小説『鸚鵡貝は裏切らない【完結】』
作者:魚庵(ととあん)(・胡・晴・日・和・)

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「ノーチラス?ネモ船長のか?」

 あら。びっくり。そこには反応できるんだ。

「オウム貝だよ。綾、ジュール・ヴェルヌなんて知ってたの?」

「そりゃ、優良男子のバイブルだろ」

「……そうなんだ?」

 綾はくるりと空に視線をずらした。

「……嘘。入院中にうーちゃんが『面白いから読んで聞かせて』って持ってきた。弱視で本がなかなか読めなか

ったからね」

 横の席に座っていきなり耳たぶを掴んで来た。痛い痛いよ!それは肉に通されてるモンなんだぞ!?

「へえ……オウム貝か……うーちゃんのスパイレター入ってたっていう……アレか。趣味わる」

「いいの!……ねぇ、それよりどうだった?」

 ドキドキしながら尋ねた。昨夜のホテルも、今日のピアスも全て、その話の為の余興か前座みたいなもの

だ!

 でも綾は、途端に顔のパーツを中央に寄せるような、難しい表情をしてテーブルの足を蹴った。お陰でカフェ

オレがボウルから飛び出したじゃないか!

「待て。先ずはコーヒー飲ませろ」

 腕を挙げて指を鳴らし、俺様なオーダーを済ます。やだやだ、このホスト医者!

「……お茶も出してもらえなかったの?」

「いや、出されたよ。本格裏千家の抹茶セットな……落ち着かないよ、あれは」

 ……どこの漫画だ!?

 運ばれて来たコーヒーのカップに、口を付けてぐーっと天を仰いだ。

「あの極妻ババア!うーちゃんの事、シラを切通しやがった」

「え!?認めなかったって事?」

「橘海乃という人間は知らないってさ」

 どうして?ここまで追いついたって思ったのに、全然見当違いだったの!?

「……本当に違ったの?」

「本当も何も、違うわけないだろ?何かさ、三男はもうすぐ結婚するので、そんなスキャンダルには付き合いき

れないだと。だけどな、3年前に三男が事故を起こした事があるって事は認めた……いちばん隠したがってた事

だろうに、生き証人が居なくなったら怖いもの無しってとこなんだろうな」

 やっぱり結婚するんだ……ちかちゃんと。そっちが大事なのは仕方ないよね。

「ただ……言われた。事故に遭われたお嬢さんは、いろいろお身体に難があったようで、って……親父に相談し

たそうだよ……遺伝学の権威だからな、親父は」

「……何それ?ハザマ医院長は知ってたって事?」

「そうだよ!知ってて黙ってたんだ。親父にはうーちゃんのカルテさえあればいいんだ。親父はババアにどれだ

け金出してんだ……」

「お金は……動いてないんじゃない?岡野には事故った落ち度があるし……」

「それはそうだな……つまり岡野はそれでうーちゃんを守ったわけだ。……結局、俺にはうーちゃんを守れなか

ったって事だ……」

 テーブルを叩いて唇を噛み締める綾を見てると……好きなんだなあ綾も、って思うんだけど、嫌われてるんだ

から気の毒だよね。

 などと呑気な他人事ではない。私も嫌われ予備軍に居るのを忘れちゃいけない!

「ま、認めないにしろ、うーちゃんに間違いないってわかったんだから……」

「良くない!海乃はどこに居るの!?居場所がわかんないんじゃ……」

 綾が頭をポンポンと叩いた。

「それは大丈夫だよ。生きてりゃ逢えるから、必ず。それより今日はデートでもすっか!」

「何言ってんの!?……綾は何か知ってるんでしょ?何聞いて来たの?吐け!今すぐ吐け!」

 襟元掴んで揺さぶったけど、余裕でタバコに火を点けてからライターをテーブルに置いた。ホテルのライター

だった。

「大丈夫だから、お前も腹据えろ。まずはのぶと仲直りして、うーちゃん情報あげて来い。あの野郎、今頃この

ライター探しまくってんぞ?」

「…………」

 言われてる事は解るけど、やっぱり納得まで出来なくて黙ってしまう。だってそれは、私がのぶに全部を話さ

なきゃならないって事だから……

「七恵さ、うーちゃん迎えたいんだろ?のぶと結婚して欲しいんだろ?願わくば、ずっと友達で居たいんだ

ろ?だったら遣ることは決まってるだろ?嘘で現実は歩けないんだよ」

 私はボロボロと泣けて来た。



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