小説『アールグレイの昼下がり』
作者:silence(Ameba)

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──バイクのアクセルを強め風を切り、乙は先程の車の事を考えていた。
 
[8−(エイトアンダー)]
第8機関 特命SP特殊部隊と呼ばれるその機関は普通のSPと違い、その存在は内部の中でもごく一部の人間しか知りえない特殊な機関だ。
つまり、世間には表ざたに出来ないような情報収集や処理・任務をこなすのが彼らの仕事だ。
月影家が特別に契約をしているので、もちろん乙が動かす事も可能だが主に輝李が所有している。


『あの時、車には輝李が居なかった…。
という事は、今回は日本には来ていないという事か…。
たかが女一人に、わざわざ日本には来ないだろうな』


輝李が8−(エイトアンダー)を動かす理由はたった一つ。
リアがこの先、あの別宅にいた少女と同じ末路が待っているのは目に見えていた。

なぜ、乙が動かなかったのか…。
それは動かなかったのではなく、動けなかったからだ。

8−(エイトアンダー)の司令優先は重要さの重みではなく司令順なのだ。
そして、任務遂行は失敗が許されない。
つまり今、乙が動くには、あの部隊を相手にしなくてはいけなくなるという事だ。
数人とはいえ邪魔をすれば乙といえども、ただでは済まない。
その事を解っていて、あえて輝李もあの部隊を動かしているのだ。


いつからだろうか…
輝李が、あんな風になってしまったのは…。

昔は、遊ぶ暇さえなく勉強をさせられていた乙のために花壇の花を持ってきたり、自分のお菓子を半分残して持ってきたり。
(別冊『アールグレイの月夜』参照)

あんなに優しく、いつも乙の後を追いかけては笑顔の絶えない妹だった。


『やはり原因は俺だろうな…』


乙は、目を細め更にアクセルを強めた。
ふと過去の記憶が通り抜ける。

純粋無垢で甘えん坊だった輝李。
道端で捨てられていた子猫を拾って来ては、メイド長や執事に反対され半泣きで乙にすがりついて、仕方なく部屋でこっそり飼っていた事もあった。

あの時…、もっとハッキリと気が付けば良かった。
一人称が『私』から『僕』に変わった時に…

他にも沢山の変化があったはずなのに…。
もっと詰め寄って、話を嫌でも聞き出せば良かった。

そして…あの時…手を伸ばさなければ良かった…。

「乙…」

あの時の輝李の声が蘇る。
弱々しく、捨て猫のように寂しく乙の代わりに流した一粒の涙が、乙の心にポタリと堕ちて溶けていくようだ。
切なく、ほろ苦い一滴…。

『輝李…』

乙は、何かを払うようにバイクを走らせて街を抜けていった。

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