§ § §
すっかり日も落ち、空にはたくさんの星がまたたいているというのに、
外ではまだ多くの人が行き交っていた。
ラードルの宿の二階の窓からロゼルは外を眺めている。
「お先ー。なんだか、まだ騒がしいな。この街の人間は眠らないのか?」
シャワーから出てきた、リオネロは濡れた髪をタオルで拭きながら、ロゼルのいる窓際へと近寄る。
首都は眠らない街だと訊いていたが、まさか本当だとは。
「この平穏も四方の魔法使いたちのお陰だと、知っているのでしょうか……」
首都だけが豊かで、首都を一歩出た先々の村や街は貧しく、モンスターに怯えて暮らしている。
だけれども首都に住む誰もがきっとその事実を知らない。
「さあな。知らないからああやって騒げるんだろうよ」
「そうですね……」
「あのさ……ロゼル、本当によかったのか? 一緒の部屋で?」
「ん? なぜです? 一つの部屋のほうがお金が浮きますし……何か不都合でも?」
仮面を外したロゼルは疑問の視線を投げかけた。
リオネロは少し顔を赤らめて、斜め上に視線を逸らした。
「い、いや……不都合とかそんなんじゃないんだけど……。
ロゼル、君は女だろ? で、俺は男だ。……この意味わかるかな?」
「ああ、なんだ。そのことですか。別に、何も心配してませんよ。
リオネロが、私のお風呂を覗いたり、寝込みを襲ったりなんてことするなんて思ってませんし」
ロゼルは満面の笑みを作った。
「リオネロを信じてますから」
「お、俺は何もしないけど」
「それに……もしリオネロがそんなことをしたら、私の剣が切り裂きますよ?」
リオネロは苦笑しながら青ざめた。
もとから、そんな勇気など持っていないが、からかわれているのだろう。
「お、俺は、何もしないって。そ、そういやさ、どうやって門を開けさせたんだ?」
リオネロは半ば無理矢理話を逸らした。
リオネロの問いにロゼルは布で隠している額を指差す。
「紋章を……見せただけです。あれが勇者の通行証みたいなものなのです」
「見せて大丈夫だったのか?」
「ええ。そうすることで他の勇者にも首都へ着いたことを知らせることもできますから」
「そっか……。ロゼル、シャワー浴びてきなよ。明日、城に行くんだろ。早く寝ないとな」
「その前に……リオネロに話があるのですが……」
「話?」
リオネロは暖炉の前の椅子に腰掛けた。
ロゼルはもリオネロの前の椅子に腰掛け、真面目な顔を作り、リオネロをまっすぐに見つめる。
「ここまで、一緒に来てくれてありがとうございました」
唐突に頭を下げたロゼルに驚いて一瞬思考が飛んだ。
「ちょ、ロゼル? 一体どうしたんだよっ。
勇者が一市民に簡単に頭下げるなんてどうかしてるって。ほら、早く頭上げて」
ロゼルは頭を上げて、口を真一文字に閉じたまま視線を落とした。
「ここまで来られたのはリオネロ、あなたのお陰です。
ほんとうになんとお礼を申したらよいものか……」
「俺は道を案内しただけだ。ここまで付いて来たのは俺の我が儘だし、
正直言って足手まといにしかなってなかったし。
……と、とにかくさ、感謝されるようなことはしてないんだってば」
「それでも……それでも私は助けられて来たのです。
リオネロに助けられながらここにたどり着きました。
私ひとりではとてもここまで来られなかった……っ。本当に感謝しているのです」
「ロゼル……」
勇者として、ひとりで戦うと決めた少女。
俺はほんとうに少しでも役に立てたのだろうか。
彼女の背負う運命の重みを少し軽くしてやることくらいは出来たのだろうか。
「ロゼル……。死ぬなよ」
口から出た言葉に自分でも驚いた。
でもなんだか遠くに行ってしまうような気がしたのだ。
ロゼルは一瞬きょとんとしてから哀しく微笑んだ。
「って何言ってんだろうな、俺。勇者が死ぬわけないよな。あははは、ごめん」
リオネロはそう言って笑った。
誤魔化そうと笑ったのだけれど、乾いた笑いにしかならなかった。
「明日は私ひとりで王の城に向かいます。ここでリオネロとはお別れです。
長い旅でしたが──お世話になりました」
「そうだな」
リオネロは寂しげに俯いた。
まさか自分が寂しいなんて思うとは思っていなかった。
勇者を首都に送り届けた今、リオネロの目的は達成された。それ以上に何を望むというのだろうか。
リオネロは椅子から立ち上がって、ロゼルの肩を恐る恐るそっと抱きしめた。
ロゼルがびくっと驚いたように身じろいだが、次の瞬間には力を抜くのが分かった。
「ロゼル、俺たちはここで別れる。だけど、俺たちはずっと友達だ。
必ず、魔法使いを倒して、平和な国にしてくれ」
「……ええ。約束しましょう。私とリオネロは友達です。
いつかまたこの国に平和が戻ったなら……。その時また、会いましょう」
ロゼルは震えていた。
小刻みに、触れていないと分からないほど微かに震えていた。
「必ず、また会おうな」