小説『Brave of Seritona -南の勇者の物語-』
作者:愛音()

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「よく来たな」
 
 洞窟に入ると、くくくくと嗤う薄気味悪い声が響いていた。

「よく来たなだって? 人の気も知らないで……」

 口からそっと漏れたのは最早、嘆きと呆れの声だった。

「くくくくく。待ちくたびれたぞ。来るならもっと早く来い。
 逃げ出したかどこかでモンスターにでも食われたかと思っていたところだぜぇ」

 嫌悪の表情で睨みつけながら奥へと入る。
 不気味な声は洞窟にいつまでも反響していた。
  




 一ヶ月ほど前、南の最果ての島にある悪魔が棲むという洞窟に、勇者はいた。


 勇者はここで悪魔と契約をすることになっている。
 何も来たくて来たわけではないし、勇者でなければ、
 こんなところまできて悪魔と契約したりなんかしない。

 勇者は小さくため息を吐き出した。

「南の勇者、お前が最後だ。名を名乗るといい」

「ロゼル=ロベルタ」

 勇者は悪魔を睨みつけながら名を名乗る。正式名を言う必要などあるまい。

「ロゼル……珍しいな」

「なにか問題でもあるのか」

「いや……別に。そうか。くくくくく」

 悪魔は嗤う。何が可笑しいのか、不気味な笑みを浮かべて嗤う。

「いいだろう。覚悟は出来てるんだろうな? 別に覚悟なんて薄っぺらいものねえほうが、
 痛みを感じねえとは思うけどな」

 嗤いながらそう言い、後から
「覚悟のねえやつは、痛みを感じる間もなくすぐに死んじまう」と不気味に口の端を吊り上げた。

「くだらん話はもういい。さっさと始めてくれ。私は一刻も早くここから出たい」

 ぷいと悪魔から目を逸らし、不機嫌そうにロゼルは言った。

「そうか。残念だ。そう死に急ぐ人間は嫌いじゃないぜえ。まぁ、そう急ぐこともねえと思うがな。そこに座れ」

 悪魔は洞窟の壁に作りつけられたような石の椅子に、勇者を促した。
 素直に従って座ると、肘掛に置いた両手が何やら黒いもので縛り付けられた。

「……っ……こういうことか」

「どうせ一瞬で終わる……ロゼル、お前はただ、そこで目を閉じていればいい」

「信じていいんだな?」

「くくく……悪魔なんざ、信じるもんじゃねえぜえ。信じるのは自分自身だけにしときな。
 耐えられるか、耐えられねえか、俺の知ったことじゃねえ……くくくくく」

「……それもそうだな」

 そう吐き出して、ロゼルはゆっくりと目を閉じた。


 そして激しい痛みと共に額に契約の証である紋章が刻まれたのだった。



 胸に刻まれたのは勇者の証、額に刻まれたのは悪魔との契約の証。

 そしてそれは誰にも見せてはならない。彼らの名もまたしかり。  




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