小説『【完結】Cherry Blossom』
作者:bard(Minstrelsy)

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虚を突かれた、とはこういうことなのかもしれない。
伝えたい事があるのは、彼女も同じだったとは。
言いたいこと、言わなきゃいけないことは何なのか、それを質すことさえも出来ない。
彼女のコートが風に翻り、月がそれを煌々と照らしている。
「実はね、私……進路決まってた」
そんなことか、と言いそうになる。ただそれだけか、と。
そう思って初めて、俺は彼女から進路の話を一切聞いていなかったことを思い出す。
「気を遣って言ってなかったって訳か」
乾いた声で、問う。
「それもあるけど……そうじゃない」
しばらく彼女は俯き、決心したように顔を上げる。
「推薦で、女子校行くことになった」
「……そうか」
「学校も遠いから、四月から一人暮らし」
「……そうか」
「こうやって遊んだり、一緒に学校行ったりってのも、これで最後」
声が震えているのは、寒さのせいだけでは無いのだろう。
「だからね、今日遊びたかったの。今日言おうって、そう、思ってた」
震えているのは、声だけではない。
だから、俺は努めて明るく言うしかない。
「別に、いつ言ってくれても良かったのに。友達に推薦で決まったって言ってるのも居るし」
明るく、伝えるしかない。
「二度と、逢えなくなる訳じゃない」
彼女は俯いて黙る。
俺はかける言葉が見付からない。それが口惜しい。
風が、僅かに開いた桜の花びらを奪い、散らしていく。
「――あっ」
彼女が弾かれたように駆け出す。
散った花を追って、駆ける。必死に手を伸ばし、儚く舞う花びらを掴む。
そしてそのままバランスを崩し、歩道の段差から足を踏み外した。
「……っと……何やってんだ、お前は!」
その身体を、寸前で抱き止める。咄嗟に身体が動かなければ、間に合わなかった。
何が起こったのか解らないのか、彼女は不安定な姿勢のまま動かない。
大きく息をつくと、俺に身体を預けてくる。
腕を解けば崩れてしまいそうな彼女。俺は動くに動けない。
「覚えてないかなぁ……」
そんな俺に構わず彼女が言う。背を向けたまま、ぼんやりと。
「何を」
「ちっちゃい時さ、こうやってみんなで花びら追いかけてたの」
そういえば、小学生の時分にそんなことをしていた気がする。何で、そんなことをしていたんだろう。
「こうやって、空中でキャッチしたらさ、願い事叶うって」
それで、俺も、彼女も、みんなも、必死になって追いかけていたんだっけ。
「願い事、叶うかなぁ…」
力なく笑う彼女。小刻みに震える肩。
溢れ出た雫が、俺の手を濡らす。
「叶うさ」
「そうだと、良いな」
無理して笑おうとしているのが痛いほど解る。その気持ちが頬を伝って、こぼれ落ちる。
何度拭ってやっても、彼女の涙は止まらない。
こういう時、ドラマだと気の利いた台詞の一つや二つを言うところだろう。だけど俺には、出来ない。
言う資格も、無い。
泣かないでくれ、ときつく抱き締めてやることしか出来ない。
昔からそうだった。
彼女が泣く度に、俺はどうする事も出来なかった。
ただ傍に居て、泣き止むのを待つしかなかった。
あの頃から俺は何も変わっていない。
「言えば、良かったんだ」
彼女は途切れ途切れに言う。
「素直に、最初から、寂しくなるって」
声に涙を混じらせながら、絞り出すように。
「言わなきゃ、ずっと、一緒に居られるって、そう思って――」
そこから先は言葉にならなかった。
堰を切ったかのように嗚咽が漏れる。
ずっと堪えていたものが、溢れ出したんだろう。俺はそれに気付いてやれなかった。
少し、ほんの少しだけでも注意していれば、きっと気付けたのだ。簡単なことなのに。
(……そうじゃないか)
本当は気付いていたのかもしれなかったのに、気付かないふりをしていたのかもしれない。
無意識に関係ない、知らないんだと。俺自身気付くのを避けていたんだろう。
気付けば、何かが変わってしまうと。
もう戻れないところに行ってしまうのではないかと。
怖かった。
変わることが、戻れないことが、先に進むことが怖かった。
風に流されてきた花びらを掴む。
頼りなく、儚い、その桜の花びらに、たった一つの想いを込める。
変わることを恐れない。
だから、戻らないという覚悟。
そして、進んだ先へ想いを繋ぐ。
「約束しよう」
そっと彼女の身体を離す。濡れた瞳が、訝しげに俺を見る。
「帰ってきた時は、必ず連絡しろよ。そしたら、また今日みたいに遊びに行こう」
向こうで彼氏が出来たときはしょうがない。そう付け加えると、彼女は困ったような笑顔を浮かべる。
「いつもの場所で、待ち合わせして、好きなところへ行こう」
仰いだ先には、桜の木。いつもの、待ち合わせ場所。
「……忘れないでよ?」
「俺は平気だ。だけどお前、忘れっぽいから」
「絶対忘れない。覚えてるから。そっちこそ……覚えててね?」
別の涙が彼女の瞳を濡らし、頬を伝う。
「約束だ」
小さい子供みたいに小指を絡ませる。
二度と逢えない訳じゃない。ただ少し、離れる時間が増えるだけだ。俺達は何も変わらない。
ただそう伝えたいだけなのに、上手く言葉にならない。
「参ったな……どう言えば良いのか……」
迷った時間は、少し。
俺は彼女の涙をもう一度拭ってやる。
そして、伝えたい言葉を唇に乗せて、そのまま引き寄せる。
閉ざした瞳。微かに震える肩。
感じたのは、コーヒーのほろ苦さ。それと、ミルクティーの甘い味。
言葉はもう、必要なかった。

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