小説『遊園地』
作者:aya(午後4時の月)

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 だが、僕は今、日常生活ではあまりお目にかかることができない場面に遭遇していた。
 クマが文庫本?
 まあ普通に考えればその人は単に仕事をさぼっているか休憩しているか、それだけなのだろうが、その時の僕の頭の中は上手く機能することが出来ず、ひどく混乱していた。きっと日常生活以外のものをあまり経験したことがないせいだろうと僕は思った。唯一混乱した頭の中で、何故その手で本のページをめくる事が出来たんだろう、とバカみたいにはっきりと考えていた。
 思いがけない奇妙な場面に遭遇して、頭が混乱した時などは、結構そうゆう場違いな考えが頭に浮かぶものだ。
「よく本がめくれましたね、そんな指も殆どないモコモコの手で」
 僕は無意識にそう訊いていた。何故そんなどうでもいい事を本当に訊いてしまったのか、自分でも驚いたのだが、何故か無性にそれが知りたくてたまらなかったのだ。
 するとクマはしばらく黙った後、僕の質問に答える代わりに右手を少しだけ僕の方に差し出した。僕はその手をよく見てみた。手の先の縫いぐるみの生地が少しだけ破いてあって、そこから人間の指が植物の芽のように第二関節あたりまでニュッと生えていた。それで僕は納得した。
「ははは、そういう事でしたか。それは考えましたねえ」
 そう言った後の僕の声は、誰にも相手にされないまま行き場を失い宙に漂っていた。
 しばらくの間僕とクマはそのまま立ちつくしていたが、乗り物のある方で子供達のざわめき声が大きく聞こえてくると、クマは僕の横をすっと通り抜けて行ってしまった。
 僕がそちらを振り向いて見ると、クマは子供達の歓声に迎えられながら、実にこなれた縫いぐるみ特有の愛想の良い動きで歩いていた。あっというまに子供達に取り囲まれ、その後はもう腕をつかまれて振り回されたり、体に抱きつかれたりと、すっかりおもちゃだ。しかしクマは嫌そうな顔一つせず(というのは比喩表現だが)、楽しそうに子供達のされるがままになっていた。
 僕はそのなの違和感もない遊園地の一風景を眺めながら、なんともやるせない気持ちになった。

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