小説『鸚鵡貝は裏切らない【完結】』
作者:魚庵(ととあん)(・胡・晴・日・和・)

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 繋いだのぶの手は冷たく、握り返しては来なかった。

 ……私だってねぇ、憧れたりしたわよ!向かい合って告白して、OKもらって、手を握り、瞳を閉じてキスを

して……二人の後ろには、夕焼けに滲む真っ赤な夕陽……それが誰とかじゃなくって、そういうシチュエーショ

ンに拘りたかった少女時代が私にもあったのよ!

 だけど仕方ないじゃない!

 私が好きになったのは、いちばん仲の良かった女の子で、告白なんか出来ないし、二人でキスなんて叶いっこ

ないもの!

 眩しくって、涙が出そうよ!憧れなんて、夕陽に投げて燃やしてやったわよ!!

 だから怖くなんてないんだ……貴女を忘れる事の方が、ずっと怖い。

「七恵……待てよ」

 引きずられて歩いていたのぶが立ち止まる。

「ホテルとか……お前が言うなよ……」

「お湯が出る所じゃなきゃ、アイスでベトベトのシャツなんて洗えないよ……他に何がある?」

「……俺、七恵とは寝ないよ」

「当たり前でしょう」

 ……私とはね。

 安心したのか、私が引いてゆく手をのぶはやっと握り返した。



 私たちの暮らす下町から程近い繁華街は、ショッピングモールをちょっと脇に入るだけで色街になる。風俗店

もラブホテルも何食わぬ顔して点在する。

 伝説まで背負ったのぶとおいそれとはそんな所に入れないから、私はいちばん遠くて綺麗なホテルまで歩いて

行った。あそこなら大丈夫。綾と何度も行っててリサーチ済みだ。

 ただ遠かったから、それまでの道のりで、胸を駆ける暴れ馬に何度も蹴られ、何度も引き返そうかと思いなが

ら……歩いた。

 ホテルの部屋の中はジャングルのように、暑かった。

 のぶのシャツのボタンに手をかけたら「自分で脱ぐよ」と勢い良く脱いで、ベトベトのシャツを放って寄越し

た。

 シャツの下の裸の厚い胸にドキドキした。

 のぶの裸なんて、何度も一緒に海だプールだと見てきているはずなのに、生唾飲むほど緊張してしまう。あの

胸と肌を合わせるのかと思うと、私は怖かった。

 偉そうな事言っても、正真正銘の男とホテルなんて、初めてだ!

 洗面台にお湯を溜めて、石鹸でゴシゴシとシャツを洗っていると、のぶが来たのが、洗面台の鏡に映った。私

はビクリと振り返ってしまった。

「そんなにビビんなよ。何もしねえから。……悪いな、シャツ」

「私が汚したんだもの……ついでにシャワー浴びたら?身体が牛乳臭いよ」

 のぶが見れないよ……何て言うか、恥ずかしくて。

「だよな……じゃ風呂借りるわ」

 ちゃんとキレイな身体にしといてね。

 シャツを洗い終えて、バスタオルに包んで叩いてから絞ってハンガーに吊るして、灼熱の風を吐き出すエアコ

ンの前に干した。

「……何か慣れてんな。お前、彼氏とか居るんだろ、実は」

 シャワーから出たのぶが、腰にバスタオルを巻いて立っていた。

「バスローブ着といたら?風邪ひくよ。……海乃から聞いたの?」

「うん、海乃から聞いた。いつまでも紹介してくれないって。なあ、ここの金払うから、ビール飲んでいい?」

「また潰れないでよ。彼氏なんて……とっくに別れたよ」

 彼氏なんて居た事ないよ。……女のセフレならいるけど。

「のぶは……海乃を絶対忘れない自信、ある?私はあるわよ」

 のぶはベッドに腰かけて、缶ビールのプルタブを開けて一気に仰った。

「俺だって忘れないさ……」

 のぶの手から缶ビールを奪って残りを一気に飲み干して、床に投げた。

「嘘でしょう?アンタはまた誰かを誘って寝るのよ。気持ちなんてすぐに引きずられて、海乃を忘れて女に溺れ

ていくのよ」

「……何、言うんだよ、七恵……」

 のぶは私から顔を背けて唇を噛む。本当に怖いんだ……

「のぶ。……寝よう」

 目を見開いて私を見る。その目には、どこか軽蔑の色が宿る。

「私が海乃の代わりになる!私を海乃の代わりにして抱いて」


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