§ § §
勇者が来たという話は昼にはもう街中に広まっていた。
それはお使いに出ていたセダの耳にもすぐに届いた。
「ここに勇者様が泊まっているのかぁ……」
買い物帰りに人だかりが出来ている宿屋を眺めて呟いた。
セダが偶然得た情報ではあったのだが、宿屋マリュードの前の通りはセダの通り道でもあったし、
こんなふうに人だかりが出来ていれば、子供だって何があるのか知るのは容易いことだった。
入り口には勇者を一目見ようと押しかけた人で賑わっている。
「ちぇ、ぜんぜん見えないや」
大人たちに混じって、勇者を一目見ようと背伸びをしてみたが、
まだ八つのセダの背では全く見ることができなかった。
仕方なく、セダは頼まれていたワインの入った籠を下げて、家路へと着いた。
セダの住むフロームディアの街は、セリトナ国の南の果てにある街だ。
ここまでは国王の圧政も行き届かず、豊かな自然と供に街は活気付いていた。
が、ここ数年の圧政によって、重い税収に悩まされた近隣の村や街はすっかり寂れてしまい、
南街で活気があるのは今やフロームディアだけとなってしまった。
大人たちは口々にここがルーダの街のようになるのも時間の問題だと言っている。
その国王を倒すために立ち上がったのが四人の勇者で、
そのうちの一人が今、フロームディアの街を訪れているのだ。
「ただいまー」
「おかえりなさい。おつかいありがとう」
セダが帰ると珍しくお客が来ていた。
銀の鎧に身を固めている。セダは驚いて籠を床に落としそうになった。
「こんにちは」
「勇者様……?」
銀の騎士の鎧を全身に纏い、腰には同じ銀の剣を携えている。
勇者はセダの家の居間の椅子に足を組んで腰掛けていた。
「どうしてここにいるの?」
セダは籠をテーブルの上に置くと、目をまんまるくして訊いた。
「マリュードの宿にいるんじゃなかったの?」
「ふふふっ。ちょっとまじないをかけてきただけですよ。あんなに人がいては落ち着きませんからね」
「まじない? すごーい!」
「私は勇者ですから」
勇者が騎士の仮面の下で微笑んだような気がした。
「それにしてもここの店のパンは本当においしいですね。ミルクまで頂いてしまいました」
「そりゃ、お父さんとお母さんが一生懸命作ってるもの」
「まぁ、この子ったら」
部屋の奥から母の声がした。
セダの家は街でも評判のいいパン屋だ。
奥の釜で毎日パンを焼き、焼きたてを売って生計を立てている。
「でもどうして、ここには人だかりができないの?」
「人払いのまじないですよ」
「へぇー、勇者様ってすごいんだね!」
セダは目を輝かせた。その時、お腹がぐーっと鳴った。
「お腹すいた……」
「セダ、晩ごはんまでもう少しだから待ってね」
「はぁい」
素直に返事をして、セドは勇者の向かいに腰掛けた。
「林檎、食べますか?」
勇者は手持ちの鞄の中から林檎を一つ取り出して、訊く。
「食べるー。でもいいの?」
セダはぱぁっと明るい表情をしてから、もらってもいいのかと少し躊躇いがちに訊き返した。
「いいですよ。私と半分こなら、晩ごはんも食べられるでしょう?」
そう言いながら勇者は、腰の剣に手をかけたと思ったらそのまますっと剣を抜いた。
セダはびっくりして後ろにのけぞる。
「わっ」
「おっと、ごめんなさい」
一体何をするんだろうと見ていると、勇者は剣に何やらまじないをかけて、
さっきまで長くて大きかった剣を小さな果物ナイフにした。
そしてそのナイフで林檎を剥き始める。
セダは目を真ん丸くしてその様子を食い入るように見つめた。