松田沙希は大好きな男子生徒がいた。板浜一夫である。すごくおとなしいながらも、身体から溢れ出る優しさは彼女の心をすごく刺激する。気配を察知するだけで、胸が自然に躍動してしまう。
沙希は放課後に屋上に来てくださいという手紙を下駄箱の中に入れた。手紙にはあなたのことが好きですとも記してある。
沙希が告白しようと思ったのは、じっとしていると一夫を誰かに取られてしまう。そんな危機感からだった。彼にはすでに交際している女性がいるとの噂もあった。そんな噂を訊きつけて大急ぎで告白することにした。
一夫が屋上にやってくると、沙希はすぐさま本題に入った。
「あの手紙に目を通してくれた?」
「うん、拝読させてもらった。さわりの部分に触れたときは冗談かと思ってたけど、どうやら本当だったなんて」
私は核心に触れる部分を知った。知ってしまったからには後戻りはできない。
「これはあくまで噂で訊いただけなんだけど、一夫くんは付き合っている女性いるの?」
いないという回答を待ち望んでいた、沙希は答えを訊いて水気を失った花のように頬を萎ませた。
「うん、いるよ」
しばらく現実を受け入れられなかった。あまりのショックで頭が真っ白になり、体内時計も一時ストップした。こんなに近くにいるのに、超えられない大きな壁が存在している。
体内時計が再開すると、泣きたい衝動を抑えながら、誰と付き合っているのか訊いた。
彼は純粋すぎる眼差しで教えてくれた。それは彼のもっとも好きな仕草であった。
「由紀ちゃん」
同じクラスの柏木由紀か。スカートは膝の丈より長くて黒髪、爪もしっかりきっているなど、良くいえば真面目、悪くいえば個性のない面白みのかけている女性だ。
人気者に負けたのならしょうがないと割り切れる。だけど誰とも付き合えなさそうな、柏木と交際しているのは受け入れがたい。
「一夫くんは彼女のどういったところが好きなの?」
彼は、私を気遣ってか小さい声で呟くようにいった。
「優しくて真面目なところ」
個性を持っていない、をよく表現しただけだという言葉を私は呑み込んだ。彼の付き合っている女性を悪くいってしまえば機嫌を損ねてしまう。
だけど、彼女から一夫をどうしても横取りしたい沙希は、彼の心を揺さぶるために、女性らしいかわいらしさや弱さを見せながら誘惑してしまった。彼と二人きりになったことで理性を抑制できなくなっていた。
「彼女じゃなく、私と付き合わない?」
横取りを企んでいるように映った私は逆鱗に触れてしまったらしく、彼はきつくいいはなった。これまでにない真剣で声のトーンも全然違っていた。あの優しい和夫がここまで声を荒げるなんて。
「そんなこと考えてたんだ。許せない! 二人の関係を切り裂こうとする女性とは絶対に交際しない」
私の恋はあっけなく終焉を迎えた。
それだけなら救いはあった。彼は絶縁しようというメッセージを送ってきた。
「腹黒い女性は大嫌い! 他人のものを横取りしてまで、幸せになりたいのならろくでなしと付き合えば」
彼は私の目の前から遠ざかっていく。呼び止めたかったが、そうしてもいい状況ではなかった。
卒業するまで一度も男子に口を訊いてもらえなかった。彼を横取りしようとした代償は決して軽くなかった。