しかし、前方の亜喰夢の大群の中に一際目立つ大型の化け物が見える。
黒い体躯にライオンのような猛獣の顔。それに取って付けたような胴体。脇から生えているものは腕にしか見えない。その手に握られているのは漆黒の槍。こいつを中心に他の亜喰夢が取り巻いているところを見ると、どうやらその亜喰夢が頭首と見て間違いないらしい。
「大宮さん、聞こえますか」
独断で動いては不味いと思った次の瞬間には耳元のインカムに語りかけていた。
『ええ、聞こえてますよ』
ナビゲーターの明瞭な音声が耳に入る。ここが戦場であるのにも関わらず、その優しい声にホッと人心地つく自分がいた。
「目の前に見たこともない亜喰夢がいます。全身の色は黒で、頭部がライオンに近い生物、そしてそれに生やしたような胴体、腕。槍も持ってる直立二足歩行型の敵です。判別、お願いします」
一気呵成に言葉を吐き、伝えるべき事柄を仔細に告げた。
人を象る亜喰夢もそこまで珍しくない。この二年の間で数百と確認されている。一般的なザコと違うのは、それが進化しているということだ。当然、段違いに速度は上昇するし、攻撃の威力も高まる。
では、何が要因かと言われるとそれは亜喰夢の性質に由来する。奴らは、人を喰らうことで進化するのだ。今、目の前にいるのは二年前に進化した亜喰夢の成れの果てだ。これまで幾度となく亜喰夢を見てきたが、アレを見るのは初めてだ。
『桜庭君、本部でもまだ未確認の種類よ。八郷局長からの伝言で、戦闘中に可能な限り特性を引き出し、それを後で書類にまとめて提出してね〜。だそうです』
「面倒だな……」
人型の亜喰夢は強い。力を抑え、出しきれてない自分が余裕をもって相手出来るかどうか――。
『桜庭君ならば出来るわよ、ファイト!』
「あー、はい。頑張ります」
無気力な返事を返し、前方を向く。
僕が、ザコとは言え亜喰夢を一体瞬殺したことから警戒されているようだ。残った亜喰夢がこちらに近寄る気配は一向にない。
「そっちが来ないんなら、こっちから行くよ!」
背骨から生える片翼と戦闘服を翻らせ、一足飛びに駆け出す。半分赤々しく染まった視界には、無表情な筈の亜喰夢が少し動揺したかのように見えた。
意識を腕の先に集中し、手の中に夜色の炎を灯す。そしてそれを帯状に広げる心象を脳内に思い浮かべる。
「――ッ!」
無音の呼気に続き、腕が振るわれる。その手には、淡い闇色の鞭が握られていた。
それは鞭と呼ぶにはあまりにも太すぎ、禍々しかった。
イメージ通り帯状に展開された炎は、しなり、唸り、亜喰夢の大群の中を駆け抜けた。横薙に払われた亜喰夢が次々と溶けるようにして消滅していく。
僕はそれを一瞬正視すると、直ぐに視線を正した。
十数と存在していた亜喰夢はいつの間にか容易く数えられる程にまで減っていた。その数四つ。
しかし、それにはあの大型の亜喰夢も含まれている。奴は未だ動かず、状況を静観している。
「グギャァァァァァアア!!!」
受身になっていては駄目だと判断したのか、付き従うように大型の亜喰夢に侍っていた三体の小型亜喰夢が吶喊してきた。
前方、右方、そして左方から同時に繰り出される捨て身の突進。
僕は一度手の中の炎を消し、新たにイメージする。その間も足は止めない。
左右の腕を前方で交差して、両の手にひと握りのナイフを象った炎を現出させる。同時に、蹶然と地を蹴る足に炎の推進力を足す。この炎は、亜喰夢以外は焼かない。靴底から黒い炎の奔流が渦を巻きスラスターとしての役割を担う。
爆発的な加速を見せた僕に亜喰夢が立ち止まるのが見えた。だが、もう遅い――。
「――ハァッ!」
短い気合と共にふた振りの漆黒の刃が前方の亜喰夢をバツの字に切り裂く。高温で炙られた亜喰夢は一瞬にして塵と化した。
亜喰夢の残滓を熱風で吹き飛ばし、背後を見遣る。右方、左方から接近してきていた両亜喰夢共は同時に背後から攻撃を仕掛けて来ていた。
――振り返ったら間に合わない!
咄嗟に思考を働かせ、イメージする。
――翼を。
「グギャ!?」
いきなり前方に巨大な羽が突き出てきて、さぞかし驚いたことだろう。しかし、束の間の感傷に浸る間もなく亜喰夢共は炎の両翼によって切り裂かれた。
飛ぶことの出来ない翼にも、為せることはある。
「グル……」
最後に残った、大型の亜喰夢が唸る。
「人の形をしても人語を解するまでには至らないか」
ライオンの顔には諦念よりも怒りに近いものが浮かんでいた。いや、そんな気がした。
ギュッと右腕に巻きつけられた鎖が独りでにきつく腕を締め付ける。
「こんなときに……」
能力といっても無制限に、何の代償もなく使えるわけではない。制約がある。
僕の場合、自らを戒め続けること。鎖はそれを十二分に体現している。故に僕は能力を発揮することができる。
若干集中力が乱れたが、この程度の痛みなら問題ない。
亜喰夢が槍を構えたのを見て、僕も攻撃に備え大振りのナイフを模した黒炎を構えた。
「この炎はお前らを燃やすためだけの炎……」
あの日見た火災が僕の絶望の象徴となっている。その憎しみの矛先は亜喰夢。
やはり、僕は忘れられない。いや、忘れてはならない。常に後悔し、絶望しなければならない。それが、あの日何も出来なかった僕の戒め。力の源。
「残敵一体。対象の未確認の亜喰夢。これより排除します」
『了解』
大宮さんの確認の後、僕は蹶然と飛び出した。先手必勝!
「グル!」
亜喰夢が槍を構え応戦してくる。腰だめの構えから一息に突き刺す一撃。己の呼気さえ明確に感じ取れる刹那の一瞬――。
――構わない、焼き切れ!
地から浮いている状態で身を捻り、紙一重で回避する。その勢いに乗じて手元のナイフを漆黒の槍に沿えるように撫で斬る。スパッと、紙を切ったかのような軽い感触の後に槍が切断された。それを尻目に確認し、亜喰夢と交差する。元の立ち位置を変え、着地。
「グルルルルル……」
一瞬の攻防の結果を目の当たりにし唸る亜喰夢。強者の優越に浸りそれを眺めるも――。
「グル!」
亜喰夢のひと吠えに呼応し、槍が先端から再生していく――!
あれも身体の一部だというのか――!
「大宮さん、すいません。解放レベル1で相手すると厳しいです。……局長には申し訳ないですが早急に対象を撃破します」
『解放レベルを上げるわけにもいかないし……。わかったわ、私の方から局長に伝えておきます』
「はい、申し訳ないです」
『いいのよ。じゃあ、頑張ってね』
一連の会話を終えると、僕は手中の槍の感触を確かめる亜喰夢に向き直った。
亜喰夢というのは先ほど僕がやってみせたように、大罪の力で滅する他にも攻略法が存在する。それは、亜喰夢の核、[コア]を破壊すること。亜喰夢によってコアが格納されている場所が様々なため、コア破壊による消滅は容易ではない。だが、僕に限りそうではない。
「…………」
無言で左目を覆っていた眼帯を解く。
途端、血に濡れそぼったかのような真紅の瞳が露わになる。左目が空気に触れる感触に浸る間もなく、意識を視界に集中する。
この目は亜喰夢のコア。同族の瞳は視界の半分を鮮血の色に染める代わりに亜喰夢のコアを透かして見せてくれる。
「――右の二の腕!」
視界に入った次の瞬間には左目はコアの所在を見抜いていた。
コアの場所が分かればあとは潰してやればいい。
だが、問題は標的が明確な殺意をもって襲ってくるということ。動かない的とは違う。
「グル!」
槍を掲げて吶喊してくる亜喰夢。あの槍が再生すると分かった以上切断するのは望ましくない。かといって槍を無視すれば僕が攻撃を喰らうことになる。
コアだけを狙い、破壊する――。
「グルァ!」
亜喰夢が槍を振り上げる。
その動作の次を予期し、後方にバックステップで回避。しかし、一瞬間に合わずに槍が頬を掠める。
だが、
「僕もお前も変わらないな……」
頬の擦過傷は一瞬にして完治した。亜喰夢のコアをこの身に取り込んだことによって、多少の傷なら即座に治ってしまうのだ。
傷を負い、この身に宿る亜喰夢の力によって傷口が塞がれる度に感傷に浸ってしまう。
僕も結局は亜喰夢らとなんら変わらないことに。化物は所詮化け物だ。人の姿をしてようと、人外の者なんだ。そうである以上、僕らはずっと後ろ指を指され続ける。守っている人達から非難される。
それでも、僕たちは戦わなければならない。その理由は人それぞれだ。
僕は仲間のため――。そして、自らの罪を贖うため。
「だから、ここで死んでくれ」
亜喰夢と距離を取り、右腕を突き出す。
狙いは亜喰夢の右腕。その二の腕にあるコア。
近接戦闘が駄目なら遠距離から攻撃すればいい。
少し時間が掛かるし、疲れるから使いたくなかったんだけど……そんな悠長なことを言ってる場合じゃないか。
最大の力を込め、放つ。
「絶望の葬送曲(デスペラードフリューネル)!」
転瞬、右腕から夥しい数の漆黒の線と言うべきものが放出された。それは寸分違わず亜喰夢のコアに突き刺さる――!
「踊り狂え!」
もっと、もっと!
左目に映るコアにヒビが入ったように見えた。あとひと押し!
「おおおぉぉォォォォ!!!」
額から滝のように汗が吹き出す。それは頬を伝い地面へと落ちていく。その一瞬の間にも枚挙に遑がないほどの黒いレーザーが亜喰夢を貫通する。
ピシッ――!
亜喰夢のコアのヒビが放射状に拡散した。確かに耳に響いた音に士気が高揚する。
「グルォォォォォォォォ!!!」
亜喰夢が身悶え、しかし黒い線に貫かれ操り人形のように滑稽な踊りを踊る。自由を奪われ、痛みと束縛だけが亜喰夢を満たしているのが分かる。
「これで終わりだぁぁぁ!!」
渾身の力を振り絞り、最後の一本が右手から吐き出された瞬間。
――ビキッ!
コアが砕けた。それに前後して曇天に響く亜喰夢の悲痛な叫び声。
「グル……ァァァ……ァ」
他の亜喰夢同様に塵となって空気に流されていく。
その様相を見届け、僕は耳元に囁いた。
「ターゲットの消滅を確認。任務、完了しました」
『了解です。お疲れ様、帰還していいわよ』
「……はい」
こうして亜喰夢を狩る毎日。
未曾有の災害が起きる前に送っていた退屈で怠惰な日常と何が違うのだろうか。
空を仰ぐ。
この空だけは変わらない。災厄の前も、後も。地上はすっかり様変わりしてしまったというのに。
――全てが始まり、終わったのは二年前の6月7日。
僕の人生を刻んでいた歯車が狂ったのはあの時。
後悔と絶望だけが記憶の中のあの日を彩る。
もう戻れないあの日。
僕は全てを失った。