? Shopping and Movie ?
「それにしても、超生活感の無い部屋ですね……。モデルルームみたいです。まさか、超潔癖症ですか?」
照明のスイッチを押すと同時に絹旗が言った。緋奈にも彼女がそう思う理由は分かっていた。冷蔵庫も無ければ食器棚にはコップが三つだけで、広めのバルコニーにはチェアどころかプランターすら置かれていないのだから。
ワンフロアを丸々使用した部屋は、布団が敷けるほどの面積を誇る玄関からリビングに向けて横幅が三メートルほどあるフローリングの廊下が真っ直ぐ伸びている構造で、廊下の左沿いに部屋が三つ隣り合わせに造られていおり、その向かいにはトイレと風呂場が一部屋分の間隔を空けて設置されている。測ったことは無いが、恐らくかなりの面積を誇るリビングからは東西北の三方位に廊下無しで直結された大きめの部屋がある。ドアだけでリビングと隔てられたその三部屋の西側を緋奈は寝室として使用しており、それと同時に、使われているのはその一部屋だけである。
「はは、別にそんなことはないんですけどね。そもそも散らかる理由も物も無いですから。俺以外の人でこの部屋に入ったのだって絹旗さんが初めてなんですよ」
緋奈はリビングルームに絹旗を案内し、彼女をソファに座らせた。その後、テレビの電源を入れてテレビの左出前に設置されたソファの少し後ろにある白いテーブルから椅子を引き、そこへ腰掛けた。
「何か飲みますか?」
と緋奈は訊ねた。大丈夫です、と絹旗は答えた。まあ、飲めるものと言えば大きなボトルの刺さった飲料水のサーバーに目をやるしかないのだが。
テレビはロードショーの洋画を映し出していた。タイトルは知らないが、特に面白いともつまらないとも思わない(そういう意味ではつまらないのかもしれない)内容だった。二人は何を話すこともなく、半ばぼうっとした状態でそれを見つめていた。
そんな状態が一〇分ほど続いたとき、この部屋に初めてインターホンの音が鳴った。緋奈は初めての経験に若干の緊張と戸惑いを抱いたまま受話器を取った。
『えーと、お届けものなんですけど、緋奈遥斗さんで間違いないでしょうか』
「あ、はい。どうぞ」
何だろう、と思いつつも緋奈はエントランスへの立ち入りを阻むオートロックの鍵を開けた。少ししてもう一度呼び鈴が鳴った。緋奈は受話器を取らずにそのままドアを開けた。そこには街で見慣れた制服を着た宅配便の従業員がいた。その手には大きな段ボールがあり、もちろん緋奈に心当たりは無い。
荷物を受け取り、緋奈は謎の宅配物をリビングに運んだ。段ボールはかなりの重量だった。
「何も頼んだ覚えがないんだけどな……」
「待ってください! もしかすると超危険物かもしれません。ここは超護衛である私が開封します!」
段ボールをテーブルの上に置き、封をしてあるテープを剥がそうとした緋奈を制止して絹旗は段ボールを開け始めた。
「なっ! な、なな」
危険だからとソファに移動させられテレビを見ていた緋奈だったが、突然挙がった驚きの声にそちらを向く。やや高い場所にある段ボールの中身はこちらからは窺えなかったが、確認しようと立ち上がると絹旗は慌てて段ボールの蓋を閉じた。
「どうかしました?」
「ス、ストップ! 超ストップ! それ以上は近付かないでください!」
肉食獣の威嚇張りの気迫と剣幕に思わず緋奈は後退りする。
「えぇ……」
「超大丈夫です! ただ私の衣類が入ってただけですから!」
そうなんだ、と納得した緋奈だが、どうして隠すのという理由がいまいち分からなかった。
「これは超陰謀です。麦野とフレンダによる工作と考えるのが超妥当……」
一方、絹旗は一人で何かをぶつぶつと呟いていた。緋奈は食器棚を開け最下段からコップを手に取り、部屋の隅に設置された飲料水のサーバーからそこへ水を注いだ。緋奈は水を口に入れることなくコップをテーブルに置いた。
「えっと、空き部屋ならたくさん有りますから、好きな部屋を使ってください」
「お、それは超ありがたいてす。それにしても、これだけ広い部屋と言うよりフロアだとどこにしようか超悩みますね。なるべくリビングから近い場所だと超楽なんですが」
それなら、と緋奈はリビングルームに直結した東側の部屋をすすめた。絹旗は変わった構造に驚きつつもその部屋を使うことにした。彼女は中々の重量がある段ボールをいとも軽々と運び、緋奈はその部屋の照明を点けた。
「本当に超何も無いですね……」
絹旗がそう零す通り、部屋には一切の家具類は設置されておらず、とても生活できるような環境ではなかった。
「今日はもう買いには行けませんし、また明日家具類を見て回りましょう」
「ええ、そうしましょう」
◇
七月九日
護衛との同居二日目。やはり緋奈には分からない。
自分の部屋に自分以外の誰かがいるという事実をまだ受け入れられない。当たり前のように朝起きて、リビングに入るとソファの上で少女が穏やかな寝息をたてているということが。
物音をたてないように気を付けながら緋奈はコップに水を入れて飲んだ。水には人工的に作られた微かな甘みがあった。コップをテーブルに置き、それからテレビの少し上に掛けられた壁掛け時計に目をやる。時刻は九時を少し回っていた。
実験は九時半からだが、研究所の都合上、今日は行われないことになっていた。緋奈は自室に戻り、着替え始めた。白いシャツにカーキ色の薄い上着、それから七分丈の黒いズボンといった格好だ。
リビングに戻ると、タオルケットで覆われていた少女が上体を起こしていた。
「ん……おはようございます。お出かけですか? 私も準備しますから超待っててください」
目を擦り、ふらふらと部屋へ入っていった絹旗を待つ間にテレビを点ける。ニュースショーは昨日と同じものを放送していた。だからと言って平和ではないのがこの街である。そもそも――特に高位能力者の場合は――この街においての平和というものを諦めなければならない。
着替えを終えた絹旗と共に緋奈はコンビニへ向かった。緋奈の朝食は毎朝ここで購入する。 緋奈はいつも通り一五〇ミリのペットボトルに入ったお茶とおにぎりを一つ、絹旗はジュースと菓子パンを買った。レジ打ちは昨日とは違う、若い男性だった。
「今日は実験が休みだし、いろいろな家具を見に行きましょう」
「ええ、超楽しみにしてました!」
買い物という単語から想像できる以上にテンションが高い絹旗であったが、緋奈は特に気にすることなく家具を見てまわった。
買い物自体はさほど迷うこともなく終わった。少しの追加料金で買った荷物を夕方くらいに部屋に届けてくれるということで、それを利用し手ぶらのまま二人は街を探索する。そう、探索している。
「えっと、これはどこへ向かってるんでしょう」
困惑気味に緋奈は訊ねる。
「決まってるでしょう、超映画鑑賞しに行くんですよ!」
そう言うと絹旗はスキップで目に入った大きめの映画館に入っていった。緋奈もそれを追う。この時点で止めていれば、と後々後悔することになるのはもう少し先の話である。
「この映画、?大人?二人で超お願いします」
そう言って迷うことなく絹旗は見知らぬタイトルのチケットを購入する。自分が大人料金であることをやたら強調するところを見るかぎり、低身長をコンプレックスに感じているようだった。
平日の昼下がりということもあってか、館内に客はあまりいなかった。炭酸飲料とポップコーンを購入して上映開始まで少しのあいだ時間を潰し、二人は入場した。
「この映画、ネットでの評判を見て超面白そうだと思ってたんです」
と絹旗は言った。彼女はスクリーンに映る公開日の遠い大作映画の新作の宣伝映像を見ながらワンピースから出た足をぶらつかせている。
二人以外に客はいなかった。また、これからも誰かが現れるような気配はまったくと言っていいほど無かった。そんな、波の無い海辺のような虚しさを纏った空間は未だ淡い照明に照らされている。
「そうなんですか、それは楽しみだ」
緋奈は携帯電話を開き、時間を確認する。本編の上映はもうそろそろだろうと緋奈は携帯電話の電源をオフにした。
「ええ、超楽しみです」
ちょうど絹旗が言ったとき、照明が落ちてスクリーンがさらに降りた。やはり二人以外には誰もいなかったし、誰も来なかった。
◇
一時間後、二人は映画館を出た。
通常の映画よりもやや短めだったにも関わらず、まるで永遠にそれが続いているように感じた。現実とは遠く離れたどこかに行っていたような間隔だった。もう、帰ってくることは出来ないんだなと一時は覚悟を決めたほどにそれは遠かった。
長く長く長く、長い道の先に微かに見えた現実への扉。それだけを目指して緋奈は恐ろしく強大な睡魔に屈しそうになりながらも耐えきった。
はっきり言おう、クソつまらなかったのである。
人類の辿った進化の歴史を見守るという、どこに需要があるのか分からない謎のドキュメンタリー映画を見終えた二人は部屋へ向かって歩を運んでいる。
「いやー、超面白かったですね。ジャンルはともかく、こういう大作ぶったものは超好みです」
「そ、そうなんだ」
何故だかふらつく足を緋奈は少し急かす。きっと、映画観賞に体力を消耗するという人生初にして最後(であってほしい)の経験に身体と脳が混乱しているのだろう。
マンション前まで到着し、部屋へ戻ろうとする緋奈だったがオートロック前で足は止まる。
「お、やっと帰ってきたってわけよ!」
「こんなのが?シークレットプラン?、ねぇ……」
「きぬはた、キャラメルポップコーンの匂いがするよ」
焦る絹旗を横目に、彼女の関係者なのだろうと緋奈は溜め息を零す。