小説『遠い町からやってきた。』
作者:加藤アガシ()

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繁盛している楓での仕事は想像以上にハードだった。
一人で客の相手をしていた茉莉が逃げ出したくなるのも分かる気がする。
僕は慣れない接客に注文を間違えたり、皿を割ったり、なんだかんだで何度もヒノキさんに怒鳴られるはめになった。(マスター・ノリスケは特に何も言わない)

そして、それを見ていたお客さん達もどこなく、『この人大丈夫かしら?』的視線で僕のことを見てくる気がするので僕は余計ミスを重ねた。
要するに、僕はダメダメだった。
昼時が過ぎ、ようやく客足も途絶えた頃には、僕は完全に意気消沈していた。

『お前、ぜんぜん使えねーな』

『すみません…』

ヒノキさんの言葉に僕自身も同意した。
もはや、言い返す気力もなければ、言い返せる根拠もない。

『もしかして、前の広告の仕事もこんな感じだったのか?』

『いや…、ええ、まぁ…』

『そりゃ、辞めるわけだな』


僕が曖昧に答えると、ヒノキさんは僕を軽蔑した目で見た。
僕は彼の言葉に怒るどころか広告会社で毎日怒鳴られていたのを思い出し、なんだか悲しくなってきた。

『その会社でどんな仕事してたの?』

空いた客席の皿を片づけていた茉莉が突然言った。

『どんなって・・、ただのアシスタントだよ。ディレクターの言うことを黙々とこなすだけだよ』

『ふーん・・・、黙々とねぇ・・・。働くって大変よねぇ・・・』


茉莉は意味深にそう言うと、皿を下げにカウンターの奥へ行ってしまった。
確か、彼女も来年あたり就活のはずだ。
そして、その姿が見えなくなったタイミングを狙ったように、ヒノキさんは僕に耳打ちしてきた。

『で、どうなんだよ?マリとは?』


またそれか。
僕は彼のその勘違いに、変わらずうんざりした。

『だから、別に僕は・・・』

『いらっしゃいませー!!』


と、突然、お客さんが来たので、ヒノキさんは勢いよく挨拶して、奥へと引っ込んだ。
あいかわらず『シェフは客の前に姿を見せない』をポリシーにしているわけだ。
まったく、シェフはいい身分だ。
僕は一人接客に当たる。

『いらっしゃいませ。二名様でよろしいでしょうか?』

『見て分かるでしょ?一人に見える?』

僕の接客に対し、香水臭いその客はそう言い放った。
鼻に付く嫌なオバサンだ。
趣味の悪い(あくまで僕の主観だけれども)白いふわふわのコートに、ヴィトンのバック、指にはウソ臭い指輪をたくさんしていた。
まるで、田舎から出てきたばかりの成金みたいだ。


『こちらにどうぞ』

僕がそのオバサンの態度と格好に目を丸くしながらもそう言うと、オバサンはいかにも意地の悪そうな顔でフンッと鼻を鳴らし、それに従った。
しかし、もう一方のオジサン(たぶん、夫だろう)は気が弱そうで『どうもねぇ』と、僕に向かって言ってくれた。彼はひょろりとノッポメガネでやさしく、なんだか正反対の夫婦だ。


『ご注文は何にいたしましょう?』

席に着かせると、僕はメニューが貼ってある壁を示しながらそう言った。
ランチは、ヒノキさんの日替わり定食の一種類しかない。


『コーヒー、二つ!』

オバサンはメニューに一瞥もくれず、強い口調でそう言った。
彼女はなぜか不機嫌で『何でこんな店で注文しなくてはいけない』みたいな雰囲気を出していた。

タバコに火を付け、勢いよく煙を吐きだす。
とにかく、このオバサンはヒノキさんの料理が目的でここに来たのわけではないらしい。
この喫茶店を『喫茶店』として利用する客に僕は驚いた。
今まで来た客はみんな、話題のヒノキさんランチが目当てだったのだ。
意外に思いながらも『コーヒー二つですね』と僕が注文を聞き入れ、カウンターへ戻ろうとすると、今度は気の弱そうなオジサンが話しかけてきた。


『ねぇ、キミ。ここら辺にグリーンハイツって言うアパートあるの知らない?』


グリーンハイツ?
僕は自分の耳を疑った。
なぜなら、グリーンハイツは僕が住んでいるアパートだ。
僕のアパートにこのチグハグな夫婦が何の用だろう?









『ええ、知っていますけど・・・』

僕が不審に思いながらも、そう答えるとオジサンは安堵の表情を浮かべた。

『そうかい、それはよかった。じゃあ、どこにあるか教えてくれないかね?もう探して探して、ここら辺を何周もしちゃったよ』


僕は簡単にグリーンハイツまでの道順を彼に説明した。
もちろん、僕がそのグリーンハイツの住人であることを伏せて。
わざわざ言う必要もない。
なぜなら、このチグハグな二人があやしく思えたからだ。
僕がマスターに注文を言いにカウンターに引き返してくると、聞き耳を立てていたらしい茉莉が小声で言った。


『ダレ?あの二人?何であのアパートに用があるわけ?』

彼女もあの二人を怪しんでいるわけだ。

『さぁ?ジロウさん達に用があるんじゃないかな?』

『ジロウさん達に?』

僕は彼らが管理人のおじいさんとおばあさんの知り合いなんじゃないかと推測していたが、どうやらそれに茉莉は納得いかないようだった。
彼女はうーんと考え出した。

『おーい。ランチで二つでいいよな?もう出来たぞ!』

『え?』


僕が振り返ると、早とちりしたヒノキさんは日替わり定食を用意していた。
彼は、あの夫婦も他のお客さんと同様に自分の料理が目当てで来たと勘違いしているのだ。


『あの、ヒノキさん…。注文、コーヒーだけだったんですけど…』

『え?』

『おし!分かった!』

僕がそう伝えると、口をあんぐり空けるヒノキさんをしり目に、今まで息をひそめていたマスター・ノリスケがそう言い、テキパキとコーヒーの準備をし始めた。
ノリスケは、なんとなく自分の仕事ができてうれしそうだった。
一方のヒノキさんは日替わり定食を見つめながら、ショックを受けていた。


『ちょっと待てよ。じゃあ、一体、何しに、この喫茶店に来たんだよ?』

いや、普通にお茶しに来たんでしょうと、僕が突っ込む前にヒノキさんは調理場から首を出して、客の夫婦を視察した。まるで、子供だ。


『ちなみにヒノキさんはあの二人、知らないですよね?』

『は?知るわけないだろ?何なんだよ?あの客は?ランチを食わないなんてどういう神経しているんだ?』

僕はなぜか悔しがるヒノキさんに、あの夫婦からグリーンハイツについて聞かれたことを説明した。
一応、ヒノキさんもグリーンハイツの住人だ。
まだ家賃を一銭も払っていないらしいけれど。
僕の話を聞いたヒノキさんは、ますます夫婦をじっくりと観察した。
どうやら、本当に知らないらしい。


『おい、できたぞ!運んでくれ』

僕ら三人(茉莉も含め)が調理場から、謎の夫婦を覗いていると、マスター・ノリスケが言った。
注文のコーヒーができたのだ。

『おし!じゃあ、俺ちょっと、置きながら聞いてくるよ』

『え?ちょっと、ヒノキさん?』

僕が止める間もなく、コーヒーを受け取ったヒノキさんは夫婦のもとに行ってしまった。
あんなに『シェフは客に姿を見せない』と言っていたのに。
どれだけ、ランチを注文されなかったことがくやしいんだ。


『おまたせしました〜!』

ヒノキさんが元気よくコーヒーをもって夫婦に近ずくと、何かを話していたらしい夫婦はヒノキさんを見た。
そして、ヒノキさんは『僕もグリーンハイツに住んでいるんですよ』みたいなことを言って切り出し、夫婦に何か話し始めた。
それに夫婦も笑顔で答えている。(無愛想だったオバサンの方も!)

しかし、調理場からその様子を伺う僕と茉莉にはその声がよく聞こえない。
ノリスケが勢いよく、コーヒーを作る機械を洗い出したからだ。

『今、あのオジサン何て言った?』

『私も分かんないわよ。勉強がどうとか・・・』

『勉強?アパートに勉強しに来たんだって?』

『さぁ?ていうか、勉強になんか普通来るわけないでしょ?』

僕らは、かすかに聞き取った『勉強』という単語に頭をひねりながら、ヒノキさん達の様子を見守った。
なんだかヒノキさんは驚いて、興奮しているように見える。
一体、何の話をしているんだろう。
僕は気になって仕方がない。


そして、ようやく話が終わったらしいヒノキさんが、やたらニヤニヤしながら、調理場へ戻ってきた。

『何だったんですか!?何の用だったんです?』

僕が聞くよりも先に、痺れを切れらしたらしい茉莉が興奮してヒノキさんに聞いた。
ヒノキさんはそれにもったいぶって、ニヤリと笑みを浮かべる。
僕らはその笑みに思わず、息を飲む。
そして、ヒノキさんは言った。


『あの夫婦…、フナムシの両親だってよ』








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