「あの。何か?」
紅茶に伸ばしかけた手を止め、アランは尋ねる。するとルドマンは口元に笑みを浮かべ、どさっとソファーの背もたれに身を預けた。
「月日が経つのは早いものだ。まさかあのときの少年が、これほど立派に成長しているとは。しかも、我が娘の結婚相手に立候補しているときた」
やはりよく見ている、とアランは思った。あの大勢の参加者の中で、ルドマンはアランの姿を覚えていたのだから。
「それでアラン君。パパス殿は、君のお父上はどうされているかね? よければまたお話をしたいと思うのだが」
「……亡くなりました」
「なに?」
ルドマンが身を乗り出す。アランは姿勢を正し、かつて父と友誼を結んだ豪商に真実を語った。
「ルドマンさんと再会して間もなく、父は魔物の手によって殺されました。僕は亡き父の遺志を継ぎ、こうして世界を旅しています。伝説の勇者を探し出し、魔物に囚われた僕の母を救うために」
「何と……あのパパス殿が……」
眉間に深い谷を作り、沈鬱な表情になるルドマン。パパスの死を悼むように瞑目し、彼はしばらくの間祈りの言葉を小さくつぶやいていた。
やがて顔を上げる。
「君には無神経な質問をしてしまったな。許してくれ。……ところで、先ほど君は伝説の勇者を探すと言っていたな。もしや、私を訪ねてきたのはそのためかね」
「はい」
アランはうなずき、いつも身につけている天空の剣を差し出した。くるんでいた布を取り外し、鞘から抜き放ったその美麗な剣をルドマンに見えるように机の上に置く。一目見てルドマンの目付きが変わった。
「天空の剣……父が僕に託してくれたものです。伝説の勇者を見つけるためには、この天空の武具防具を揃える必要があると教わりました。そしてルドマンさんの元には、天空の盾と思しき防具があると耳にして、こうして伺ったのです」
「おお……」
感嘆の声を漏らし、ルドマンが天空の剣に手を伸ばす。アランは鋭く制止した。
「この剣は意志を持っています。不用意に触ると拒絶されます」
「なるほど。この神秘的な輝きといい、まさに伝説の剣と呼ぶに相応しい。君の話は真実なのだろう。ならば私も真実を伝えなければなるまい」
ルドマンもまた、居住まいを正した。
「確かに、我が家に代々伝わる家宝は天空の盾と呼ばれるものだ。その昔、伝説の勇者の手にあり、魔王の悪しき力から勇者を守ったとされる聖なる盾だ。正直、私は縁起物としてしか見ていなかったが、天空の剣も現存するならば、この盾の重要性も見直すべきなのかもしれぬ。だが」
ふと、ルドマンの視線が険しさを増した。射貫くようにアランを見る。
「まさかとは思うが、アラン君。君はこの天空の盾を手に入れるためにフローラの婚約者に名乗りを上げたのではあるまいな」
「そう言われても、仕方がないと思っています」
アランはできるだけ誠意を持って応えた。
「確かに今日の会談に足を運んだのは、ルドマンさんと盾について話をするためでもありました。でも、自分の気持ちを確かめたいと思ったのも事実なんです。僕は根無し草のような人間、ずっと使命のことを考えて旅をしてきました。サラボナに来て、フローラと再会して、自分にとって結婚とはどういうものなんだろうと思うようになりました。だから機会があれば、彼女とも話をして、それで自分の気持ちを確かめたい。そう思っています」
ふむ、とルドマンはつぶやいた。温くなり始めた紅茶で喉を潤し、改めて問う。
「では、君はフローラとの結婚話と天空の盾の話とは、分けて考えたいと思っているのだね」
「はい」
「よし。ならば結構」
意外とあっさり納得した姿に、アランの方が目を丸くする。ルドマンの口元にはうっすらと笑みが浮かんでいた。
「君の話、信じようではないか。天空の盾は結納品代わり、真に価値を見出せる者はごくわずかだろう。なれば、伝説の勇者を探すという大義を持った君に託すのは道理に適う」
「とてもありがたい申し出ですが……あの、よろしいのですか? それはあなたと、あなたの家系にとってとても大事なものなのでは」
「ふふっ……ふはははっ」
突然大声で笑い出したルドマンに、いよいよアランは戸惑う。腹の底から呵々大笑いする彼は、とても気持ちよさそうに目を細めていた。
「いや失礼。つい昔を思い出してしまって」
「昔……?」
「十年前、君のお父上とラインハットでお会いしたときだよ。あのとき戯れに、我が娘フローラかデボラのどちらかを嫁にもらってくれないかと言ってみたら、今の君のような答えが返ってきた。結婚に対する真摯な態度といい、君は父親にそっくりだ。大いに誇るべきだよ」
ルドマンは紅茶を豪快に飲み干す。晴れ晴れとした表情でアランに向き直った。
「しかし、こうなると俄然期待が持てるようになってきたな。君のような若者がフローラの婿になってくれると考えると、なかなか楽しみだ。おっと、だからと言って特別扱いはしないよ。私が出した条件は君にも等しく当てはまる。その上で、見事私の期待に応えてみてくれ」
アランは苦笑しながらうなずいた。
「天空の盾については、フローラの結婚がまとまってから改めて話をさせてくれ。それからもうひとつ、君は年齢の割に落ち着いた人物のようだが、大事な伴侶のために無茶無鉄砲になることも時には必要だぞ? これは年長者からの助言だ」
パパスと友誼を結ぶだけあって、根っからの好人物なのだな――悪戯っぽく笑うルドマンを見て、アランはそう思った。