小説『鸚鵡貝は裏切らない【完結】』
作者:魚庵(ととあん)(・胡・晴・日・和・)

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「おじさん、知ってたんだ……」

「ああ。でも海ちゃんが家に来た時は、気づかなかったよ。後でユキさん――海ちゃんの父ちゃんをノブが連れ

てきて、合点がいったんだけどな」

 そうか……迎えに来たんだっけ。おじさんは橘パパからいろいろ聞いたんだろうな……

「のぶもわかってる?」

「アイツはわかってねーよ!別人だと思って惚れてんだよ。アイツ海ちゃん喰ってねーだろ?予約だけしといて

なあ!」

 おじさんにもバレバレじゃないか!気づいてない当人同士だけがバカじゃん!

「おじさん、正ー直に海乃、気持ち悪い?」

「何でよ!?あんないい娘、嫁に欲しいわ!」

「本当!?本当!?海乃、嫁にもらってくれる?」

「なんでナナちゃんが海ちゃんを嫁にくれんだよ……海ちゃん、どこ行ったかね……そういやナナちゃんこそ、

うちのノブと……」

「だああああああああああーっ!!」

 指で下品な表現を施し始めたおじさんの言葉を、雄叫びで遮っておいた。そのへんの期待もそのうち説いてお

かないと……ったく、恥ずかしいなあ、もう!!



 ちょっと気を良くして、軽い足取りで帰宅する途中で、小説原稿が無いことに気がついた。

 帰り際ののぶの様子もちょっと気になったし……家に着く前に、わざわざ公衆電話からのぶに電話した。

「あ、のぶ?今日はありがとうね。私、原稿忘れてったよね?」

 返事の代わりに、電話の向こうで頁を捲る音がする。

『書き直せよ』

 抑揚のない声が返っきた。

『お前の書いてくる話の男は、やたら俺っぽいって言うか……共感しやすいんだよ。別に嫌いじゃない。でも、

あれは違う』

 表情の見えないのぶが、なんだか……怖かった。

「……気に入らなかった?」

『俺はあの娘を一度だって気味悪いなんて思ってねえよ……あんな格好だって、一生懸命隠してただけだし、隠

さなくなってあんなに綺麗だった……お前、わかってねえよ』

 それは海乃もわかってたよ。でもあれは、ただの物語なんだよ……そこまでのぶと同じである必要性は……言

おうとしたが、のぶにはそれだけ大事な思い出なのだろうか……

「わかった。書き直すから、取りに行くわ」

 本当に書き直すつもりはないけど……のぶが泣いているような気がして、帰りには電車が終わってしまうのを

承知で、上り電車に乗り込んだ。

 暗黙のルールのように、のぶの部屋には泊まらなかったのに……今日は泊まりになるか……



 のぶの部屋のドアを叩いたが返事がなかった。仕方ないから、台所の小窓を開けた所にいつも置いてある鍵を

取って、それで部屋に入った。

 つけっぱなしのTVの前に座り、原稿を捲りながらのぶはタバコを吸っていた。

 私が傍まで近寄ると、こちらを見る事もなく手を伸ばす。反射的にその手を取ろうとしたら引っ張られて、の

ぶの腕の中に納められた。グイと片手で抱き寄せられ、囁かれた……

「お前、何考えてんだ?何であんな話書いたんだ?……諦めろって事か?」

 な……何で……「違う」と言いかけて、キスで言葉を塞がれた。

 優しくない、深いキスに身震いがした。

 離そうとした私の両手首を掴んで自分の肩に置くと、頬を包んで唇を離す。

「……何て顔してんの。彼女だろ?お前」

「のぶ……」

 名前を呼ぶ声が震える……

「何で今更あれを書く?俺には懐かしかったけどな……思い出して夢中で話しちまったけど、あれはカニバリズ

ムの話じゃないのか?お前にはプロポーズなら……何故それを俺に読ませるんだ?別の女連れてきて、諦めろっ

て言いたいのか?アイツは……もう居ないのか?」

 目の前ののぶの瞳が暗く濁る……

「のぶ、違う……そんな事じゃないよ」

 肩に置かれた手を滑らせて、のぶの首に抱きすがる。のぶの腕が私を抱きしめた。

「……もう、諦めなきゃいけないのか……もう、待ってちゃいけないのか」

 のぶの肩が小さく震えていた。


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