小説『鸚鵡貝は裏切らない【完結】』
作者:魚庵(ととあん)(・胡・晴・日・和・)

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 ガチャガチャと鍵を開ける音。ドアを開けて靴を脱ぎ捨て、足早に階段を上る。

 足音だけでわかる。……なんて小洒落たことは言わないけど、以前に比べたら早く帰って来るから、何となく

安心する。

「おかえり、綾」

 腹筋運動を繰り返しながら迎える。綾の家で。

「……何で腹筋だよ……」

「体力つけないと。持たないよ」

 綾は無言で私に跨がり、私の膝を伸ばしてから足首の上に座る。途端に腹筋がキツくなり、リズムがとれなく

なる。

「楽した運動では男二人は相手にする体力はつかないよ。ホレ、頑張れ!」

 うわっ。ヤな事言う。どうせ二股ですよ!

 いきなり難易度の上がった腹筋運動は3回で音を上げた。綾の腕に倒れ込むと、面白そうに笑われた。

「最近また、のぶは荒れてんだ?二日で二人を骨抜きにする、百戦錬磨のセックスマシーン・七恵も、3年で賞

味期限切れか」

「人聞きの悪いこと言わないで!綾に関してだけ言うなら10年よ!?賞味期限も切れるわよ!」

 思えばこの人とも長い!

「秋になったら、10周年やるか!」

「海乃を愛して10周年記念と一緒でいいならね!」

 それから二人で背中合わせに凭れ合って、お茶をすすった。

 このまま縁側老婆になってもいいひと時だ。

「昨日、ハルカから電話来たぞ」

「へー……あの雌豚、子豚産んだんだよね?もう浮気のお誘い?」

 女の幸せ求めて結婚したくせに、それでもしょっちゅう誘って来るんだから、身体の髄まで結局ビアンだ。ざ

まあみろ!

「うーちゃん、見たらしいぞ」

 私は、弾かれたように綾に向き直る。

「嘘ぉ!?どうしてすぐに知らせてくれないのよ!」

「お前、昨夜はのぶん所じゃんか」

 ……ああそうだった。

「で、海乃をどこで見たんだって?」

「場所は相変わらず教えてくれなかったよ……とても教えられる状況じゃないって。つまりさ、男と居たんだっ

て」

「……嘘……」

 そろそろ梅雨が明けようという夏に、私の背筋には氷柱が差し込まれたように冷たく冴えた。

 どうしてだろう。海乃が誰か別の男と居るなんて事、考えた事もなかった。

 あんなに小さくて細こくて、一人で生きていくのが見るからに危なっかしい娘だ……男が傍にいてもおかしく

ないのに、そんな考えは微塵も浮かばなかった。

 がっくし肩を落としてしまった私に「聞きたくない?」と訊くから、私はモヤモヤした心の闇を取り払って、

姿勢を正した。

「それが本当に海乃で、元気で幸せなら……今は無理でも、私はきっと喜べる」



 綾が、身振り手振りにモノマネまで駆使て語ってくれた、晴香の目撃談はと言うと……

 一週間ほど前、実家から訪ねてきた弟と、お座敷個室になってる日本料理屋に行った時の話。

 すっかり食べ終わって、子供のおしめなんか替えてる時に、隣の個室にカップルが入った声がした。

 男が「うみの」と女を呼ぶ声に、部屋を隔てていた襖を細く開けて中を覗いた。

 面白い事に、弟は男の声と女が呼んだ男の名前に反応して、逆側の襖を開けていた。

 男は弟の上司だったらしく、二人で中の様子を伺っていた。

 男は普段、会社で見るより折り目正しく、女にやたら気を遣っている。

 対して女はニコリともせず、つまらなそうにしていたが、料理が運ばれるとそれを慈しむように微笑んだ。

 男が「日本料理が好きなの?」と訊くと、女は花のような笑顔で「うん」と答えたが、それ以外はまた笑う事

もなく、男ばかりが喋り続ける中で黙々と食べていた。

 ただ、晴香が言うには、一度きりの笑顔は本当に可愛くて、ハートを鷲掴みにされたと。彼女が本当に海乃本

人なら、一発ヤらせろとまで言っていた(……らしいけど、それ本当?)

 

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