小説『鸚鵡貝は裏切らない【完結】』
作者:魚庵(ととあん)(・胡・晴・日・和・)

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「海乃ーッ!」

 走り寄ろうとした私をのぶが止めた。

 捕まった海乃が「た……」と開いた口をグッと結んだ。「助けて」とは言わない気だ。

「橘を離してくれ……先輩……俺がそっちに行きますから」

 のぶが一歩進んだ。

「なめたマネしやがって……こっちの変な女がおめえの女かよ」

 鬼瓦が髪を引いて海乃の顔を覗きこんだ。海乃は顔を背けたが、顕になった首筋を鬼瓦はベロリと舐めた。

海乃は顔を歪めてジタバタと抵抗した。

「育てりゃ上玉になる。こいつは返さねえ。ノブ!お前も来い!遊ばせてやるから」

 鬼瓦は高らかと笑った。

「やめろ!触んじゃねえ!!」

 無鉄砲に飛び出そうとするのぶを今度は私が止めた。

 その時触れた学ランのポケットに固い物を感じて取り出すと、昨日のぶがいたずらしていた改造ライターだ

った。「のぶ、これ」と渡したらのぶはそれを海乃に投げた。

「橘!これでヤツを焼け!!」

 右手を伸ばしてライターをキャッチすると、海乃は自分の首の後ろに腕をまわしてから火を点けた。

 30センチもの炎をあげたライターを、首の後ろで横に引く。

 タンパク質を焦がす嫌な臭いと、細い糸状の火の粉を散らして――

 海乃は自分の髪を、鬼瓦の手から焼きちぎったのだ!

 火の熱さから逃れようとするのと、掴んでいた重みから解放された勢いで、鬼瓦は仰向けに倒れた。その上

に離した手から、切り残された海乃の髪がバラバラと降り注がれた。

 海乃は鬼瓦の上に火の消えないライターを投げ捨てて(オニの諸行だ!)私たちの許に走って来た。のぶと私

でそれぞれに海乃の手を取り、裏門から外へ走り去った。



 走って5分の小さな神社で私たちは足を止めた。

 息を切らす海乃を包み込むと、身体を預けてきた。

「良かった……海乃……ごめん、危ないマネさせて」

 海乃の息はまだまだあがったままで、言葉にならない。頷いたり、首を振ったりしていた。

 チリチリと焼き切れた短い毛先を何度も撫でた。可哀想なことをさせてしまった。

「……何が良かっただ」

 のぶが間に入ってきて、どさくさに紛れて海乃の頭を自分の肩にかき抱く。

「何で来たんだ!!あんな事までして……」

「ごめん……捕まると思わなくて……足手纏いになっちゃったね……」

 やっと息を整えた海乃がのぶの肩で言葉を吐いた。

「そうじゃねえ、そんな事じゃなくて……俺は、あいつの手を焼けって言ったんだ!何だって自分の髪を焼く

んだよ!!」

「……だって見えなかったし……その方が早かったから」

 のぶは泣きそうだった。

「……ごめん……長かったのにな……綺麗だったのにな……ごめんな、髪は女の命だろ……」

 海乃はクスクスと笑いながら、のぶから身体を離した。

「髪ごときがわたしの命であるもんですか」

 汗ばんだ長い前髪を手のひらでかきあげて、鮮やかに海乃は笑った。



「のぶと七恵の方が、ずっとずっとわたしの命に近いわ!」












                            恋に、落ちた。





 ……ううん。

 恋なんて、ずっと前に、落ちていた。

 海乃と初めて向かい合って言葉を交わし、貴女と瞳を合わせた時から、私は貴女に恋してる。

 一生、貴女を守ろうと心に誓っていた。



 ただ……たった今、今になって初めて、

 私は海乃を愛してるのだと、気づいた。それを、覚えた。



 速鳴る鼓動に息も出来ないまま……

 私は……海乃を自分だけのものにしたくなった。





 思春期の、ただの子供の迷いごとと、信じたいまま、私は今日まで……10年、貴女を想い続けている。



 貴女の居ない、あの時と同じ空の下で、

 貴女には敵わないかもしれないけど、想いを隠し嘘を重ねて……



 本当の気持ちは、オウム貝しか知らない。

 貴女が私に託した真実の穴が私にはあるから、




 私の心は、決して貴女を裏切らない。




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