小説『遊園地』
作者:aya(午後4時の月)

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 遊園地はいつもと同じ様にこじんまりとあった。
 僕は脇目もふらずに便所の裏に向かった。
 クマは必ずそこにいる様な気がした。そこにいなければならないのだ。
 クマは昨日と同じ様に便所の壁に寄りかかって文庫本を読んでいた。本の題名は昨日と違っていて、外国作家のものの様だった。
 僕は当たり前の様にクマの隣に行き、当たり前の様に同じ格好で壁に寄りかかった。
 クマは昨日とは違って慌てる事もなく、本から顔を上げようともしなかった。
「良い天気だね」
「そうだね」クマは短く答えた。
 クマの声を聞いても僕には男女の区別がつかなかった。
 男とも女ともつかない声で、歳もその声からは読み取れなかった。それはちょうど受話器を通して聞こえてくる音の様に、現実味というものが無かった。
「面白いかい?」
 僕はいつまでも本から目を離そうとしないクマに向かってそう訊いてみた。
 するとクマは僕の質問をきっかけとでもする様に、本をパタンと両手で閉じてポケットにしまった。
「面白くなんかないさ。ただこうするしかないんだよ」
「こうするしかって?」
「気持ちを鎮めるために本を読むふりをしることしかさ。本気で本なんか読んでるわけないじゃないか」
「気持ちが高ぶってるの?」
 僕が訊くとクマはうんざりした様な顔をした。
「君は疑問はなんでも解決しなきゃ気が済まないタイプ?」
「そういうつもりで訊いてるんじゃないよ。そんな意味深な言い方する君の方に問題があるんだ。それに僕には君の事を色々と知っておく必要がある」
 僕が言うとクマは不満そうに口をとがらせた。
「ふうん」クマはそう言って口を閉ざした。
 昼の十二時を過ぎて日差しが強くなってくると、遊園地は少しずつ客が入り始めた。といってもやはりまだ混んでいるとはいえない。
 あまり広さがない遊園地で、乗り物もごくありふれたものばかりなので、元々人気が低いのだ。
「それじゃあまず君の事を聞かせてくれないかな」唐突にクマは言った。
 僕は驚いてクマの顔をまじまじと見つめた。
「僕の?」
「そう。人の事を訊く時はまず自分の方か名乗らなきゃ」
「それはいいけど君、良いのかい?そんなに仕事さぼってて。お客さんもだんだん増えてきたよ」
 僕が言うとクマはふん、と鼻を鳴らした。
「大丈夫だよ。誰もこんな陰気な場所来ない。トイレならもう一つ新しくて綺麗なのがあっちにあるしね」
 それで僕は数少ない自分の身の上話をせざるを得なくなった。
 なんの面白味もない話だ。
 名前は中村慎也。歳は二十七歳。東京生まれの東京育ち。売れないミステリー小説を書いているが、同時に新聞配達のアルバイトもしている。今は一人暮らしだ。毎日昼にこの遊園地に散歩に来る。両足が外反母趾だ。
「空しくないか?」クマが言った。
「まさか。それなりに楽しくやってるよ」
 クマは呆れたといった様に首を振った。
「俺なら嫌だね、そんなのは。生活に潤いというものがまるで無いよ」
 僕はクマの言葉に少しムッとして言い返した。
「でもみんなそんなもんだよ、日常生活なんて。平凡だからこそ幸せなんだ。それとも何だい、バードウォッチングでもしろって言うの?」
 僕が少しむきになって言うと、クマはまた少し首を振って黙りこんだ。
 クマは何かを思い詰めているようだ。
 縫いぐるみの中のクマの顔は一体どんな顔をしているんだろう。
「君は・・・・・・どんな暮らしをしているんだい?僕はまだ君の顔さえ見ていないんだ」
「・・・・・・別にたいしたもんじゃないよ。週に五日位ここでバイトしてる。人付き合いがうまくいかなくて今まで職を転々としてきたんだけど、結構気楽にやれるバイトが見つかって良かったよ。あくまでもバイトだけどね。親と一緒に暮らしてて足りないところは頼ってるから、お金の面でつらいところはあまり無いんだ。歳は二十三で生まれは埼玉。映画を観る事と本を読む事が好きだ。ここじゃ読むふりしてるだけだけど、家じゃ暇があれば本ばっかり読んでるよ。君の名前は・・・・・・申し訳ないけど聞いた事無いなぁ。主にどんなのがあるの?今度読んでみるからさ」
 クマは妙に明るい口調で実にペラペラとよく喋った。
 息継ぎさえ十分にしていないかの様なクマの話し方は、さも相手に口をはさませまいとしている様に見えた。
僕は納得がいかないまま見守っていた。
「家はここから結構遠いんだ。バスに一時間も乗ってなきゃいけないくらいにね。一応一戸建てだけどものすごく狭くて汚い所だよ。いまだに弟達と三人部屋だしね。あとは、そうだなあ、足の方は外反母趾じゃないよ。残念ながら」
 クマはそう言ってははは、と笑った。僕は笑わなかった。
しばらく沈黙が続いた。
「大丈夫か?」
 僕の言葉がクマの耳に届いたのかどうか、クマの無言の反応だけでは僕にはわからなかった。
しかし実際のところクマはその間ずっと、僕の言葉の意味を頭の中で反芻していたのだ。
その証拠に十秒後にはクマは泣き出していた。

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