小説『鸚鵡貝は裏切らない【完結】』
作者:魚庵(ととあん)(・胡・晴・日・和・)

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>



 …………わかる。

「それは……不可抗力かもね……そんなことされたら私だって……」

 言いかけて慌てて自分の口を押さえた。うっかり「押し倒すもの」とか言いかけた。いやもう、想定ではな

い。私には既にその経験があった。



 確か高2の夏だった。

 綾に連れられて、ナベバーやらレディスバーに出入りしていた時の事……

 私の誕生日を祝ってミニパーティをしてもらった日、初めて会った娘。

 綾のお客さんだった彼女とトイレで鉢合わせた。軽く会釈したら、近寄って耳許で「お誕生日おめでとう」と

言って首にキスしてきた。海乃と同じコロンの香りがして、ムラッと来た。

 そのまま離れようとする彼女を呼び止めたら、彼女は「なあに?」と振り返って首を傾げた。その姿が海乃と

重なって……気付いたら抱きしめてキスしてた。

「ねえ貴女、綾の彼女でしょう?私で良ければプレゼントあげる」

 綾の彼女ではなかったが、否定したら離れていきそうな彼女を引き留めたくて、言われるままに……ホテル行

っちゃったんだよね、その娘と。ヤっちゃったんだよね、その娘と。

 だけど、その娘は外見は海乃でも(身体は海乃の3倍はメリハリついてた)中身は綾みたいで……、

「貴女、ネコかと思ってたのに……どっちもイケるんだね。ふふふ、綾と間接エッチ出来た気分よ。じゃあ今度

は私の番ね」

 とか言って、襲われた!可愛い顔してバリバリのタチだった!

 ネコとタチってのは、ゲイ(同性愛者)の間で役割を示す俗語で、タチが男役でネコが女役……所謂、攻め側と

受け側。

 ……まあ大概、どっちも出来るモンだけどさ……

 私は酷く落ち込んだ。とにもかくにも、自分からけしかけた欲望で、結果的には大切にしてきた海乃への想い

を裏切ったんだもん……



 封印してきた忌まわしい体験を、どうしてほじくり返されなきゃならないんだ!ってより、同じことしてんな

よーっ!!

 のぶを責める事が出来なかった。むしろアイスぶっかけてごめん。

 ただ……のぶはもっと深刻だった。

「俺、怖いんだよ……その女の事、好きになったわけじゃねえ。その夜だけだし、そんなの今までだってしてき

た事だけど……誘ったその時は俺、心が動いたんだよ……」

 震えながら話すのぶに、私の心臓がドクリと息を止めた。

「いつかまた……こんな風に誰かに気持ちが動かされるのが、俺は怖い。俺ン中にあいつは独りしか居ないはず

なのに……それでも、こんな事繰り返しちまったら、帰って来たあいつに俺が逢えねえ!……忘れたくないん

だ……」

 組んだ両手で顔を覆いながら、もしかしたら泣いているかもしれないのぶに心が傷んだ。

 同情ではない。人事ではない。私も怖かったのだ。私だって同じだ。

 私は自分の裏切りに理由を付けて、誤魔化してきたけど……私だってまた遣るかもしれない……。

 自分には綾ってセフレが居るから、基からどこかしら裏切ってるからって、安心していたけど……私だって、

いつどこで誰かに心が動いてしまうかわからない。

 それはそれで自然な想いなのだから、本来悪いことではないのだろうが、私は違う。のぶも違う。

 私たちはたった独りの、橘海乃って女に恋してる。未来形の女なんて要らない。

 もう、一日だって待っていられない。

 今、のぶと私の利害は一致している。



 ごめん……海乃……

 ごめん……綾……



 胸の中に荒馬でも居るようだ。ドカドカと忙しなく血液が駆け回る。

 私は席を立って、テーブルにクルリと丸めて立ててあった伝票を取った。

「出よう。のぶ……」

 のぶが力なく振り返る。

「七恵……怒ったのか?」

「怒ってないよ」

 怒れないよ。

「……飲みにでも行くのか?俺……」

 へたってるのぶの腕を掴んで無理矢理立たせた。

「ホテル行くよ!シャツ……洗ってあげるから」


-63-
Copyright ©魚庵(ととあん) All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える