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夜を迎え、マリュードの宿だけでなく街中がしんと静まり返っていた。
人払いをした部屋はぼんやりと落ち着いた雰囲気で、ランプの火がゆらゆらと照らしていた。
その部屋の奥で勇者は一人、シャワーを浴びていた。柔らかな蒸気が体を包み込む。
ここは穏やかで活気に溢れた良い街だ。
フロームディアの地を踏んだ時から、そんな気がしていた。
人も気候も、素敵なところだと思う。
全てが終わったらここに住みたいなあなんて髪を洗いながらぼんやりと考えた。
悪魔に出逢った後だからかもしれないけれど。
昔はセリトナ王国の全ての村や街が今のフロームディアのようだったのだと聞いている。
なにせ勇者が生まれる前の話だから、ぴんとこないのだが、
十数年前に王が病に倒れられてからというもの、この国はすっかり疲弊してしまった。
度重なる重税、税が払えなくなった村や街からは働き手の男たちや、若い娘が召し上げられ、
不作続きによるモンスターの凶暴化、それゆえ四方との交易も少なくなった。
交易が少なくなるにつれ、収入が減り、税が払えなくなる。
そうして、負の連鎖が続いているのだ。
それもこれも側近の魔法使いが王の代わりに政(まつりごと)を行っているせいだとされている。
このままでは、民も国も全てが終わってしまう。
先代がこの星に降り立ってから築き上げてきたもの全てが失われてしまうことになる。
それを避けるために、阻止するために、私たち勇者は悪魔と契約をし、首都を目指しているのだ。
白い肌を滑る泡を洗い流しながら、右手で胸に刻まれた紋章をなぞる。
そしてその前でぎゅっと拳を握った。
勇者は私を含め、四人。
皆、赤ん坊の時に勇者の印を刻まれ、共に勇者となって国を救うことを誓わされていた者達だ。
彼らは誓いの後、各地に飛ばされた。
王なき今、民を救えるのは彼らしかいない。私が次に彼らと会うのは、王の城だ。
南の勇者とて、彼らの名も顔も覚えてはいない。
だが、生きているかどうかくらいは剣に飾り付けられた石を見ればわかる。
勇者は果ての地で悪魔と契約をした後、各々の武器を与えられるのだ。
実際私も、一番得意とする剣を貰った。
その柄に付いた飾りの石は、何もなくても光り輝き、その輝きは勇者の命を示していた。
シャワーを止め、湯に浸かる。
右手で胸の紋章を触り、それから額にも手をかけた。額にはまた別の紋章がある。
こちらは忌々しい呪いの紋章。
少し視線を落として記憶を消すように曖昧に思考を乱し、揺れる湯を眺める。
思い出したくない記憶など思い出さずに消してしまえばいい。
金の髪が乳白色の湯に浮かんで、それは綺麗だった。