じゅうさんわ―――野球してたんじゃないんですか?
「ふぁーあ、ねみ」
目に大粒の涙を溜めながら零は大きく欠伸をかく。
「私も眠いです」
「ったく、お前に所為で夜まで勉強する羽目になっちまったじゃねーか」
椎名の開いた勉強会(?)が終わったのが夜の7時、柊と栗歌は自転車で帰り、方向が同じ零と椎名は同じ駅の帰路に着いているところである。
「勉強は悪いことではありませんよー」
「ちゃんとやればな、倫理で2時間かかる奴があるかよ」
舌打ちをしながら零は言った。
「でも、ちゃんと覚えました」
「ホイジンガ、何だ?」
零は意地悪く笑うと椎名に問題を提示する。
「・・・し、知ってます」
「答えを言えっての」
「後でまた覚えます」
「覚えてねーじゃねーか、頭の容量が悪すぎだな」
「零君はどうなんですか? いつも後ろで寝てばかりですけど」
プーと頬を膨らませた椎名は目線を零に移す。
「残念ながら、お前とは頭の出来がちげーんだよ」
人差し指で零は頭をコンコンと叩く。
「じゃあ、明日も勉強会手伝ってくれますね」
「はぁ!? やんねーよ面倒くせぇ」
「やってくださいよー」
「くだんねー」
椎名のしつこい勧誘の嵐を耳を塞ぎながら歩いていると、暗い路地から何人かの人影が零たちの通路を塞ぐように立ちはだかる。
それに気がついた零は五月蝿い椎名をよそにチラリと前方に視線を移した、見ると黒いフードで顔を隠した男共である。
(なんだあいつ等?)
零は気になったのだが、こっちが何もしなければ良いだろうと思い横を過ぎ去ろうとした。
その時。
ブンッ!!
「ち」
突如フード集団の1人が手に持った金属バットを零たちに向かって投げつけた、警戒を怠らなかった零は咄嗟に椎名の背に手を回し、前へと飛び出す。
敵を捕らえることが出来なかった金属バットは先にある電柱にぶつかり金属独特の高い音が響く。
「何しやがんだ?」
低い声とギンと殺気を含む鋭い視線で敵を威圧する、何人かはそれで数歩後ずさるが。
(少し出来る奴もいるみたいだな)
中心にいる何人かは零の威圧にしり込みすることなく手に持つ凶器を手中でもてあそぶ。
「おれらさー、金が欲しいんだよねー、良かったら財布貸してくれない?」
その中で真ん中にいる男が漆黒の中から声を出す。
「生憎、金を渡す気はねーよ」
「え〜、じゃーしょーがないからー、君の連れ、こっちに渡してよー、それで勘弁したげる」
男は椎名を指差す。
「零君」
指を指された椎名は零に問いかける、わかってるといいながら零は椎名を後ろに下がらせる。
「椎名、そっから離れんなよ?」
「そんなことより早く帰りましょうよー、お腹すきました」
零は予想すらしていなかった椎名の言葉に危うくずっこけそうになる。
「はぁ!? 何言ってるのお前、この状況わかってんのか!?」
「私が指差されました、少し腹が立ちますが、それが何か?」
「さっきバット投げられただろうが!」
「え・・・野球してたんじゃないんですか?」
「〜〜〜〜〜っ!」
零は天然すぎる椎名に発言に頭痛を覚え額に手を置く。
「で〜? どうするわけ?」
少し面白かったのかクスリと笑い声か聞こえる、だが、その男だけは冷静に少し惚けた調子で零に言う。
「もってって欲しいんだけど・・・お前らみたいな奴には渡す気なんてさらさら無いからよ、さっさとどっかいってくんねーかな?」
その言葉とほぼ同時に男は手に持つ金属の棒を振り下ろす。
ガッ!
「おいおい、いきなりは無いだろ?」
振り下ろされるはずの金属の棒は零の片手にがっしりと捕まれミリ単位すら動かない。
男は諦めたように棒から手を離す、そして。
「力ずくでも良い、生意気な口をきいたあのガキを潰せ」
先ほどの惚けた口調ではない、それを聞いた後ろの雑魚がゾロゾロと零のほうへと迫る。
「くだんねー」
零は迫る男の集団を睨み付ける、だが、微動だにしない男の命令の所為もあるのか、したっぱの奴らにすら、威圧は通じないようだ。
零が一歩踏み出し敵の先頭を潰そうしたとき、フラッシュバックのように脳裏にあの時と似ている情景が浮かび上がる。
血みどろの姿のまま人の残骸の上に立っている自分、その目は虚ろで雨の降りしきる中空を見上げ、涙が雨に紛れて流れている、灰色の空、灰色の自分、それを彩るのは鮮血だけであった。
「っ!」
突然浮かんだ景色に零は一瞬よろめく、それをチャンスと思った男は次々と零に向かって凶器を振り下ろす、だが。
「くだんねーんだよ!」
その隙すらも与えないように零は叫び振り下ろされる凶器を腕一本でなぎ払う。
余りの衝撃に男たちの手に持つ金属バットは弾き飛ばされ、宙を舞い地面に落ちる。
それに気を取られていた男は零の接近を安易に許してしまった、零は男の溝うちに一発叩き込む、男はガクリと膝を突くが、零は追撃をかけるかのように顔面に突き刺さるような蹴りを叩き込んだ。
男は弾かれたボールのように吹っ飛び仲間の方に突っ込む、余りの速さに仲間も支えきれず。次々と倒れていく。
残ったのは動じなかった何人かの男だけ。
「まだやるか?」
先ほどとは雰囲気が違う、男はそう悟った、このままでは自分たちもやられるであろう、それよりは今の現状を“あの人”に伝えたほうが良いと男は思った。
「いくぞー、喧嘩は終わりだー」
そう言うと男はクルリと踵を返し歩いていってしまった、それに続くように下っ端も何とか起き上がりその男に着いて行く。
残ったのは零と椎名だけ、零は制服のボタンを幾つか外す。
「椎名、けがねぇよな?」
零は脇にバックを挟みながら椎名に聞く。
「はい、大丈夫です、それより零君は大丈夫ですか?」
「あ? 俺は怪我も何もしてねぇよ」
「そうですか? 悲しい目をしてますよ?」
椎名のことばをきいた零は自分の目元に手を置く、別になんとも無い、いつも通りだ。
「気のせいだろ?」
「そうですか?」
「そうだよ」
面倒くさいように零はさっさと歩き出してしまった、その後を追うように椎名は小走りで零の後を追った。
「ええ、はい、そうですー・・・去年より少し腕は落ちていますがー、あの威圧は本物ですよー・・・うちの所はかなりの人数が怪我をしてますー、後でお金請求しますからよろしくですー、はいじゃあ、これで・・・白乕(しろたけ)さん」
そう言うと男は携帯を切った、だが、フードの中の表情までは読み取ることが出来なかった。