小説『鸚鵡貝は裏切らない【完結】』
作者:魚庵(ととあん)(・胡・晴・日・和・)

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 家の前まで来て、私はポケットから手を引き抜いた。

「ねえ、のぶがもし、本当に本当に心から、好きで好きで一緒に居たいと願うひとと出会ってしまったら、すぐ

に言ってね。その時は別れてあげる。永久にだけど」

 のぶは口元を片側だけ上げて、息を吐き出すように笑う。

「俺、誰かと付き合うとか……そんな気なかったけど、誰でもいいとか思う前にさ……七恵で良かったよ」

「今日はありがとうね、のぶ」

 優しく優しく笑うのに、

「ごめんな……七恵」

 それはないじゃない?

 私はため息をついてしまった。

「私、いつかのぶに『ありがとう』って言ってもらえるような彼女になりたいわね。オヤスミ」

 軽く手をかざして「またな」と去って行くのぶの後ろ姿を見送った。

 角を曲がって、完全にのぶの姿が消えた途端に、涙が溢れてきた。

 私は家には入らず、店の配達用の自転車を引きずり出すと、再び夜の街に向かって走って行った。



既にネオンの消えた、パブのドアを開けた。

「あーごめん、今日はもう店じまい……七恵?」

 カウンターの中で、ひとり洗い物をしていた綾が、濡れた手をズボンで拭きながら出てきた。

「どした?」

 綾の顔を見たら、もう全身張り巡らせていた緊張の糸がブツンと切れた。

 肩に倒れこんで額を押しつけてから、抱きしめた。溢れる涙もそのままに。

「ごめん……綾、ごめん……ごめんなさい……」

 初め、びっくりしていた綾だったけど、私の様子に何があったのか察したのだろう、ギュッと抱きしめ返し

て、頭を撫でてくれた。

 海乃が好きで、海乃の好きなのぶを誰にもやりたくなくて、留める為に嘘ついて、嘘で寝盗って彼女になっ

て、海乃を好きな幼馴染みが可愛いと、愛しいと思って来たのに、なのに私はこんなに綾が好きで、のぶと寝て

きた自分が疎ましくて、結局、綾を求めてしまう自分が情けない。逢わずにいられないほど、綾が好きだ。

 綾の両手が私の頬を包んで、顔を向かせる。私の顔は今もたぶん、涙でぐしゃぐしゃなはずだ。

「キスしていい?」

「キスして」

 ゆっくり優しいキスが溶けてくる。

 私はなんて欲張りで我が儘なんだ……



 恋人が出来たその日に、セフレと朝を迎えるって……私、どういう女なんだ……

 しかも、それでも本命は別に居るって言えちゃう悪女っぷりに、とんでもない夢を見て今朝は飛び起きた。



 私はマリー・アントワネットで従者が私に訴える。

「アントワネット様、町民が飢えております!愛に……」

 私はペロリと舌舐めずりをした口元を扇で隠しながら、高らかと笑う。

「まあ!海乃が居ないなら、のぶを食べればいいじゃない!のぶが居なけりゃ綾を食べればいいのに!」

 愛に飢えた町民を省みることなく笑う私に、悲鳴と共に飛び起きた。

 酷い!酷すぎるよ!私!!

 時間は午前5時……私はハダカのままでお風呂にお湯を溜めた。もちろん綾の家のだ。

 ため息をひとつ。がっくりと首を垂れたところに、後ろから「おっはよー」と抱き抱えられて、私は再び悲鳴

を上げた。当たり前に、綾だ。

「早いね。ちゃんと眠れた?」

 綾の顔を見ると、さっきの夢も重なって、ますます申し訳ない気持ちになる。

 ……最後の砦かよ、綾は……

「店の自転車で来ちゃったから……早く帰らないと」

「じゃ、一緒に風呂入ろか」

 筋肉張ってて硬い腕とバッチリ割れた腹筋に挟まれた、胸筋に覆われているとは言え、弾力の残る綾の胸の間

に顔を埋める。

「私、やっぱり柔らかい肌が好き」

「それ傷つくな、こんなに鍛えてんのに。うーちゃんは柔らかいでしょ、覚えてる?」

 言われなくとも思い出してる。

「うん。綾の硬さがギリギリ許容範囲」

 綾がギューッと抱きしめる。

 痛い痛い痛い痛い!そこまでふにゃふにゃしてない肌に押し潰されて窒息しそうだ!

 でも、それが甘くて優しい。



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