結婚して十年、幸せな毎日を送っていた。
妻の愛子との間に二人の子供を授かった。長男の大都と長女の由紀である。二人と接するだけで心が自然と和み、頬も自然と緩む。とってもかわいくていくら目に入れても痛くない。
会社帰り、やや長めの橋を渡っていると、正樹は顔をしかめた。極めて自己中心的で、他人の都合を一切顧みない女、近藤真樹が橋の上に立っていた。
絡まれると厄介なので、正樹は寄り道をしようとしたが、その前に声をかけられてしまった。
「久しぶりだね。正樹くん」
赤の他人のふりをして逃げようとした。関わるとまったくろくなことがない。
真樹はとてつもなく自分勝手で傲慢な女だった。正樹と交際中にもかかわらず、他に好きな男性ができて一方的に破局宣言してどこかにいってしまった。
その間に正樹には新しい彼女を作っていた。それが現在の妻である。かなり控え目ではあったが、しっかりしており、とっても魅力的な女性だった。愛子は実に理想像に叶った女性で、安定した生活を提供してくれそうだった。
彼女との交際は順調に進み、交際歴二年で、正樹はプロポーズした。彼女はあなたと一緒になれて嬉しいと喜んでくれた。
幸せを掴もうとしたところに、真樹が再び現れる。結婚するのを知った傲慢女は、結婚を取り消して、復縁しろと迫ってきた。
正樹が明確に拒否すると、執拗につきまとってきた。完全なストーカーである。
真樹は愛子にもストーカー行為をした。どこで撮ったのかわからないような不気味な写真も送りつけてきた。
控え目な愛子は、ストレスで精神疾患にかかり、精神科に通院することになった。
その病院にも真樹は現れ、病室で婚姻を破棄するよう迫った。安静状態を保とうとしている彼女の精神を崩壊させ、正樹と破局させる狙いも含まれていた。手に入れるためなら手段は選ばない、昔からそういったところがあった。エリート思考が実に強かった。
看護婦や病院長に帰りなさいと、繰り返し説得されても耳を貸さない。彼女には自分視点しかなく、私のやることを妨害することは許されない。そういった女だった。
最終的に不法侵入と判断した病院が警察に通報し、彼女は逮捕された。
彼女との逮捕をきっかけに、愛子は平常心に戻り、安定した日常生活を送れるようになった。二人はすぐさま結婚し、愛情をしっかりと育んでいった。
服役して心を入れ替えたと思っていたが、全然変わっていない。服役くらいで修正される脳内なら、そもそも前科などしていないか。まったく生きているだけで迷惑な女だ。
「家庭の全てをほっぽりだして、私と第二の人生を歩もうよ」
提案というよりは決まったかのような口調に、怒りを通り越して憐憫した。どうしてここまで自分勝手な発想ができるのだろうか。
昔から自己視点しかなかった女はさらにパワーアップしている。他人の家庭を奪ってまで、幸せになろうなんて、正気沙汰とは思えない。
いってもどうせ無駄だろうけど、正樹は当然の回答をしてみた。
「僕には自分の家庭を守る義務がある。だから君とは一緒になれない」
真樹はここでも耳を疑うようなことを、顔色一つ変えず平然といった。
「そんなのどうだっていいじゃない。大事なのは私とあなたの幸せでしょ。精神疾患にかかった奥さんや、生意気なだけの子供といてもストレスが溜まるだけ」
やはり話は通じそうにない。正樹は説得を諦めて逃げようとした。
すると彼女は涙ながらにいった。
「か弱き女性を守ってよ。私とっても寂しいんだよ。家にいてもずっとずっと一人ぼっちで誰にも相手してもらえない。職場だってそう。悪いことも失敗もしていないのに、解雇されるんだよ」
自己中だからそうなるんだろといいかけてやめた。話をややこしくするだけだ。一秒も早く愛する家族に、疲れを癒してもらう。バカ女にかまっている時間などない。背中を向けていなくなろうとした。
「そう、冷たいのね。それならばこっちにも考えがある」
後ろを振り向くと、彼女は懐から刃渡り十五センチほどの包丁を取り出していた。それで勢いよくこちらに突進してきた。包丁を目の前にして頭が真っ白になり全身が固まっていた、正樹は一歩も動けず背中を刺され、地面にバタリと倒れた。
大量出血しており、もう助からないと彼は悟った。
万が一のことを考えて保険はかけてある。だけど父親のいないことで二人の子供はいじめられないか、寂しい思いをしないか。彼は自分の命より、家族のこれからを案じながら息をひきとった。
彼の人生はたった一人の女によってどん底に突き飛ばされてしまった。