小説『おかっぱ頭を叩いてみれば』
作者:しゃかどう()

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頭の中は彼女の事でいっぱいだった。こんなことを言ったら、どこぞの変態だと言われかねないので、小澤などには言っていない。そして夕方のパート練習の時だった。
ディズニー・クラシック・メドレーのピノキオの曲をしていた。おもちゃ箱のように各楽器がちゃかちゃかと楽しい音を鳴り響かせる部分で、ボブがここのスタンドプレイは楽しくなりますね、と低いテンションで言ったのを覚えている。
パート練習にわさわさと向かう人波を分けるようにして、あのおかっぱ頭を探せばすぐに見つかった。つやつやした髪の毛は、今日も絶好調だった。夕焼け色に染まった天使の輪は美しく、色素が薄すぎると評判の彼女の頭上を彩っている。
「ボブ…っ」
「なんですか」
いつもの冷静さを取り戻していた。あの焦った泣きそうな顔はいつもの病的なまでに青白い顔に戻っている。僕は走ってもいないのに、息を切らしていた。彼女はふんと鼻を鳴らして、言うなら早く行ってくださいと愛想もない声で言った。
「今日の、あれ、ごめん。なんか、よく分からないけれど、腕とか…」
こういうときに言葉は出てこないものだ。今だって、彼女がなぜあそこで煙草を吸っていたのか気になっている。だが、そうではなくて、彼女の中の何かを壊してしまった気がするからだ。
「ああ…大丈夫ですよ」
は、と首をかしげて、それからニコ、と口のはしを少し上げて彼女は微笑んだ。それは苦笑とも自嘲とも、安心感を与える様にも見えた。その表情を見たとたんに、なんだか、僕の心がずうんと重くなった。まるで溶岩が地上の亀裂にどっと流れてゆくような、どろりとしていてそして胸が痛かった。
「練習、行きましょう。美鈴先輩が待っているでしょう」
いつものようにキリキリと進んでいく彼女の背中は、しかし、いつも通りではない。
これは僕の思い過ごしなのかもしれないけれど、彼女と僕には溝がある。僕が気付いていなかっただけで、彼女はもうずっと前から溝を作っていたのかもしれないが、僕にとっては無かった。それがズズンと突如現れたのである。そして霧の中にあの細く薄い背中が消えていく。そんな幻想が脳裏を駆け巡る。
「飴村先輩?」
どうしたのです、と振り返る彼女を見て、僕はやっと気付いたのだ。

ああ僕は、
ああ僕は、

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