小説『鸚鵡貝は裏切らない【完結】』
作者:魚庵(ととあん)(・胡・晴・日・和・)

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 テストが始まる前に、橘はのぶに声をかけた。

「戸川くん、今日は消しゴム持って来た?」

 恐らく、橘の方からのぶに声をかけるなんて諸行は、初めてなんじゃないかと思う。

 のぶが度肝を抜かれてあたふたと答えに迷う。試験だから、バカなのぶとは言え、消しゴムを持参しないわ

けがない。だけど、のぶにはそれを見せびらかすだけの度量など持ち合わせていなかった。バカだから。サル

だから。

 橘はにこりと笑って、筆箱から水色の消しゴムを取り出すと、のぶの机に置いた。

「今日は消しゴム貸してあげられないから、これ使ってね」



 ……とか何とか、やり取りがあったんじゃないかと私は踏んでいた。

 隣のクラスですからね、私。

 一枚の壁と黒板に阻まれた、隣の教室に並ぶ二人の距離まではわからない。

 のぶは何でも顔に出るけど、橘は嘘が上手い。……嘘はつかないかもしれないけど、本当の事を上手に隠

す。前髪の中に全て隠して笑って見せる。こぼれる花のように。




「ねー!いいことあったでしょ?奢ってよ!」

 私は学校から帰ってからわざわざのぶに電話した。

 のぶはすっとぼけて「何の事だ?」とか言っていたが機嫌は良かった。

「俺、奢れるほど金無いから今から店に来いよ。店の手伝いに出っからさ」

 ……などと電話の向こうで言っていたが、のぶが手伝い!?どこの店のだよ!?

 思いながらもうちの店の一級酒を抱えて、割烹『とがわ』の暖簾を潜った。

 なんとのぶは本当に店の手伝いをしていた!……がその姿に私は大爆笑した。どこのでっち奉公の坊主だ

よ!!

 久しぶりにおじさんの料理を食べた。手に職を持つ男はいいねー!一生幸せで居られる予感がするよ。

 のぶには十歳離れたお姉さんがいるが、去年お嫁に行ってしまっていた。長男ののぶは……お店を継ぐんだ

ろうか?



「よ!何だよ?いいことって」

 少し店が落ち着いて、のぶがカウンター席の隣に座って来た。

「消しゴムだよ。橘の。見せてよ」

 それも食べてやるから!

 手のひらを差し出したら、間髪入れずにバシッと払われた。

「……ってされた」

 へ?さっぱり分からない。橘がしたの?

 でも、のぶの顔は微妙に嬉しそうだから、きっと続きがあるのだろう。

「何で七恵が知ってんだよ!?」

「橘から聞いたもん、試験対策・戸川くん専用消しゴム」

 私たちは身を屈めて何故かコソコソと話した。

「何だ?それ。そんなのもらってねえし。ただ今日さ……俺、消しゴム忘れてよー」

 わざとだろ、わざと!?毎日わざと忘れといて、試験の今日もわざと続行かよ!?本物のバカだ!

「あいつの机に貸してって手ぇ乗せたらさ、払われた。……まあ試験中だしな。そしたらあいつ、手挙げて、

消しゴム落としたんで拾っていいですか?って先公に言って、消しゴム拾うフリして俺の机に消しゴム乗せた

んだ……今日一日、これ使えって」

 な!!何!?その劇的な演出は!?

 でも橘の事だから天然なんだろうな……それも。

「試験終わって、礼言ったら、返してって手を出された」

「何で?のぶ専用だって言ってたよ」

「もし明日も忘れたら貸すって。だけど先に言ってくれなきゃ忘れるし……ちゃんと持って来いだとよ」

 ぶっ!!思わず吹き出した。

 昨日、あんなに嬉しそうな顔してたのに、朝には渡すの忘れてたんだ。だからそんなめんどくさい事になっ

たのか……でも、そうやってのぶに消しゴム持って来させようとするのは、ちょっといい女じゃない。

 やっぱりどこか、胸の奥はチクチクしてるけど……

 一晩寝たら忘れられるくらいなら……

 のぶにはまだまだ望みはないな!

 ざまあみろ。

「のぶもちょっとなら飲んでいいよ」

 持って来た一級酒を差し出す。

「俺用ボトルキープ?気が利くじゃん」

「十三のガキが飲むなよ!不良!」

 言いながらも、のぶなんか橘に相応しくない男になってしまえ!と思っていた。



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