小説『鸚鵡貝は裏切らない【完結】』
作者:魚庵(ととあん)(・胡・晴・日・和・)

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 何をそんなに、のぶを悲しませてしまったんだろうと思ったけど、きっともう、のぶにも我慢が出来ないとこ

ろまで来ていたんだと感じたから……

 のぶはきつく強く私を抱きしめる……

 ダメだよ……イヤだよ……忘れないでよ……

 海乃は生きてるの……どこかで、同じ空の下のどこかで、生きてるのよ……だけど、私たちが忘れられてるな

んて、のぶには言えない。

 ならばいっそ、永遠にその想いを繋ぎ止めておきたいよ……

 ……私だって、言いたくないよ、そんな嘘……

「海乃……もう死んじゃったんじゃないかな……」

 言葉に出しただけで、涙が零れた。

 次の瞬間。

 バシンッと大きな音がした。

 あまりの事にすぐにわからなかったが、右の頬が焼けるようで……私はのぶの裏拳でしたたか、吹っ飛ばされ

ていた。

「二度と言うな!」

 のぶが怒鳴った。まるで深海から浮き上がった後のように、息を荒げて。

「……帰れ」

 ひと言告げて、私を部屋から追いやる。外に押し出され、小説原稿を投げつけてドアを閉めた。

「お前は何もわかってねえ!俺を好きなわけでもねえくせに……人の気持ちを勝手に弄って掻き回してんじゃね

え!!」

 ドアのすぐ内側から、のぶの声だけが響いた。

「違う……のぶ……ごめん!」

 私はドアにすがりついた。何度もドアを叩いてのぶを呼んだ。

「のぶ、のぶ、ごめん!ここ開けて……ごめん、ごめん、のぶ!」

 私は、のぶにいちばん言ってはいけないことを言ってしまったのだ。

「のぶ!のぶ!ごめん……聞いてよ、のぶ」

 のぶは……海乃を誰より信じていたから、誰より不安だったんだ……知っていたのに、私は……

「お願い!のぶ、開けて……ごめんなさい……私だって思ってないよ……ごめん、許して……のぶ……」

 のぶの言う通りだ……私はのぶの気持ちを勝手に弄んだんだ……

 打たれた頬より、胸が痛くて息さえ詰まる……

「……のぶ!」

 何の返事もないまま、部屋の灯りが消された。

 暗がりで膝を抱えて泣いているのぶを思ったけど……私の声は届いていない……

 私は泣きながら、のぶのアパートを離れた。




 のぶはその後も私の話は聞いてはくれなかった。

 海乃の話も一切しなくなった。

 私の前では笑ってもくれなくなった。

 それでも、誰かと遊んでくれば私を呼び出して、黙ってキスをして抱く。

 泣きそうな顔で私を抱くのぶを、私は抱きしめることしか出来なかった。


 都合よく綾に甘えていたが、不安定なままの時は、ミサオちゃんに来てもらってまで苦渋を吐き出した。

 私は私のままで居ていいと、オカマの精神科医に諭された。

 私には笑って居て欲しいと、オナベの研修医に慰められた。


 のぶは仕事に打ち込んで、新宿では女とのコトも含めてだが、腕のいい板前として名を馳せた。

 遊びの女はいくらでも買うが、心だけは誰にも売らない。決まった恋人はいるけど、他に本命がいるから

だ……そんな、真しやかな噂までを纏って。

 お陰で私は、のぶにはまた努めて笑って接することを赦された。

 海乃の小説もまた読んでくれるようになったが、私ももっと慎重に話を選んでは持ち寄った。

 私のことは、また『海乃の代わり』としていてくれてはいるようだが……たぶん、のぶの心のなかで海乃は生

きながらに『永遠』の地位を獲得したのかもしれない。

 それを喜んでる私は、のぶに「ごめん」と心で贖罪を続けている。

 本当に海乃が帰って来ないようならば、私は一生でものぶの傍に居ようと、そう思っていた。



 瞬く間に、季節は巡った。


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