領主にはフランがなる予定なので僕はある程度自由に将来を決めることが許されていた。生前、後継者とするための道具として扱われ、厳しい教育を強制させられていた僕は父親の自然な愛情というものを感じ、この世界に来てから初めてそんな素朴な幸せを噛みしめている。










 シリウスが部屋を去ってからしばらくすると、アルフォンスの執務室に珍しい来客があった。

「あなた、失礼します」

「む、ネスティアか。一体どうしたんだ?」

 ネスティアが不機嫌そうな顔をして部屋に入ってきた。普段はあまりここに立ち入らないのでアルフォンスは何事かあったのかと考えていた。

「ミネルバの子が書庫で本を読んでいるそうですが、あなたが許可を?」

「ああ。シリウスはミネルバが渡した本だけでは少しばかり物足りなくなったそうでな」

「あの子がどれだけ優秀かは知りませんが、少し不用意ではありませんか?」

 ネスティアはアルフォンスの言葉に目元を鋭くした。明らかに機嫌を悪くしたようだ。そんな様子を見たアルフォンスは彼女の心配事を察し、少しため息をついてから彼女を安心させようと声をかける。

「なに。シリウス自身に領主になる気はさらさらないそうだ。それに、あいつの知恵が将来フランの助けになってくれればこれ以上のことはないと考えてな」

「妾の子なんて信用なりませんわ」

 アルフォンスはネスティアの様子を見てまたため息をついた。アルフォンス自身、彼女の心配はもっともなことと考えていたのであまり強くものを言うことができないでいた。

「まぁ、そう言ってやるな。色々と子供離れはしているが、一応まだ4歳の子供なのだ。それに私自身としても当主はフランに継いでもらうつもりだから安心しなさい。これは私とお前が結婚する際の義父上との約束でもあるからな」

「それなら私は構いません…。それでは失礼します」

 そういってネスティアはアルフォンスの執務室を後にする。残されたアルフォンスは彼女を見送ると再びのため息をついてから頭を掻いた。

(確かに、あいつの悩みもわからないのではないのだがな…。まぁ、シリウスがあの調子だからのう)

 あまりに優秀すぎる息子を思い出すと苦笑いをこぼれてくる。

(しかし、なかなか上手くいかないのう…。唯一、フランとシリウスの仲が良好であることが救いであろうな。二人でこの領地を守っていってくれると父親としてこれ以上のことはないのだが)

 アルフォンスは部屋から見える窓の外の山並みを眺めながら、二人の息子の将来を憂いていた。

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