小説『遠い町からやってきた。』
作者:加藤アガシ()

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『もしかして、今日は休みの日だった?』


僕は気まずさから、文学少女に聞いた。
やわらか画廊のシャッターの鍵がなかなか開かなくて、彼女はひどく苦戦していたのだ。


『ううん。最近は、あたしのお父さんが適当に開けたいときにだけ、ここを開けてるの。一般のお客さんなんてめったにこないし。あっ、開いた』

彼女はそう言うと、シャッターを一気に持ち上げた。

『どう?廃れてるでしょ?』

僕の面前にやわらか画廊の店内が広がった。
確かに、彼女の言うように、画廊の中はちょっとホコリっぽかったし、老朽していたけれど、吹き抜けになっている二階の窓ガラスからは日の光が降り注いで、全てがキラキラ輝いていた。
そして肝心の絵画たちは、ただ売るためだけに無造作に並んでいるわけではなく、美術館のように、作品を作品として、『見せる』ための展示をされていて、僕をワクワクさせた。
その絵画のどれもが適当なものではなく、おそらく厳選されたであろう、味のある趣味のいい絵画ばかりだったのだ。


『僕は今まで、こんなに魅力的な空間を見たことがない』

僕はお世辞でも何でもなく、ただ正直に感想を述べた。
本当にそう思ったのだ。

『大げさ。あなたって誇張表現するのね』

彼女は僕の意見を聞くと、呆れるように、しかしどこかうれしそうにそう言った。

『で、イルカの絵だっけ?』

『ああ、うん。あるかな? 』

僕は展示されている絵を再度ざっと、見回してた。
しかし、イルカらしき絵(あくまでイルカをイルカと表現した絵)はなさそうに見えた。

『たぶん、ここにはないわ。あるとしたら、下の倉庫ね。ついてきて』

僕らは地下倉庫へ行った。やわらか画廊は、吹き抜けの二階建てで、画廊にしては、なかなかの広さだったが、地下室まであることに僕は驚いた。


『ねぇ、僕がこの中に入っていいの?』

薄暗い倉庫の中には、大量の絵画が丁寧に棚の上に保管されていて、どう考えても僕みたいな客、つまり部外者が入ってはいい場所ではなかった。

『だって、実際にあなたにその絵を見てもらわないと、どれだか分かんないじゃん。お父さんは帰ってきてないみたいだし・・・。あたしがいちいち、あなたの前に一枚一枚絵を運んできてコレ?コレ?って聞いていくなんて馬鹿みたいじゃない?
で、例のイルカの絵ってどのくらいの大きさで、なんて人が描いた絵?タイトルが分からなくてもそれくらい分かるでしょ?』

『・・あの、ごめん。実は何もわからないんだ。イルカの絵ということしか聞いてこなかったんだよ』

僕は正直に謝った。

『ハァ?情報たったそれだけなの?』


僕は、秋山先輩にくわしく聞いてこなかったことをひどく後悔した。
まさか、やわらか画廊に、こんなにたくさんの絵画があるとは思わなかったのだ。

『ごめん・・・』

僕は呆れている文学少女にまた謝った。











イルカの絵を探し始めてから20分近く経った。
文句ばかり言っている文学少女も、もちろんそうだと思うが、僕自身もいい加減探すのに、うんざりしてきた。
出てくる絵の大半は風景画や、抽象画で、イルカの絵など、ちっともありそうになかったからだ。
僕は本当に、秋山先輩の求めている絵がこの画廊にあるのか不安になってきた。

『ねぇ、君のお父さんはどこに行ったの?いつ帰ってくる?』

僕は、やわらか画廊の店主である彼女の父親なら、全ての絵画を把握しているに違いないと思った。

『さぁ、知らない。昨日の朝まではいたけど。いつもフラフラ出て行っちゃうの』

『出ていっちゃうって、画廊をほっといて?』

僕の言葉に彼女はムッとして言った。

『さっき言ったでしょ。ここは、あの人が開けたいときだけ、開けるの!今日は、あたしがいたから、特別に開けてあげたのよ。
欲しい絵がどういう絵なのかも、よく分からないで買いに来たマヌケのお客さんのためにね』

『ごめん・・』


僕はそのことに触れられて何も言えなくなった。


『そもそも、あなたはさっき、人に頼まれてイルカの絵を買いに来たって言ってたけど、どういうこと?
イルカの絵を取ってこいってだけ、言われて来たわけ?』


僕はここまで探してもらって悪い気がしたので、正直に秋山先輩に頼まれた経緯を軽く説明した。
僕が求職中の身であること、絵を買ってくる代わりに仕事がもらえると聞いて来たこと、秋山先輩のことなど。


『ねぇ、その秋山って人はどうやって、ここにそのイルカの絵があるって知ったわけ?』

僕が話し終わると、文学少女は質問した。

『さぁ、よくわからないよ。けど、僕の先輩は絵のレンタル会社で働いているから、そのイルカの絵も仕事で使うために必要になったんじゃないかな。
きっと、仕事先の人がここにあることを知っててさぁ』


『ここに住んでいるあたしも知らない絵を、その仕事先の人はどうやって知るのよ?』


確かに言われてみればそのとおりだった。
先輩の会社の人が、ここでその絵を見たことがあるなら、この画廊の店主の子供である文学少女も、その絵のことを知っていてよさそうなものだ。
その絵は本当に実在するのだろうか、僕は何だか、秋山先輩に騙されているような気がしてきた。


『とにかく、僕は頼まれてきただけで、よく分からないんだよ。このやわらか画廊から、イルカの絵を買ってこいってだけしか言われてないんだ』

『ふーん・・』


僕は文学少女に、自分が求職中の身であることを言わなければよかったと思った。
彼女は、僕のことをまるで、イルカの絵をダシにこの画廊に来た詐欺師みたいな目で見た。


『ねぇ、君のお母さんは今いないの?この画廊の絵について詳しくないの?』


疑われている気がして気まずくなった僕は、話題を変えることにした。
しかし、彼女はさらに怪しむような目で僕を見て、答えた。


『あたしのお母さんは、もういないわよ。五年前にどっかの知らない男と、あたしを置いて、蒸発したの』

『ごめん・・・』


結果として、余計気まずくなった。
僕はなんだか、いつもこうだ。
もがけばもがくほどに溺れていく。

『いや、別に気にしないで。あたしのお父さんがいつもフラフラ出ていっちゃうからいけなかったの。そりゃ、そうよね。
いつも、どこで何をしているか分からない旦那だなんて、浮気されて当然よ。
お母さんも、お父さんがどこかで浮気していると疑心暗鬼になって、浮気したんだと思う・・』


『あ〜あ、ずいぶんひどいこと言ってくれるじゃない?茉莉ちゃんさ〜』

突然、後ろから声がして僕は驚いて振り返った。

『お父さん!?』

突然、帰ってきた父親に、文学少女もさぞ驚いたようだった。











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