小説『ドラゴンクエスト? 〜天空の花嫁〜 《第二部》』
作者:wanari()

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 ルドマンの執務室を出たアランは厨房を訪れた。そこで野菜の皮を剥いていたメルフェに声を掛ける。

「メルフェさん、フローラの部屋はどこになりますか?」
「お嬢様のお部屋、ですか」

 手を止めたメイドは非常に複雑な表情を浮かべた。

「申し訳ありません。旦那様から、結婚相手が決まるまでは無闇にお嬢様へお通ししないように言いつかっているのです。それにアラン様。差し出がましいことを申し上げるようですが……」

 手早く作業を終わらせ、布巾で手を拭ったメルフェがアランの前まで来る。

「いくら結婚相手に立候補されたと言っても、いきなりお嬢様のお部屋をお訪ねになるのは紳士としてどうかと思います」
「そう、なんですか?」

 アランは戸惑いながらも首を傾げた。女性の、特に高貴な身分の淑女に相対する際の常識というものはアランには乏しい。今度の訪問も、純粋に彼女とゆっくり話がしたいという気持ちからだけだった。だがメルフェは「貞節にかかわることなのです」と言ってにべもない。仕方なく、アランは別のことを尋ねた。

「アンディさんの家って、どちらにありますか。彼とも話がしてみたくて」
「あの方のお宅なら、サラボナの街を入ってすぐ南にありますよ。大きな樹の根元に井戸があるお家ですから、すぐにわかると思います」

 親切に教えてくれた後、メルフェは瞳に好奇心を浮かべた。

「アンディさんにお会いになられて、どうなされるのですか? やはりフローラお嬢様について、でしょうか」

 アランは首を横に振った。

「いえ、ちょっとアンディさん自身に気になることがあって。早まらなければいいなと思っているのですが」
「早まる……もしや、旦那様が出されたという条件についてでしょうか」

 メルフェは表情を改めた。どうやら彼女はルドマンの会談の内容をある程度知っているらしい。わずかに眉を下げる。

「アンディさんはフローラお嬢様と昔から懇意だった方ですが、思い詰めると他が見えなくなるご気質は以前からずっと見られたそうですよ。お嬢様が時折、不安そうに嘆いていましたから」
「……そうか。やはり」

 黙り込んだアランにメルフェは手を振る。努めて明るい口調で彼女は言った。

「ですが、いくらアンディさんでもいきなり一人で火山洞窟に乗り込むなんて無謀はなさりませんよ。大丈夫ですわ」

 その声に、アランは曖昧にうなずいた。




 ルドマン邸を出たアランは、宿に戻る前にアンディの自宅を訪ねることにした。
 陽がだいぶ高くなっている。街の中央にある噴水広場には、大勢の住人や商人たちが行き来していた。人の流れの中を縫いながら、メルフェに教えられた場所へと向かう。
 アンディの家は、街を囲む塀の内側にあった。二階建ての、ごくごく質素な佇まいである。ルドマン邸の豪華さとはもちろん比べるべくもない。このように育った環境が違う二人が幼馴染であるということが、アランにとって新鮮な驚きだった。
 庭に大きな樹と井戸があることを確認したアランは、玄関の戸口を静かに叩いた。やがて中から人の良さそうな老夫婦が出てくる。

「はい、どちらさまで?」
「初めまして。アランといいます。あの、アンディさんはいらっしゃいますか?」
「ああ、あんたがアランさん? おやおや、話以上に良い男だこと」

 夫の後ろで老婦人が口元に手を当てる。妻の仕草に苦笑した夫は、アランを室内に迎え入れた。家の外観同様、質素な作りの居間に通され、椅子のひとつに座る。アランはサンタローズの自宅のことを思い出した。

「何にもないところですまないねえ」
「いえ。とても安心します。懐かしくて」

 微笑みながら老夫婦を見る。夫がコールズ、妻がラズリと名乗った。アンディの年齢を考えると、少々年かさに見えた。

 お茶を前に老夫婦と向かい合う。アンディの父コールズが言った。

「君の話はアンディから聞いているよ。あの子がフローラ以外の子についてあれほど熱心に語るのは珍しかったからね」
「アンディさんは何と?」
「見習いたいほど立派な恋敵」

 アランは苦笑した。こういう純朴なところがアンディの魅力なのだろう。

「アンディさんはきっと、フローラとはお似合いなのでしょうね」

 そんな言葉が口を突いて出た。するとラズリが神妙な顔をして言った。

「ねえアラン。あんたもフローラの結婚相手に立候補しているんだよね?」
「はい」
「こんなことあんたに言うのは酷なんだけど……フローラのことは諦めてやってくれないかねえ」
「こら、お前」

 コールズがたしなめるが、ラズリは静かに首を横に振った。

「あの子はずっと昔からフローラのことが好きだったんだよ。今でもそうさ。あんな内気な子が曲がりなりにもまっすぐ育ってきたのは、フローラの存在があったからだと思うんだよね。親の贔屓なのは重々承知しているけれど、あたしらももう歳だ。アンディには幸せになってもらいたい。それだけが望みだからねえ」
「ラズリさん」

 アランは言葉に詰まった。家族の幸せを願うこと、それはアランにとって最も遠いことであり、最も尊いことでもあった。アンディの姿に、フローラを想う気持ちの強さを見たこともあって、ラズリの言葉、切なる願いはずしんと胸に響く。


 僕は、フローラのことをどれだけ想っているのだろう――


 十年前、ラインハットで再会したときのことが鮮やかに蘇る。短いながらも互いに過ごしたひとときは、アランにとって大切な思い出だ。それこそ、十年経ってもまったく色褪せないくらいに。

 コールズが咳払いをした。アランを気遣うように言う。

「結婚はなるようにしかならん。お互いの気持ちがあるからの。だからアラン君はアラン君の気持ちを大切にすればよいよ」
「そうね……」

 と、ラズリもうなずく。アランと目を合わせた彼女はゆったりと微笑んだ。

「アンディの恋敵が良い人だってことは、あたしらにとって救いなのかもしれないねえ」

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