小説『炎の指先』
作者:天鯉雨(二郎、雑記)

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   二.導火線

 小説を書こうにも、手が……動かなかった。文学賞受賞を目指して張り切っていた頃はまるで指先に炎が宿ったかのようだったのに、いまは……いまはまるで、指先が氷のようだ。凍傷で悴(かじか)むかのように、臆病者のように、指先が震えて全く動かない。
一日寝て起きれば、次の朝にはもうけろりとした顔で何事もなくキーボードを叩いている筈と思っていた。……なのに、脳裏に浮かぶのは、あの忌々しいババアの顔、そればかり、そればかりだ! 
脳裏で燻(くすぶ)っていたその顔は、やがて幽霊のようにぼんやりと、あたしの目の前に具現化をし始める……。
義務教育の頃に食わされていたソフト麺のように、それは、初めの内は芯のない、輪郭のぼやけた状態だった。しかし、あたしが動揺する様を見せるや否や、今度はそれがだんだんと現実味を帯びていき、少しずつ、少しずつ、優勢に立った彼女の姿はアルデンテの輪郭へと変貌を遂げていった……。
彼女は言った。
「……あんたの書くものはねぇ……ぜぇんぶ没! 全部、全部、全部、全部、ぜぇ〜んぶ没よ! 賞金は最初から、私の身内のものだと決まってんのよ。あははははははははは……! 綿貫司? 誰それ? 大学も出ていない素人が文学賞を貰おうだなんておこがましいにもほどがあるわ。一度死んで、人生をやり直してからまたいらっしゃい。そのときはひょっとしたらあなたの作品、冒頭の数行程度は読んであげるかもよ。あ、でもやっぱ投稿するだけ無駄かぁ……。上位入賞は私の身内で固めるつもりだからね……。あは、あはははははははは……!」

「……あ……、あたしを……あたしを舐めるんじゃねえ……!」
 幻覚を幻覚だと認識できなかったあたしは、傍にあったノートパソコンを両手で持ち上げ、そして全力で彼女目掛けて投げつけてやった。普段から愛用していたノートパソコンだったが、まさか持ち主にこのようなかたちで生命を絶たれるとは、パソコン自体思いもしていなかったことだろう……。断末魔ともとれる悲痛なビープ音を最期に、液晶画面の割れたそれは、主の為に働くことはもう二度となかった。二度と立ち上がれぬ傷を付けられたパソコンとは対照的に、幻覚の彼女は完全な無傷で、それも、笑顔さえ浮かべる余裕な態度でこちらを見続けていた……。

大学? ふ……ふざけるんじゃねぇ! ろくに作品も見ないで、何が選考だ! ……略歴か? 略歴だけで選んでんのか? 略歴欄に併記してある学歴を見て、「ああ、こいつは賢いから、きっと何か良い作品を書いているに違いない」とか、そんな間抜けな先入観を持ちながら、机上のくだらねえ絵空事ばかりを古臭い単語で修飾してだらだらと並べた、うわべだけアーティスティックのモヤシな作品、そんな作品に、美味そうに食指をのばしているのか? 身内の作品を確保しつつ、他の選考委員に怪しまれないよう、カモフラージュとして高学歴の投稿者の作品も上位に掲げる。そして、そうでない作品、学歴の伴っていない作品なんかは最初からゴミ箱行き、読むにも値しない、とでもいうのか?
……学歴のないあたしが馬鹿なんじゃあない! あんたが……、身内同士のなあなあ根性と、他人の肩書きに踊らされているあんたが、一番の大馬鹿野郎なんだよ! 今朝の朝刊を見た。過去の受賞者として、あんたの作品を手放しで賞賛している記事が載ってた……。「活字の未来の担い手」だぁ? 「文学界の太陽」だぁ? 
あたしの、あたしの、あたしの……

 あたしの炎を舐めるな!

 ……絶叫した。六畳間内を跳ね回っていたあたしの大声が、自分の鼓膜へと返ってきた瞬間、あたしは我を取り戻す。と同時に、目の前にいた彼女の姿が消えたことを視認した。
冷静になったあたしは、彼女が「活字の未来の担い手」などではないということを心に強く思い込ませた。そして、彼女が「太陽」であることは、認めた。……太陽は悪だ。太陽と呼ばれる彼女の光が……あたしの影を、さらに色濃いものへと強めていったのだから。
震える手で、机の上に置かれた「のみぐすり」と書かれている白い紙袋を手に取る。袋の中身、医師から処方されたその白い錠剤には、「不安とイライラを解消するお薬です」という説明書きが添えられていた。
錠剤を服用し、波のような間隔で眠気が襲い掛かってきた頃、階下からは、父が階段を駆け上がってくる足音が聞こえた。
「どうした司。いま二階で大きな物音がしたけど、何かあったのか?」
「ん、ああ……何でもないよ。……それよりさぁ……、ねぇ、お父さん、パソコン壊れちゃった。だから……新しいの買ってよ」
 父の心配そうな顔をよそに、あたしは襲い来る眠気に敗北を認め、布団に包まって目を閉じた。意識を失う直前、朝刊に載っていたあの女の名前を思い出し、「よし、もうあの女、殺しちゃおう……」そう独りごちてから、眠った。

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