小説『ハルケギニアの青い星』
作者:もぐたろう()

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 村の視察から屋敷に戻ると、僕はすぐさま自室に戻った。そして、羊皮紙とペンをとり出すと、村で治療した感染症の予防案をまとめ始める。

 村民の体調が悪化するたびに領内の村を回ることは不可能だ。それなら、村の衛生状況を改善して、予防策をとらせることが必要だろう。この世界には公衆衛生や感染症という考えがないだろうけど、構いやしない。目の前に病気で苦しんでいる人がいるのに手をこまねいているなんて僕にはできなかった。

 翌日の午前中までになんとか予防案をまとめると、その足で父の執務室を訪れた。そして、書き上げた羊皮紙を父に見せて、昨日視察に行った村の衛生状況の改善案を提案した。

「ふむ、村で体調を崩す者が多かったのは路上に放置された汚物が原因だと言うのか?」

「はい。村の様子を見て回りましたが、村を流れる空気の流れといいましょうか、それが汚れていたのが分かりました。そして、その汚染は路上に放置された糞尿などを中心に生じていました。この汚染の結果、村人たちが体調を崩すに至ったというのが実際に治療にあたった私の見解です」

「ふむ、確かにあの悪臭では体調も崩すかもしれないな」

 僕はなるべく現代知識を披露することなく、父を説得しようと試みた。父もあの悪臭には困っていたらしく、なんとなく納得した様子であった。

「改善方法ですが、まず各村で糞尿を一箇所に集めるための穴、これを『肥溜め』と呼ぶことにしますが、肥溜めを村から少し離れた場所に用意します。そして、各家庭で出た糞尿を回収させ、肥溜めに集めてしまえばそれだけで村の状況は改善するでしょう」

「なるほど。それなら村の悪臭も取り除けるであろうし、大した負担でもないな。もともとあの悪臭には困っていたので、あれが改善され疫病の類も防止できるとなればこれ以上のことはない」

 父は僕の提案のコストとメリットを検討し、十分に利益のあることだと考えたようだ。

「ただ、町の飲み水として利用される地下水に集めた糞尿がしみこまないように、肥溜めの表面を粘土質の土で覆い、固定化の魔法をかけて補強する必要はあるでしょう」

「確かに、そういった危険は否定できぬな。しかし、それならメイジを派遣して作業に当たらせばよいであろう。あの悪臭を防止でき疫病を防止できるというメリットを考えればそれとて大した負担でもない」

 そういうと父は満足そうな顔をした。あらかじめ問題点までも十分に検討して、今回の提案してきた息子の子供離れした優秀さに舌を巻いている様子だった。そんな父に、僕はさらに追い討ちをかける。

「それに加えて、私はこの集めた糞尿を畑の作物の育成に活用したいと考えています」

「一体どういうことだ?」

 アルフォンスは息子の突然の発言の意味を探りかねていた。

「畑には作物を育てる力があります。便宜上これを大地の恵みと呼ぶことにします。現在、父上が召抱えている土のメイジが各村を回っては畑から失われた大地の恵みを魔法で補っていますが、昨日村で話したとおりとても人手が足りません。土のメイジを増やそうにもメイジを雇うことは財政上の大きな負担となります」

「その通りだ。村長の話では年々麦の発育も悪くなっているようだし、頭の痛い問題だな」

「私が書庫で読んだ本には、大地の恵みは土から作物に吸い上げられ、動物がそれを食べ、その後、動物の糞尿や死体となって土に還るという事実を示唆するものがありました」

「なんと、それは本当か?」

 父は驚きで目を見開いていた。そんな事実は初めて耳にしたといった様子だ。

「はい。集めた糞尿は数ヶ月ほど置くと人体に無害なものになります。その際には十分にこれを混ぜる必要がありますが。そして、これを畑の土などと混ぜてしばらくすると土へと還ります。これを『堆肥』と呼ぶのですが、これを畑にまくことで堆肥に含まれる大地の恵みが畑の土へと戻り、作物の生育を助けることができるのです」

「なんと…」

 畑の栄養を回復させるのは土メイジが行なうのがこの世界の常識であった。そのため、この世界では肥料の利用による土壌の回復という発想が現在にいたるまで芽生えることがなかったのだろう。これも魔法が便利すぎることの弊害なのだろう。もしかしたら、よその土地では肥料の利用が始まっているのかもしれないが、少なくともヴィルトール領では一般的ではなかった。僕の発言はそのような常識を覆すものだ、父の驚きも仕方ないのだろう。

「私はお前を侮っていたようだな」

「どういうことでしょうか?」

「お前が肥溜めの話を持ってきた時点で私はさすがはシリウスだと舌を巻いておったのだ。ただ、凡人であれば普通はそこで仕舞いのはずだ。私もそれだけだと思っていた。しかし、お前はそこで留まらず、さらに集めた糞尿を活用する方法を自分が得た知識を活用して私に提案してきたのだ。まさにこのことこそお前が単なる凡人に留まらない知恵者であることの証なのだよ」

 父はそんな言葉を述べると、僕を見つめてきた。

「父上、買いかぶりすぎですよ」

「そんなことはないさ。私はお前があの書庫の本をあらかた読んでしまったと言ったとき最初はいくらなんでもそれは不可能だろうと息子の大言壮語を笑っていたものだ。しかし、今日の話を聞く限りそれは嘘ではなかったのだろうな…」

「すいません…」

「ふふふ、謝ることではないさ。肥溜めによる糞尿の処理については先ほど言ったように特に問題はない。あの悪臭が改善できるだけでも利益はある。各村にメイジを派遣して肥溜めを作らせ、村人にそこに糞尿を回収させるように各村長に指示を出しておこう。これに違反した者は処罰すると布告を出してもいいだろう」

「ありがとうございます」

「しかし、集めた糞尿を堆肥として活用することについては私自身もお前の言葉だけを鵜呑みにすることはできない。当然、村人を説得させることもできないだろう。そこで、どこかの村でまずお前の提案した方法の効果のほどを検証し、その結果を見て判断をすることにしよう。それでよいかな?」

「はい。私もそれがいいと考え、検証方法についてもそちらの羊皮紙にまとめておきました。是非ご覧下さい」

 僕の言葉を聞くと、父は天を仰いで手で顔を覆った。少し呆れているようだった。

「まったく、私の返事まで予想していたとはな。今日は一体何度驚かされればいいのか…。いやいいのだ、もう何も言うまい。では、この羊皮紙の内容については後で家臣たちとも検討しておこう。何かあればお前に声をかけるとしよう」

「わかりました。今日は、私のお話をこうして聞いていただいてありがとうございました。それでは、失礼いたします」

 僕が部屋を出て行くのを見送りながら、父上はため息をこぼしているようだった。










 その後、父が家臣と協議した結果として領内の各村に『肥溜め』が作られることになった。父の家臣も僕のことを幼い頃から良く知っていたが、知識と発想が子供離れしすぎていると呆然としていたらしい。
 とどめは僕が提出した羊皮紙だった。大学のレポートの要領で表題と目次をつけ、要点を箇条書きにして簡単にまとめただけなのだが、こんなに読みやすい形式の文章は読んだことがないと父や家臣は驚いていた。どちらかというと格式を重視するこの世界では、このような読みやすさを重視した文章というのは新鮮らしい。最近ではこぞって僕の作成した羊皮紙の形式を真似するようになり、父に提出される報告書がずっと読みやすくなったと父から大いに感謝されることになった。自分としては大したことをしたつもりもないのでなんだか逆に申し訳ない気持ちになってしまった。

 また、糞尿を利用した『堆肥』の作成や効用の検証については、僕がこのまえ訪れた村が協力を申し出てくれた。村長や僕が治療した村人たちが僕の発案ということを知ったようで、恩返しになるなら安いものだと言ってくれたそうだ。僕のような子供の言葉に真面目に耳を傾けてくれる大人はいない。それにもかかわらず、村長たちは是非やらせて欲しいと願い出てくれた。僕はこのような人の好意に触れて、嬉しくなってしまった。

 さらに、僕は父がメイジを連れて各村に肥溜めを設置しに行くのに同行して同じような感染症の症状に苦しんでいる村人の治療にあたった。加えて、治療だけでなく肥溜めの作成に際して現場で作業にあたるメイジや兵士たちの指導もおこなった。僕が提案したものなので僕が一番勝手が分かるはずだと父は言っていたが、こんなこと子供に任せないでくれと内心で突っ込んでしまった。予想通り、どこの村人も子供が大人に命令して肥溜めを作らせる姿を見て不思議そうな顔をしていた。
 さらに、肥溜めの作成で回った村々では、『堆肥』について村の村長に直接説明をおこなった。おそらく理解できないことも多かっただろうが、多くの村で実験の結果が出たら協力させて欲しいと申し出を受けた。子供の話をこうして聞いてくれるなんてまったくありがたいことだと思う。しっかり、実験農場で成果を出して報いたいと思う。










 それから数ヵ月後、肥溜めの設置により村の衛生状況は劇的に改善していった。村のいたるところに撒き散らされていた糞尿は姿を消し、毎日交代で村人が回収して回った。最初はしぶしぶだった村人も村の悪臭が改善されるにつれて、いつしか納得したようだった。さらに、父上の話では感染症のような病気になる村人の人数も明らかに減っているということなので、肥溜めの成果は着々と出始めている。

 その後も僕は父の視察などに随行しては治癒魔法の腕を磨いた。肥溜めの設置により不衛生な環境を原因とする感染症は確かにその数を減らしたが、これで病気や怪我人が全ていなくなったわけではないからだ。
 こうして治療を続ける中で検証を繰り返し、治癒魔法について多くのこと理解を得ることができた。治癒魔法による治療は、人が有している自然治癒能力を魔法で強化することによって行われる。例えば、感染症の人に治癒魔法を使えば、その人の免疫機能を強化し、直ちに原因となる菌の抗体を作成、菌を駆逐する。また、骨折した人に治癒魔法を使えば、その人の骨の再生能力を強化し、短時間で骨を繋ぎあわせることができる。
 さらに、秘薬についても多くのことが分かった。秘薬は魔法の効果を補助して、その治りを早くする効果があると考えていたが、このような理解だけでは不十分であった。秘薬は人の自然治癒能力を限界以上に強化することが可能である。そのため、自然治癒では回復不可能な病気や怪我の治療さえ可能にした。

 僕はこうして少しずつ村の状況が改善し、自分の治癒魔法の技術が向上するのを感じる中で充実した日々を過ごしていた。










 そんなある日、僕はネスティア様の私室に呼ばれていた。内容はなんとなく察しがついている。ネスティア様の私室の前に立ち、その扉を叩いた。

「失礼します」

「お入りなさい」

 ネスティア様は僕を見つめている。その瞳の中には明らかな警戒心が見て取れた。

「さて、あなたが提案した肥溜めというものについてですが、かなりの効果があったと主人も喜んでいたようですね」

「はい。私としても病人が減ったことに喜びを感じています」

「私にはあなたがどれだけ優秀なのかはわかりません。ですが、妾の子であるあなたが父上の仕事に口を挟むのは少々問題があるのではないかしら?」

 ネスティア様はそういって僕を睨みつける。僕は彼女のそんな態度に頭で理解をしつつも、内心でため息をつかずにはいられなかった。

「…確かに、少々出過ぎた行動であったと反省しています」

「そうね。あの人はあなたを自由にさせていますが、あなたがそれを勘違いして増長しては困ります。今後は慎みをもって、行動には注意するのですよ」

確かに、ネスティア様の不安も分かる。僕がこうやって父上の仕事に口を出して実績を重ね、当主の地位を奪うことを警戒しているのだろう。しかし、僕にはフランを押しのけて領主になるつもりはさらさらなかった。彼女の不安を理解しつつも、僕は心の中で苦しんでいる人を放っておくことなんてできないという感情が高まっていくのを感じ、気付けば口を開いていた。

「しかし、人が苦しんでいる姿を見て、手をこまねくなんて私には出来ません。そのことについて私は間違っていなかったと思います」

「だからなんだというの!あなた、それで本当に反省しているの?」

「…」

「もういいわ、下がりなさい」

「…失礼します」

僕もまだまだ子供だな。あんな事でネスティア様の神経を逆なでするようなことを言ってしまうのだから。
実際に子供のくせにそんな思いを抱きながら僕はネスティア様の私室を後にした。

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