「坊ちゃん、お帰りなさいませ。旦那様が待っていますよ」
「・・・あの人が待ってる?」
蒼は首をかしげた、父親が自分を待っているなんてここ数年なかった事なのだ。
その様子を見て高齢執事の佐藤は蒼のランドセルを持ちながら緩やかに微笑む。
「なにがおかしい、佐藤」
そう聞かれると佐藤は、フローリングの廊下を歩きながら「なんでもありません」と笑みを浮かべて言った。
その足取りはヨロヨロとしていて高齢者特有の動き。蒼は見ていられないと、自分の肩を佐藤に貸す。
朝の新米メイドとは偉く違う扱いだ。
「・・・こんな老いぼれのために坊ちゃんが心配してくださること、佐藤は嬉しゅうございます」
「このぐらいあたりまえだ、佐藤には色々と世話になった。借りはたくさんある」
(ああ、坊ちゃんは成長している。ただ毎度見せるあの反抗心は一体なんなのでしょう?)
成長を我が子さながら噛み締める佐藤はただそれだけが気掛かりでならない。
佐藤は目から出た雫をすくい上げドアノブをひねった。
広々としたリビングの中で高級素材でできたソファに座っているのは間違いなく蒼の父親。
ドアを開けた瞬間親子は目線があったが蒼は瞬間的に目をそらす。
2人の間に分厚い壁のような重たい空気が生じる。佐藤はその様子にひどくうなだれた。
先に口を開いたのは蒼だった。
だがその声は冷たい。
「話とは、なんですか」
息子の表情を見て父親は小さくため息をこぼす。
「・・・おまえはずいぶんと使用人達を苦しませているようだな。今朝も新米のメイドが私に泣きついてきたぞ」
「・・・・・・・・・」
「何が不服なのかは知らないが明日からお前には教育係をつける」
蒼は目を見開く。
「はっ? なんでだよ」
「他人を苦しませる事にためらいのないおまえを一から教育させるためだ。全く、昔はこんな・・・」
ガンッ!!
「今もなにも昔も、アンタがいけないんじゃないかっ! それとも現実から逃げて部外者になる気か!?」
机に置かれていたグラスが宙を舞い、近くにいたメイド達が高く叫ぶ。
(全てが、どうでもよくなる・・・)
「坊ちゃん、お辞めください! 旦那様に暴力を振っても今はどうしようもありません!!」
必死に父親に殴りかかろうとした蒼を押さえ込んで説得をする佐藤。
蒼は涙を堪えて言う。
「じゃあ、じゃあ俺はどうしろって言うんだよ!」
ひどく取り乱した蒼を父は白い目で見る。
冷たく。
「・・・林、これが我が子だ。当分お前に蒼を任せる、頼んだぞ」
(林・・・聞いたことない苗字だ)
蒼はすっと目線を変える。
その先にいたのはスラリとしたスーツ姿の女性。
「わかりました旦那様。では明日」
そう告げると゛林゛と呼ばれた女性は奥の部屋へ入ってしまった。
あまりにも早い動作に蒼は追いつけなく、林の顔、雰囲気などがまったくよくわからなかった。
ただ特徴的な少しかすれた声だけ察知することができた。
話が終わったのか父はまた広い屋敷に蒼を残して出て行った。
親子の間にある壁はふさがらないまま、また時が始まる。