小説『鸚鵡貝は裏切らない【完結】』
作者:魚庵(ととあん)(・胡・晴・日・和・)

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 半月ほど経って、綾の家の下のバーで、喉も通らないというのにわざわざ作ってくれたアサリスパゲティを

つついていた。

 家に居ると拓実が気を遣って、あれこれと励ますので、逆に辛かった。

「まだ食べてない!ちゃんとお食べ。ちょっとだけどね、うーちゃんの情報掴んで来たから……今日泊まれ

る?」

 私は綾の腕を掴んで詰め寄った。

「泊まる!泊まる泊まる泊まる泊まる!」

「じゃ、それきちんと平らげてね。あんま喰ってないでしょ?」

「食べる食べる食べる食べる!」

 私は早速、チルチルとスパゲティを啜り出した。



「先ず、結論から言うと、うーちゃんは帰らない」

 綾の家に上がって、淹れてくれたコーヒーを飲みながら、海乃情報を頂戴しようという時の今、そんな台詞

から話は始まった。

「そんな結論を頂戴するために私はここに居るんじゃないんだけど」

 綾はテーブルの上に置かれた分厚いシステム手帳から、穴の空いたテレホンカードを取り出すと、タバコの

ように指に挟んで見せた。

 テレホンカードには一年前の年号と在住区名と『成人おめでとう』の文字……去年の成人式で配られた贈呈

品だ。当然、私も持っていた。もう使っちゃったけど……

「それ……!」

「軽井沢で一番デカイ病院の病棟の公衆電話の下にあった。しかも……」

 テレホンカードをくるりと回して見せた裏には……03で始まる、私の家の電話番号がマジックで書かれてい

た。

 綾はそれを私に差し出した。

「うーちゃんはあの病院に居る」

「嘘!そこならのぶと行って訊いてる!でも……海乃はいなかった」

「俺が訊いても居ないと言われた。だけど、病棟にそれはあった。うーちゃん以外に誰が使う?東京の電話番

号を書いた、区民にだけ配られるテレカで、誰が長野から電話するんだ」

 綾は多少イライラしながらタバコに火をつけた。落ち着かなくて、私もタバコに手を伸ばした。

「海乃は居たの?」

 綾は首を振った。

「そこまでは探せなかったよ……とにかく、デカイ力がうーちゃんを隠してる。新聞、マスコミ、警察、病

院……全部から事故の事をなかったかのように潰して回ってる。恐らく、政治家か財閥か……事故った相手は

そういう奴なんだと思う」

 何よ……それ。海乃だって怪我したんだよ?何で生きてる海乃まで、私たちから連れて行くような事する

の……!

「まあ、恐らくはうーちゃんはそんな相手だとは知らないだろう……知ってたら」

「知ってたら、どんなに独りが怖くても逃げてるわよね……」

 俯いて嘆かんとする私を、綾が抱き留めた。

「俺たちは所詮、社会から見ればまだガキなんだよ……ただ、うーちゃんは酷いことはされないだろう……守

ってはもらえるはずだ。だから……今は待つしか出来ないよ」

 ポッカリ冷たく空いた腕の中に収まった綾が温かかった。きっと綾の中も海乃が居なくなって冷えていたん

だと思った。

 待つなんて出来ない……でも、何も出来ない……

 海乃が握りしめたであろうテレホンカードを御守りにして、私は海乃を待とう……

 海乃は生きてるし、私に電話をくれたんだから……



 大学が始まっても、とても行く気にならなくて、日課のように海乃の家まで散歩に出かけた。

 その日、初めて海乃の家の玄関のドアが大きく開けられていて、私は飛び込んで行った。

 中には黒いスーツをキッチリ着込んだ男がいた。

「橘様のお知り合いですか?」

 整然とした物言いで男は微笑んだ。

「私は橘様より仰せつかってこの家の処分に参った者です」

 名刺も出さず、ただ深く頭を下げた。名乗れないからだろう。私も怖くて名乗れなかった。海乃から連絡を

受けていることも、言えずに頭を下げた。

「橘様は訳あってこちらで生活が出来なくなりましたので、この家をお売りになります」

「じゃ荷物は……引っ越すんですか?」

「いえ、全て処分するようにと……」

 そんな!!海乃の過去も存在さえも無くそうと言うのか!?

「ダメです!そんな……」

 男は薄い唇を引いて笑った。

「お友達ですか。構いませんよ、お持ちになっても。どうせ処分する物ですから」

 私は海乃の部屋に上がって行った。

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