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「これだって! これ!」
テレビ画面に散らばった文字を指差して美穗が大声を上げる。‘ししゃ’は美穗の差している文字にカーソルを合わせようとコントローラを動かす。そして、画面に結果が出た。不正解の文字に二人がガックリと肩を落とした。
「温暖化問題は二酸化炭素だよ。水素じゃないよ」
「知っているなら先に言え!」
僕の言葉に美穗が突っ込みながら鋭い手刀を繰り出した。またクルクルと回転して床に倒れ込む。そこに‘ししゃ’の柔らかい遠慮がちな笑い声が聞こえてきた。それに僕は顔を上げられない。必死に表情を作ってから顔を上げると、二人は次の問題に取り掛かっていた。
画面にのめり込むように見ている‘ししゃ’の横顔が、華やいだり苦笑いになったり忙しい。こうやって見ている分だと普通の女の子だ。だけど心の内に秘めている想いは窺い知ることはできない。僕は昼間の杉山君との話を思い出す。
「‘ししゃ’の体のことですか?」
「そうだよ。明らかに動きが悪くなっているし、体調悪そうだし」
二人きりの部室。心外そうにとぼける杉山君に僕は詰め寄る。
「どうしたんですか? いつもの穏やかな会長らしくない。いくら死者とはいえ人間だから体調の好不調はありますよ。体の動きだって調子の悪いときは鈍くなるでしょ」
杉山君は微笑んで応えた。
「だったら何で‘ししゃ’さんはあんなに哀しそうなの? 何で‘ししゃ’さんはそれを言わないの?」
僕は質問を重ねる。体調が悪い。それだけでは説明ができない程度なのだ。杉山君は困った顔をした。
「会長に言わないのは、心配を掛けたくないだけだと思いますよ」
「じゃあ、杉山君は言える? ‘ししゃ’さんは絶対大丈夫だって」
誤魔化すような杉山君に僕は強い言葉で問い掛けた。杉山君は口ごもる。僕は自分の考えが正しいことを確信した。
「‘ししゃ’さんは……」
「はい?」
「‘ししゃ’さんはもう長く生きられないんじゃないの?」
「やったー!」
美穗と‘ししゃ’の歓声が部屋に響き渡る。ガッツポーズを作る美穗に‘ししゃ’は抱きついて興奮を分かち合っていた。僕は二人の姿に拍手を送る。
ここは美穗と僕の家のリビング。そんなに大きくない部屋にそこそこの大きさのテレビ。そのテレビにゲームの画面を映し出しいる。ゲームに熱中している二人が掛けているソファーの後ろに食卓の椅子を持ってきて僕も参加していることになっている。と言っても、時折入れる言葉は突っ込みと手刀が飛んでくる対象となるのでほとんど黙ってはいるのだが。
「ああ〜、間違えた〜」
‘ししゃ’が頭を抱える。
「何であんたは一緒に考えないの! これはあんたのせいよ!」
何故だか間違いが僕のせいになって手刀が飛んできた。黙っていてもこうなる。
倒れ込んだ床から顔を起こすと‘ししゃ’が微笑んで僕を見ていた。
「さあ‘ししゃ’さん、次行くよ」
何か言うのかなと思ったところで美穗の言葉が割って入った。画面を見るとバラバラの図形に様々な色が付いている。色が同じ図形を組み合わせて指定の形にする、かなりレベルの高い問題だ。美穗と‘ししゃ’は険しい目をして画面に見入った。
「……。会長は鋭いですね」
杉山君の観念したような言葉に僕は確信が間違っていなかったことが分かる。それと同時に深い絶望を覚えた。
「詳しく説明してくれない?」
僕はできるだけ平静を装って促した。だけど声は震えていた。
「‘ししゃ’は脳移植をしたというのはお話ししましたよね。移植というのは拒絶反応や感染症という可能性が非常に高いものでして。最初は薬である程度抑えていたのですが段々薬が効かなくなってきまして」
「それで?」
「当初はもう少しもつものだと思っていたのですが、薬の摂取による体力の衰えだけでなくそういったものが加わってきてしまって」
「つまり?」
「会長のご察しの通り、あと僅かしか‘ししゃ’は生きられません」
淡々と話す杉山君が憎らしかった。そう感じるほど、‘ししゃ’のことが大事な人になっていた。
「もう一つ、訊きたいことがあるのだけど」
僕は掠れた声で言う。
「何ですか?」
杉山君は遠慮がちに微笑む。
「‘ししゃ’さんって――」
「違うって! 何やっているの、‘ししゃ’さん!」
美穗の叫ぶような声が僕を今に引き戻した。‘ししゃ’は困った顔をしている。
「えっ? これって黄色の三角ですよね……?」
「何言っているの。これはどう見てもピンクでしょ」
‘ししゃ’は戸惑った顔をしたまま険しい目をする。その目の先のテレビ画面のカーソルが指す図形はピンクの三角形。とても黄色には見えない。
「でも、これって……」
そこまで言ってから‘ししゃ’はハッとした顔になる。僕もその理由に気付く。
「ごめんなさい。ちょっと目が疲れたみたい。顔を洗ってきます」
そう言って‘ししゃ’は立ち上がって小走りにリビングを出て行った。
「ピンクと黄色は間違いようがないと思うんだけどな」
納得できない顔をしてそう呟く美穗を置いて、僕は‘ししゃ’の後を追った。
洗面台のある脱衣所のドアは鍵が閉められていた。その向こうには水道の音が響いていた。バシャバシャと顔を洗うらしき音もしてくる。
だけどその音の合間に漏れてくる声。必死に押し殺したものだろうけど、だからこそ悲痛さを感じさせるその声。
――泣いている。
そのことが分かってもどうすることもできない。そんな自分の無力さが悔しくて僕は唇を噛んだ。耳障りのはずの水道の音がありがたがった。