小説『遊園地』
作者:aya(午後4時の月)

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 そもそも僕のような、年も二十七のいい大人の男が、女の子も連れずに一人で遊園地にいること自体がかなり不自然なものだろうことは明らかだった。
 しかし僕は自分のアパートで昼食を食べたら、そのあとぶらっとこの遊園地を散歩することを日課としていた。
 毎日同じことをやっていれば、そんな不自然さも日々の中に溶け込んでいく様に同化して、あとには穏やかな遊園地の風景だけが残った。
 僕の住んでいるアパートはこの遊園地から五百メートル程しか離れておらず、人通りの少ない閑静なところにあった。
 高校を出てからすぐ親元を離れそのアパートに移り住み、もう十年もそこで一人暮らしを続けている。
 部屋に女の子を連れこむことは殆ど無く、あるとすればまあ高校の頃の同級生が何人かで、たまにワイワイと遊びに来る時ぐらいのものだ。それも必ず男女一緒に来る。
 なかなか彼女ができない理由というのは、僕がなんの取り柄も無く顔もいまいちパッとしないということ以前に、僕の職業に問題があるようだ。
 僕の仕事はミステリー小説を書くことであり、ちっとも売れてやしないからこんな風に言うのは恥ずかしいのだが、一応ミステリー作家という肩書きを持っている。
 まあこんな売れない小説を書き続けているだけじゃ食べていけるわけがないから、朝早く起きて新聞配達のアルバイトをして、なんとか生活を賄っている。
 いつも部屋に閉じこもりっきりで小説を書いているんじゃ、女の子との出会いのチャンスなどあるわけがないし、朝五時に自転車で街中を走っても、それもまた然りだ。おまけに暇があっても何処かに遊びに行こうともしないし、遊べる友達が僕にはいないのだ。
 でもまあ今の生活に大きな不満があるわけでもない。
 とりあえず平和で穏やかだし、これといった困難もない。
 ただ時々、耐え難く、形のない焦りと空しさを覚えることがある。それも決まって、夜中にふと目を覚ました時だった。
 何故だか、自分が毎日やっている全ての事―ミステリー小説を書いたり、新聞配達をしたり、遊園地を散歩したり、何処にも出掛けなかったり、誰とも口をきかなかったり―が、本当は正しくないことなんじゃないだろうかという気がするのだ。
 どうしてこんな風に思うんだろうか。
 自分の日常が正しいか正しくないかなんて考える必要のないことだし、少なくとも僕の生活は言ってみれば正しいんだ。
 しかしどう自分に言いきかせようとがんばってみても、結局僕を立ち直らせるのは、その後の眠りと朝の光でしかなかった。
 そうやって時の流れに体をあずけながら、また繰り返し耐え難い焦りを感じていくのだ。それが僕の日常なのだ。
 ある時にいろんなことを考えることがあったり、何かに思いをめぐらせて哀しくなったりすることがあっても、それは日常生活というレベルにとどまり、それ以上になることはない。
 日常生活というものに、何もかもがすっかり同化してしまっているのだ。そしてそれらは、いつでも取り出せる様な場所に、当たり前のように存在している。
 全ては「日常生活」だ。

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