自分たちに適性のある系統魔法を調べたあの日から2年が経とうとしていた。
最近では、父上の書庫の蔵書はあらかた読み終えてしまったので、午前中はフランに文字の読み書きを教えている。フランはとても優秀で、僕の教えがなくとも父上の書庫から興味のありそうな比較的簡単な内容の本を選び出して、自分で読み進めていく。たまに僕に質問する程度十分だ。最近では、もう5歳になるナタリアにも文字を教え始めた。
「お兄ちゃん。これはなんて読むの?」
「ナタリア、これはね…」
「そっかぁ。お兄ちゃんは本当にすごいね。ふふふ」
ナタリアはずっと勉強会に参加したがっていたからだろうか、文字の読み書きを習うのがすごく楽しいみたいで、いつもニコニコしている。本当にこんな僕にはもったいないかわいい妹だと思う。
系統魔法の練習も順調で、ミスティの監督の下で精神力の残りに気をつけながらフランと一緒に毎日欠かさずに訓練を続けた。ちなみに、僕は精神年齢が25歳を越しているため、その精神はフランよりもずっと成熟しているのだろう。フランと違い精神力が尽きそうになることは一度もなかった。
そうやって二人で練習重ねた結果、僕は水のラインメイジにまで成長した。フランもすでに火のドットスペルは使いこなせており、ラインメイジまであと一歩というところまで迫っている。アデル先生からすると非常に成長が早いとのことで、その成長振りにご満悦の様子である。父も僕たち二人の成長を聞いて、さすがは我が息子たちだと祝杯を上げていた。少し飲みすぎて悪酔いしたところを母たちからお仕置きされたのか、父の断末魔が聞こえて来たので教育上の配慮からナタリアの耳をそっと塞いでやる。
相変わらず僕は火の系統はからっきしだったが、それ以外の系統は満遍なく使えている。僕としては何よりもラインメイジに成長したことにより水の治癒魔法である『ヒーリング』が使えるようになったことが嬉しかった。前世からの夢が医者である僕は、この世界の治療技術を身につけることができたのだから感動も一塩である。
最近ではナタリアも魔法の勉強を始めた。ナタリアも兄のフランと同様に火の系統の適性が高く、水の系統の適性が低かった。父上やネスティア様はナタリアがヴィルトール家の代々の系統である火の系統であったことを喜んでいたようだ。しかし、本人はなぜか水の系統が良かったみたいで少し拗ねていた。ちなみに、ネスティア様は僕が火系統の適性がないことを知って、不敵な笑みをたたえていた。
「せいっ!シリウス、脇が甘いぜ」
「くぅうー。相変わらず容赦がないなぁ」
「フラン様、お見事です。シリウス様は攻撃後、意識が攻撃に偏りすぎていて防御への移行が少し遅れています」
1年ほど前から、アデル先生に基礎訓練の成果が十分でていると認められ、剣術の訓練のお許しが出たことから剣術についても指南を受けている。しかし、剣術や体術はフランの方に才があり、一歩譲るかたちになっている。
先生がいないときは、領軍の練兵場の片隅を使って、剣術の練習をしている。その際には領軍の隊長から指名を受けたジーノさんが監督を引き受けてくれている。ジーノさんは多くの兵の指導をおこなった経験豊富な教官であり、僕らの弱点や癖を適確に指摘してくれる。また、彼は風のメイジでもあり、風の系統魔法についても相談に応じてくれた。
「母上、こちらの薬品にこの薬草を加えて加熱すればいいのですよね?薬草の量はどれくらいですか?」
また、高位の水のメイジであり、秘薬作りでも名声を得ている母から秘薬作りも習っている。秘薬はそのまま買うより、薬草などを取り寄せて作ったほうがはるかに安上がりなのだ。また、水の系統魔法については母が相談にのってくれている。
「量なんか適当でいいのよ。パラパラって薬草いれて、色がちょっと変わって、いい匂いがしたらそれで大丈夫」
母はこういう適当な性格なので、母と一緒に秘薬作りをしながら必要な材料の種類や分量、調合の際の温度や変化といった秘薬の調合に必要な情報を調べつつ僕は傍らの羊皮紙に記録していく。
(この薬品100ccに対して薬草の分量は葉4〜5枚ってところかな。温度は常温で大丈夫。薬草を適量加えると紫色が少し緑色っぽい色に変化して、甘い匂いが漂うと…)
今は、こうやった様々な秘薬の作り方を母から学びながら、それを記録して色々と比較、検証している段階である。そのうち、現代知識を活かした秘薬作りにも取り組んでみたい。
今日もいつものように三人で勉強会をしていると、部屋に父上が突然あらわれた。
「今日は領内の視察に行くぞ。フラン、それとシリウスもついて来なさい。今後の役に立つだろうから、領内の様子を知っていくといい」
「お父さま、私はお留守番ですか?」
「ナタリアには、まだ少し早いな。もう少し大きくなったら連れて行くとしよう」
「…分かりました」
「では、昼食後に門の前に馬車を用意するから。二人は準備をして遅れないように」
ナタリアは残念そうだったけど、こればかりは仕方ない。あとでお土産話をたくさん聴かせてあげるとしよう。
(しかし、領内の視察かぁ。病人や怪我人がいるならせっかくだから治癒魔法を試してみたいな。屋敷のみんなは病気や怪我なんかしないから、あんまり練習できていないんだよね…)
食事を軽く済ませると、自室に戻り、杖と訓練で使う木剣を腰に差し、母上と作った秘薬をいくつか袋に入れると門へと向かった。門ではすでに父上とフランが待っている。
「遅くなりました。申し訳ありません」
「いや、私たちも先ほど着いたばかりだ。それに、今ちょうど馬車の準備が終わったところのようだ。では、行くとしよう」
「「はい」」
馬車の窓からはのどかな穀倉地帯が広がっているのが見える。もうすぐ季節は収穫の季節で、きれいに麦の穂がなっている。風に揺れては麦穂の金色の海が波打っていた。そして、馬車に揺られること2時間ほどで目的の村にだどり着いた。
「うわっ、これはひどい臭いだ」
「確かにこれは厳しいものがある…」
村の住居の前や村道の脇には無造作に糞尿が放置されており、村全体が悪臭を放っている。そんな悪臭に僕とフランは思わず驚きの声を上げてしまった。屋敷では使用人が毎日糞尿を近くの林へと捨てに行き、しっかりと処理していたのでこのような状況にはない。
(公衆衛生という概念はないのだろうな。ヨーロッパの都市パリでさえかつては窓からオマルに溜めた糞尿を道に投げまくっていたという話もある。これが村なら当然か…)
「驚いたか、二人とも?このように村の現状を知ってもらうことが二人を連れてきた目的だからな。私はもう慣れたが二人も早く慣れるといい」
「父上、領内の村は大体どこもこのような状況なのですか?」
「領内どころか国内の村は大体こんなものだよ」
僕とフランが悪臭に苦しんでいると向こうから初老の男性が現れて、僕らに声をかけてきた。
「アルフォンス様、ご足労畏れ入ります。それではこちらにどうぞ」
「しばらくぶりであるな、エイジス。紹介しよう、我が息子のフランとシリウスだ」
「お初にお目にかかりますフラン様、シリウス様。私はこの村の村長をしているエイジスと申します。以後、お見知りおきを」
そういってエイジス村長は僕たちに頭を下げたので、僕らも軽く会釈を返す。こうして簡単な自己紹介を済ませると、村長の案内で村長の家に向かった。
「それで、今年の収穫はどうだ?」
「悪くはありません。ですが、年々麦の出来が悪くなっているように思います。毎年、新しい土地を開墾したり、土地を休ませたりして収穫量を確保しようと努めてはいるのですがなかなか苦しい状況です」
「ふむ」
「また、土メイジの人手も限られていますので全ての畑の土地の力を回復させるには足りません。毎年畑も増えていきますから厳しい状況が続いています」
「そうか…土のメイジも簡単には増やせないからな。とりあえず税は例年通りの4割で良いだろうか?」
「はい、今年はまだ問題ないと思います」
父と村長が神妙な顔で今年の税の話を終える。そんな二人を見ているうちに、僕は気がつくとエイジス村長に質問をしていた。
「あの、すいません」
「いかがしましたかな?」
「畑を元気にするのは土のメイジが魔法でおこなっているのですか?」
「そうですね、ですが土のメイジの人手にも限界がありますから」
「えっと、こちらでは毎年麦を育てているのですか?」
「はい、毎年この村では麦を育てることになっていますが…」
(やっぱり堆肥や輪作の概念はないのか?これも魔法が便利すぎることの弊害だろうな)
「何か気になることでもあるのか?」
父が突然村長に質問を始めた僕を不思議そうに見てきた。
「そうですね…屋敷に戻ってからお話します。ところで、村長さん。この村に体調を崩している人はいませんか?」
「確か、何人か伏せっていますが…」
「僕は水のメイジです。よろしければ私に診察させていただけませんか?」
「そうであったな。ではシリウス、村長について村人の治療をしてあげなさい。フランは私についてきなさい。畑の様子を見に行くとしよう」
「畏れ入ります。それでは、シリウス様。病気の村人のところまでご案内いたします」
「じゃあな、シリウス。また後で」
「うん」
僕は村長のエイジスについて村民の診察に向かった。
村長の案内で連れられて、一軒の民家に入る。家の前にはやはり糞尿が野ざらしになっている。建物はヴィルトール領内でよく見られる平屋の木造家屋で、中はそこそこきれいだった。
「シリウス様、こちらの男です」
「初めまして、シリウス・ド・ヴィルトールです。体調が悪いとお聞きしたので、お力になれればとお邪魔しました」
「やや、領主様のご子息様ですか。これはこれは親切にありがとうございます。こんな汚いところにお越しいただいたのに申し訳ありませんが、うちには治療費をお支払いするような力はありませんので…」
男は申し訳なさそうに萎縮してしまっていた。
「いえ、治療費をいただくつもりはありません。領民が苦しんでいるときに手を差し出すのは領主たる者の役目。領主の子である私とて例外ではありません」
貴族は領民から税を取り立てる代わりに、彼らに生活手段と領内の安全を保障する。これが貴族の|高貴なる者の義務であると、幼い頃から父に教わっていた。
彼らが働き、税を納めるからこそ貴族の生活が支えられているのである。だから、彼らに施しを行うのは一方的に相手を利するだけの行為ではない。自らの地位が無条件で与えられたものと誤信し、平民を虐げるような暴政をおこなう貴族はこの点を看過してその身を滅ぼしていく。ここトリステインにもこういう手合いも少なくなかった。
もちろん僕はこのような理屈も理解はしてはいるが、それよりも純粋に病気に苦しんでいる人を助けたいという一念で村民の治療をかって出たのだ。まぁ、練習の意味も少なからずあるが…。
「ありがとうございます。シリウス様のようなお方がいるこの領は本当に恵まれています」
「いえ、私など父にはまだ遠く及びません。診察の前に先だってお話しますが、師から治癒魔法の指導を受け、その使用を認められてはいますが、まだ、日も浅く経験も足りないと自覚しています。そのような非才の身ではありますが、構いませんか?」
「そんな。貴族様に見ていただけるだけで平民の私からすれば身にあまる光栄です。どうぞ気になさらないでください」
事前に治療に際して説明を行い、患者の同意を得ようしてしまうのは前世で厳しく指導を受けた習慣のせいであろう。インフォームド・コンセントという概念がこの時代にあったとは思えない。相手はあまりに丁寧な貴族の対応にやはり恐縮してしまっていた。
「それでは、『ディテクトマジック!』」
僕は杖を掲げて、男性の胸の当たりに杖を振り下ろしスペルを唱えた。このスペルは探知のコモンスペルで、対象の状態、性質等を感得できる便利な魔法である。現代でさえ口頭での問診、喉の状態や体温の確認などにより間接的に体内の状態を推測するのが一般的であった。しかし、この世界では魔法により簡単に患者の体内の状態を直接知ることが可能である。まったくアンバランスな世界だと、僕はつくづく思っていた。
(腸内が炎症していてところどころ出血もしている。また、全身が発熱していて、軽い脱水状態にもなっているな)
「便の状態はどうですか?」
「便ですか?ええと…このような話をしていいのか分かりませんが、水のような状態で最近は少し赤いように思います」
(やっぱり、赤痢かなにかの感染症だろうな。村内の状況からしてそうだろうとは思っていたけど…)
「わかりました。それでは、これを飲んでください」
「これは…秘薬ですか?これは、かなり高価なものとうかがいました。このような物をいただくわけにはいきません」
男は秘薬の代金なんて支払えないという顔で困っていた。市場で取引される秘薬は平民が手を出せるような代物ではない。男の心配ももっともだろう。
「これは私が調合したものでそれほど高価なものではありません。経験の浅い私が調合した秘薬でよければ、どうぞ飲んでください」
「度重なるご好意、感謝いたします」
魔法だけでも十分治療が可能だったが、自ら作成した秘薬の効果を見ることができるので、僕としてもありがたいことだった。
男性に秘薬を飲ませた後、僕は腸内の細菌を取り除き、腸内の炎症を治すイメージで杖を構えると治癒魔法を唱えた。
『ヒーリング!』
すると、男の顔には血色が戻り、苦痛が和らいだようだった。
「おお、楽になりました。本当にありがとうございます!」
「いえ、お力になれたようで僕としても嬉しい限りです。ただ、体の水はまだまだ足りない状態なので清潔な水を少しずつとるように心がけて下さい」
「わかりました」
「村長さん。次の患者のところへ案内して下さい」
「シリウス様の魔法の技術の高さと優しさには感服いたします。それでは、こちらにどうぞ」
僕はそうやって村民を治療して回った。現代医療の知識を持つ僕はまず『ディテクトマジック』で病気の原因を詳細に特定し、得られた情報に従って効率的な治療をおこなっていた。そのため、治療に必要な精神力は他の一般的な水メイジに比べてはるかに少ない。いくら精神が成熟しているとはいえラインメイジが何人もの患者を立て続けに治療することは本来ならば不可能だが、僕はこれをやり遂げてしまった。
全員の治療を終えると父とフランが畑から戻ってきたので合流し、屋敷に帰るために馬車に乗り込んだ。その際には、治療を施した村人とその家族たちが見送りにあらわれ、何度も何度も僕にお礼の言葉を述べていた。
(世界は変わっても人の笑顔は変わらない。この世界で医者になるという夢が早くも叶ったな)
僕は前世からの念願の夢をかなえて、馬車の中でひそかに笑みをこぼしていた。