小説『鸚鵡貝は裏切らない【完結】』
作者:魚庵(ととあん)(・胡・晴・日・和・)

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「綾は……いぢわるだ」

 瞼をぎゅっと閉じても、隙間を抜うように涙が頬を伝う。

「だって。七恵、身近な友達って、俺とのぶしか居ないじゃん」

 顔をあげて「失礼ね!」と言いたかったが……現に私には『友達』と呼べるような友達が見当たらなかった。

なんたるか、その貴重な友達二人と身体の関係まで結んでいるのが疎ましかったが、その更に貴重な一人と喧嘩

中なのは、確かに遺憾ともし難い。

「七恵は今まで、頑張って来たと思うよ。うーちゃんのために。うーちゃんと逢うために。うーちゃんを幸せに

するために。だからそろそろ、報われてもいいだろう。あとちょっとじゃん」

 綾の言いたい事は、ちょっとわからなかったけど……もうここまで来たんだぞ!って言われてる。このままじ

ゃいられないんだ。

「ノーチラス号に掲げてあった銘句って覚えてるか?」

「『MOBILIS IN MOBILI』?ラテン語だよね?」

「英訳すると?」

「いちばん簡単なので『moving in a moving thing』じゃない?『動中の動』だから」

「じゃあ、七恵なら何て訳す?物語の内容も込めてだよ?」

「……それは、海乃流にって事で?」

「うーちゃんと話したことない?」

 癪だな……綾は何でも知っている。海乃のことならのぶ並みに。

「変化を以て変化をもたらす……すなわち、ノーチラス号で世界を変える」

「そういうと思った」

 綾は笑った。笑うと綺麗だよな。この女医は!

「海乃は……のぶを待ってるって事?」

「うん。きっとお前の事も」



 それから私は大いに仕事をした。もう、いつ辞めてもいいくらい!……などは許されないだろうけど。

 そして海乃作の駄作小説の出来る限りをワープロで原稿に起こして、あらゆる新人大賞に送り込んだ。ちょう

ど秋の新人賞祭りの時期だったため、選び放題だったが、まず無理だろう。小説は懸賞じゃないから、数打ちゃ

当たるわけではない。ただ、私が遣ろうとしてきた、むしろライフワークなのだからおざなりにしたくなかった

だけだった。

 更に『橘海乃に関する報告書』なるものまで作成した。これは主に私が知ってしまい、のぶが知らないであろ

う、海乃の身体に関する事柄をまとめたものだ。流石に医療カルテの調達までは無理だったが(あっても一般人

には解らないらしいし)綾の医学知識をふんだんにお借りした。綾が医院長に掛け合って、頭を下げて事故後の

海乃の身体の事も教えてもらったので、私もそれは、のぶに聞いた話以上に理解させてもらった。

 何を今になって、そんな事をおっ始めたかと言えば、私は本気できちんとのぶに、海乃を託そうと思ったの

だ。

 もちろん、私が知ってる海乃が、海乃の全てではないだろうけど、のぶはきっと、性格がちょっと変わってて

おかしけど、普通の家庭で五体満足に育ったお嬢さんだと思っているだろうから……親も家も無くした海乃の過

去も引っくるめて、丸ごと抱えてもらうためには、たらたら話すより早い!そう思った。

 絶対逃がさない。それでも、ちょっとでもビビったら本気でのぶにはやらない!二人で南の島で幸せに暮らし

てやる!……だから、ちょっと「ビビれ」と念を込めたりもしながら……

 私は、海乃を迎えに行く!




「あれ?ひょっとして七恵じゃないか?」

 秋も深まろうかという頃、度々お参りに来る神社で柏手を打っていた時に、遠く聞き覚えのある声が背後に響

いた。……誰だっけ?

 振り返ると……ヤスだった。小中と同じ学舎に通ってた、のぶのお隣さんのヤス……のはずだが、とても同い

年とは思えないほど、落ち着いた貫禄があるんですけど……

「ヤス……だよね?」

「おう!久しぶり」

 笑ったヤスの身体が、ガクンと不自然に横に折れた。視線を落とすと、ヤスの腕に小さな女の子がぶら下がっ

ていた。……ああ、なるほど。貫禄もつくわけだ。



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