どのくらい時間が経ったのだろうか。
遠くから声が聞こえる気がした。
「…っ、…み…」
その声は、朧気ながら近づいてくるような間隔さえある。
微かに耳を擽るような小さな声とペチペチとさほど痛くない衝撃が頬に伝わる。
「…ぅ…ん…」
ゆっくりと薄ら目を開けると、目の前には背後の光に包まれた白いベースに小さな紺色のリボンが霞んで見える。
少しずつ視界が定まってくると、それが蝶ネクタイだということが解った。
そして、ここが車の中だということも。
「気が付いたか?」
静かな聞き覚えのある声。
顔を上げ、声の主の顔を瞳に入れる。
サラリと揺れる髪。
光に包まれて瀾を覗き込んでいたのは、紺色のタキシードを纏った乙だった。
「乙…様…?」
慌てて起き上がると、頭にズキンと痛みが走る。
まだクロロホルムの余韻が残っているのか、頭の中がクラクラと揺れる。
「…痛…」
頭を押さえると肌ではない感触が額をなでる。
ふと自分を見ると、綺麗なドレスを身にまとい、シルクの手袋をしている。
「これは!!」
「さ、行くぞ」
不意に乙は瀾の手を取る。
「あの!!乙様!!」
「何だ?そのドレスが気に入らなかったのか?
ならこっちを…」
何事もなかったように、当然のようにクールに口を開くと他のドレスを手に取る。
「あ・あの…そういう事では…なくて…」
「何だ?他に何かあるのか?」
自分の今おかれている状況を全く理解できず、困惑しながら不安そうに質問を投げる。
「あの…ここは…?」
「伯父の社交界に招待を受けて、その会場だ。」
淡々と質問に答える乙。
瀾は俯きながら、さらに質問を投げた。
「…ど、どうして…私を…」
「シングルで行くと色々とうるさく面倒なんでな。
適当な相手も居なかったから俺の専属のSPに頼んで、お前を連れてきたまでだ。
まぁ…、連れてくる際に少し手荒に扱われたらしいが」
チラリと乙は運転手を見ると、あの時にいた黒服の男が顔を覗かせ静かに口を開く。
「申し訳ありません。
丁重に伺う予定でしたが、いたく抵抗されてしまいまして・・・
手段は選ばないと聞いておりましたので致し方なく…」
また瀾に視線を向けると、
「…だ、そうだ」
少し困ったように俯くと乙に向け口を開く。
「あの、でも…私…」
「心配するな。
何故、俺を避けてるのかは知らないが、俺といるのが嫌だろうが関係ない。
今夜は俺に付き合え。
お前は今日の俺にとってアクセサリーみたいなものだ。
黙って俺に着いてくれば良い」
アクセサリー…。
所詮、乙にとって自分はその程度なのか…。