廊下を歩きながら、乙は物思いに耽っていた。
『…何をやっているんだ…。
この俺が調子を狂わされてる?
…馬鹿な…』
気が付くと針子部屋へ来ていた。
はぁっと深くため息をつくと、ドアの壁に保たれスルスルと崩れるように床に腰を落とした。
肩膝を立て腕に突っ伏するように俯く。
先程の瀾の顔がチラリとよぎる。
とっさに振り払ってしまった手。
驚きとショックを隠せない顔…。
別に好きとか恋愛感情があるわけじゃない。
ただ、気を緩めていた自分が許せなかった。
「……」
『…水風…舞緋流…』
あの母親に似た舞緋流の眼差し。
『…どうして…
たかがメイドの瞳一つで俺がここまでペースを崩される…』
女の瞳など沢山見てきた。
なのに、喉に引っ掛かった魚の骨の如く胸の中でモヤモヤと渦巻いている。
コツコツ…
足音がこちらに向かってくる。
ピタリと乙の前に止まると、乙に視線を送る。
顔をあげると舞緋流は、不思議そうに微かに小さく小首を傾げた。
不意にまた母親の瞳と重なり、スクッと立つと舞緋流の手を取り鍵で扉を開けると舞緋流を部屋に押し込む。
そして、小さくポツリと乙は呟いた。
「…何処に…行ってんだょ…」
「…え?」
「何処に行ってたんだって言ってるんだ!!!」
急に声を荒げ、ハッと我に返ると罰が悪そうに目を反らした。
「……ッ…」
『…何で…こんな奴に…』
舞緋流は少し驚いたようだったが、静かに両手を伸ばすと顔を背けている乙の頬に添え、微かに微笑んだ。
「…待っていてくれたんですか?
優しいんですね…」
「…ッ!!!!」
──ドクン…!!
舞緋流の言葉に目を見開き言葉を失った。
舞緋流の瞳に映る自分を見つめながら、乙の脳裏は幼少の頃へといざなった。
この部屋で頭を撫でながら母親が優しくかけた言葉…。
セピア色に染まった母の包むような微かに弱々しい笑顔…
温かな手の温もり…
ドクン…ドクン…ドクン…
カチ…カチ…と響く時計の秒針と重く響く胸の鼓動がリンクする。
「…ぁ…ッ…」
ドクン…ドクン…ドクン…
乙には鼓動の音が部屋全体に響いて、その脈に合わせて振動している感覚にさえ感じる。
「…きの・・──ッ!!」
不思議そうにしている舞緋流が、名前を呼び終える前に乙は彼女を強く抱き締めた。
「乙…様?」
「……ッ!!」
抱いている腕に力が入る。
舞緋流は苦しそうに口を開く。
「き・きの…苦し…」
「…ッ…かぁ…さん…」
「!!!」
舞緋流の耳元で無意識に乙は、小さく囁いた。
微かに震えているのが解った。
舞緋流はフッと目を伏せ自分の腕を乙に回すのだった…。