小説『短編集』
作者:tetsuya()

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相馬太郎十歳は野球を始めて三年が経過した。
 
 ようやく彼は一歩を歩み出そうとしていた。秋季大会で初めてベンチ入りメンバーに選ばれたのだ。

 ベンチ入りするまでに彼は並々ならぬ努力をしてきた。練習が終わってからも、家で黙々とバットを振ったり、ランニングに地道に取り組んだ。雨が降っていても、レインコートを着て走ったりした。休みの日は一日六時間ほど自主練習に取り組んだ。

 ベンチ入りは並々ならぬ努力がようやく実を結んだといえる。これからは試合で必死にアピールして、レギュラーを勝ち取りたい。背番号十七を早くレギュラー番号にしたい。背番号をもらったからといって余韻に浸っているわけにはいかない。

 ベンチ入りして初めて試合がやって来た。相手はお台場リトル、全国においてもトップクラスの強豪校で、最近五年間で三度の全国制覇を成し遂げている。

 走攻守どれをとっても非の打ち所のない選手がずらりと名を連ねる。五軍まであるチームにおけるエリート中のエリートが一軍のスターティングオーダーに名を連ねる。

 野球環境も相馬の所属している東京リトルとは全然違う。一軍にはナイター施設、ピッチングマシン、高級マッサージルームなどが取りつけられ、プロ野球選手並みの待遇を受ける。

 名門校と初戦で当たってしまうとは不幸だ。相馬はやる前からコールド負けを覚悟していた。レベルが違いすぎる。守備練習などをじっくりと観察していたときに、同じ小学生とは思えないくらいのグラブさばきにビックリした。格が違いすぎる。

 ブルペンの様子を遠くから見る。小学生とは思えない球が、キャッチャーミットにバンバン鳴り響く。相馬だけではなく、チーム名と全員の視線を釘付けにした。大量のプロテインや筋肉増強剤を摂取し手もあそこまで早い球は投げられない。

 試合前に整列をする。目の前の相手は身体よりもずっと大きく見えた。鍛えに鍛え上げられた身体に、試合だというのを忘れて、尊敬の眼差しを送ってしまうほどたくましい。

 一回表、お台場リトルの一番バッターがバッターボックスに立つ。小学生とは思えないほどの体つきをしている。真芯に当たったら場外まで飛んでいきそうだ。

 対するエースの高井は名門校相手にびびりまくっていた。緊張からか、ロージンバックを何度もさわっている。すぐに忘れているかように見えた。

 放心状態に近い、高井が一球目を投げ込む。真ん中の甘いところに行ったボールは軽々とスタンドまで運ばれた。

 フリーバッティングと試合を間違えてしまったのではないか、というところにボールがコントロールされたのを見ると高井も相当緊張しているようだ。

 キャッチャーがすかさずマウンドに行き、高井を鼓舞した。高井はようやく試合をしているのだと気づいたらしく、エンジンをかけなおす。

 高井はお台場リトル相手に必死に奮闘した。だけど実力で叶うはずもなく、長打、単打が飛び交い、つるべ打ちされていた。打撃ショーといってもいいくらいに。

 それでも名門校相手に、全員で必死にくらいついていく。ピンチを併殺打で切り抜けたり、ファインプレーの連発で大量得点を与えない。練習よりも格段に身体の動きがよく、うちのチームの選手たちが別人になってしまったかのようにもみえた。凄い選手を肌で感じることで成長している。

 七回までに十七安打を浴びながらも三点で抑えきった。観客からは名門校に必死に相手する、東京リトルに対して全員が惜しみない拍手を送っていた。

 チームメイトの闘志は、相馬にも勇気を与えた。負けているのに感動してしまっている自分がいる。勝たないといけないのに、どうしちゃったんだろう。勝ち負けのためだけにスポーツをやっているんじゃないんだと思った。

 守備は奮闘したものの、打線は全く機能しなかった。お台場リトルのエース開田に、六回裏まで無安打、無四球という後一イニングで完全試合というところまで抑えられた。 

 開田は少年野球屈指の好投手で、小学五年生にして百三十キロの直球を投げ込んでくる。それだけ攻略困難なのだが変化球もあり、スライダー、フォーク、シュートと切れのいいボールを次々と投げ込んでくる。全国で中学生のエースを張っていてもおかしくないといわれるほどの絶品投手だ。

 チャンスは訪れないと諦めかけていた七回裏、味方が奮起する。ファウルなどで粘り三つの四死球を勝ち取った。ツーアウトながら満塁の大チャンスだ。彼等の諦めない姿勢は試合の勝敗よりもジーンとくるものがあった。自分のためだけに練習してきた相馬は、チームが一丸になって立ち向かうことの重要性を教えられた。諦めなければ希望はいつかやって来る。

 この大事な場面で相馬は監督に肩を叩かれた。代打としていくように告げられた。

 相馬は思わず目線をそらしてしまう。自分には負担が重過ぎる。勝敗に直結する場面での起用はさすがに予想していなかった。もっと楽な場面で起用されると思っていた。

 胸が苦しくなった相馬は何もいわずに逃げ出そうとした。

 監督に腕を強くつかまれる。相馬は逃げ出そうとしたことを怒鳴られるのかと思っていたが、違っていた。

「並々ならぬ努力をしていたおまえが打てなくても、みんなは何もいわないよ」

 ベンチにいる全メンバーが強くうなずいた。  

「そうだよ。おまえがチームで一番努力してきたんだ。おまえがいたからこそみんなもがんばろうと思えたんだ。おまえ抜きのチームなど絶対にありない」

 他のチームメイトにも鼓舞され、相馬はバットを手に持った。時間がかかったので審判がバッターボックスに早く立つように促す。

 こんな大事な場面で起用してくれた監督の期待にこたえたい。そうおもいバッターボックスに向かった。

 試合で初めてバッターボックスにたった相馬は頭が真っ白になるくらい緊張していた。バットをさかさまに持っているのすらわかっていなかった。

「タイム」

 監督の声が聞こえ、ようやくバットをさかさまに持っているのに気づき、持ち直した。

 再びプレイがかかり、相手投手が一球目を投げ込んできた。ど真ん中だったものの、極度に緊張していた相馬は手が出なかった。ボールがビービー弾のように小さく見え、どこを通過したのかもよく分からなかった。

「ストライク」

 ストライクなんて言葉あったかな。彼の頭の中はそれくらい真っ白になっていた。

「タイム」

 監督が近づいてきて相馬を鼓舞した。

「相馬。思いっきりやるんだ」

 監督に直に励まされたことで少し落ち着けたらしい。大きく深呼吸すると、緊張感がみるみるうちに消えていった。

 相馬は二球目はストレート一本に絞ってバットを振ると決めた。あれだけ多彩な球種を狙って打つのは難しい。

 二球目、狙っていた直球がやってきた。ボールに負けないように強振したバットは快音を残した。

 打った相馬は打球の行方を見ずに全力疾走した。

 一塁走者の本田は、全力疾走の相馬を見て急いで走り出す。野球では前の走者を追い越すとアウトになるという規定がある。ホームランを打って打者を追い越してアウトになったスポーツ選手は記憶に新しいことだろう。

「ポチャーン」

 一塁を回ったところで、ボールが水に落ちる音が聞こえてきた。ボールが水に落ちるということは守備できないところまで飛んだということになる。 

 走るのをやめた彼の目には、喜ぶチームメイトとがっくりと肩を落とすお台場リトルの選手が目に入った。

 初打席でとんでもないことを成し遂げたようだ。名門校から金星を勝ち取る代打サヨナラ満塁ホームラン、夢を見ているかのようだった。

 ベースをゆっくりと一周する。すると負けてがっくりしたはずの相手選手からおめでとうといわれた。この言葉に相馬はジーンとした。勝敗がつくまでは敵であっても、勝負が決したら一つの仲間になれる。競い合っていてもずっと敵というわけではなさそうだ。

「ホームイン」

 チームメイトから荒い祝福をされた。これが自分がチームの一員として認められたと感じた初めての瞬間だった。 


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