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翌朝、日の出と共に宿を出ると、昨日の見張りの男が籠車に乗ってくるのが見えた。
男は宿の前に止まると、籠車から瓶のたくさん入ったケースを降ろした。
どうやらミルク売りの配達らしい。
「おはようございます」
「やあ、おはよう。随分と早いんだね。もう発つのかい?」
重そうな瓶を何ケースか降ろしながら男はにこやかに訊いた。
「ええ。先を急いでるんです」
「そうだ、おじさん。俺たちこの先の砂漠を渡りたいんだけど、ジュノの賃貸屋ってまだやってる?」
ロゼルの隣でリオネロが訊ねる。
「砂漠の向こうに行くのか。いや……もうやってないな。
ジュノはいるが主人は半年ほど前にこちらに引き上げたはずだ」
「そうかあ……そのジュノって借りられる?」
「ああ、借りるには借りられるが……ここからジュノのところまではだいぶ距離がある。
歩いて行けば着く頃にはもう夜になっちまう」
「そんなに遠いの? まいったなあ」
リオネロは困ったような表情を浮かべ、頭を掻いた。
夜になれば砂漠は大型の獣類やモンスターが大量に動き始める。
その前になんとか砂漠を渡ってしまいたい。
「……乗せていってやろうか? 丁度ここで配達も最後だし。籠車なら昼前には着くはずだ」
その言葉にリオネロもロゼルも目を輝かせた。
「いいの? ありがとう。おじさん!」
「ありがとうございます」
籠車はファステゴと呼ばれる中型は虫類二匹が引いていた。
ファステゴはやんちゃで肉食だが人間に危害を加えることは滅多にない。
二足歩行で緑がかった皮膚と大きな目が特徴だ。
ジュノの賃貸屋があった砂漠の境目に着いたのは、日がすっかり昇りきった頃だった。
「おお、ここだ、ここだ」
ジュノの賃貸屋はなんとも簡素で、ジュノを括り付けておく事が出来るだけの小屋があるだけだった。
今は使われていないらしく、ジュノの姿は見当たらない。
というかジュノという生物自体見たことはないのだが。
「本当にここなんですか? 生物の姿が見当たりませんが」
「なぁに、もう半年も商売してないんだ。ここに括り付けておくわけにはいかんだろう。
心配するな、ジュノならそこら辺にうようよいる」
男に言われて、砂漠のほうに目を凝らすと、割と近くに群れを成している生物の姿があった。
黄土色の体は太古に生きたという恐竜の一種を思わせるほど、大きく、首は長い。
少し飛び出した口と黒い丸く大きな目、丸みを帯びた二つの耳。
不思議なことに足は、体の両側面に大きなひだがあるだけで、どうやらそのひだで移動するらしい。
地面に着いた腹は甲羅のように硬そうに思えた。
天に向けて立てられた尻尾は長く、サソリのように翻っている。
「あれがジュノだ。どれでも気に入ったのを借りるといい。
こいつらは向こう側とこちら側の両方で群れを作っている。
ときどき、双方の群れが入れ替わるんだが、自分と同じジュノ同士ならどちらの群れにも仲間になれる」
「ってことは、向こうに着いたら、向こうの群れに放してやればいいってこと?」
リオネロが感心したように言った。
「そういうことだ。ジュノは温泉好きだ。たくさん走らせた後は温泉に入れてやると喜ぶ」
ロゼルは、おとなしそうな一匹のジュノに近づき、その頭と首を撫でた。
「……こいつにしよう。あの、代金はどうすれば?」
「ああ、今は休業中だし、いいよ。タダで」
男はにこやかにそう言った。タダという言葉にリオネロが嬉しそうな顔をした。
「ほんとかよ? ほんとにいいんだな、おじさん!」
「あぁ、賃貸屋の主人だって文句は言わないだろうよ。
今のこの時期に砂漠を渡ろうなんて人間滅多にいないからな」
「ありがとうございます」
それから、男は賃貸屋の小屋から、手綱とジュノ用の鞍を取り付けてくれた。
「よし、これでいいだろう」
「何から何までご親切に……本当にありがとうございます」
大型のジュノに乗り込みながら、礼を言う。
「ありがとうな、おじさん」
「いいってことよ。……あんた、勇者様だろ、どうかこの国を元のような素晴しい国に戻してくれ」
男はロゼルに向かってそう言った。その目には切実なる願いが見て取れた。
「気づいていたんですね……。ええ、必ず!」
そう言ってロゼルが手綱を引くと、ジュノは砂煙をあげながら砂漠を走り出した。