灼熱の火山洞窟に再び足を踏み入れたフローラは、緊張の余り胸の前で両手を握りしめる。そこには、マーリンから譲り受けたブロンズナイフがあった。彼女の細腕ではいかほどの役に立つかわからないが、その固い金属の感触のおかげで、フローラは自らの決意を思い起こすことができた。
今、彼女はチロルの背ではなく自分の足で歩いている。自らもアランの仲間のひとり――その自覚が生んだ行動だった。
フローラの横には彼女を守るようにサイモンが並び立ち、前にはアランの逞しい背中を見ることができる。彼の両脇にはチロルとピエールが油断なく周囲を見回し、突然の敵襲や、探索に危険な場所がないかを常に警戒していた。彼らの足元にはメタリンの姿もある。
後ろに目を遣れば、空飛ぶコドランと、彼の背に乗ったスラリンがいた。探索行に参加したのはこのメンバーだ。クックル、ドラきち、ホイミン、マーリンは馬車で待機している。
一行の間に雑談はほとんどない。時折先頭のアランとピエールが何かしら相談したり、仲間に指示を出したりするくらいで、後は黙々と洞窟の奥へと向かっている。この環境だ、少しでも体力を温存するためだろうとフローラは思った。
ひとつ息をつき、額の汗を拭う。
時折気遣わしげな視線をアランが送ってくるが、フローラは微笑みを浮かべ、首を横に振るだけにした。よほど気になることがない限り、こちからから話しかけないようにする。それが彼の集中を邪魔しない方法だと考えたからだった。
――火山洞窟に足を踏み入れる直前、フローラは危険地帯に飛び込む緊張感とはまた別の胸の高鳴りを覚えていた。
まさかアランさんからあのような申出を受けるなんて思いもしなかった。もしかしたらアランさんも私と同じ気持ちを抱いていたのかもしれない。何だか、ドキドキが止まらない。
――甘かった、と考えるしかない。
アランと一緒に本格的に冒険ができることへの淡い期待。それは火山洞窟の厳しい実態を再び目の当たりにすることによって吹き飛んだ。だがフローラはここまでの旅路と経験によって、ここは素早く思考を切り替えるべきだということを学んでいた。自分は貴族の娘、単なる同行者ではなく、今は仲間としてここにいる。ならば、少ない自分の力をどう使うか、どのようにしてアランの力になるかを考えなければならないと思っていた。
ちり、と前髪が震えたような気がした。反射的に顔を上げると同時に、チロルが敵意を剥き出しにした唸り声を上げる。アランが剣を抜き、皆がいっせいに戦闘態勢に入る。
天井近くから舞い降りてきたのは、馬の顔とコウモリの翼を持ったモンスター、『ホースデビル』だ。合せて三体、興奮した表情でこちらを睨みつけている。
その迫力にフローラが唾を飲み込んだ瞬間、ホースデビルたちはいっせいに襲いかかってくる。負けじとアラン、ピエール、チロルが正面からぶつかり、他の仲間たちがそれを援護する。たちまち激しい剣撃の音が洞窟内に谺し始める。
フローラはブロンズナイフを握りしめた。アランたちの動きはとても真似できるものではないが、自分の身を守ることはできるはず。幸い、数の差か、こちらはかなり優勢に戦いを進めていた。
そのとき。
「あっ、バカ! そっち行くな!」
メタリンが上げた焦りの声。もう少しで打ち倒せるといったところで、ホースデビルの一体がアランたちの脇をくぐり抜け、その手に呪文の光を纏わせながら舞い上がったのだ。フローラは息を呑む。
「あれは、メラミの呪文!」
火球呪文メラの上位に位置する呪文だ、とフローラは気づく。昔書物で読んだことがある。メラとは比べものにならない強力な攻撃呪文――
ホースデビルの手に大きな火の玉が出現する。炎の熱がここまで届きそうなほど、表面が燃えさかっている。書物の記載は決して過飾ではなかった。
サイモンがフローラを庇うように前に立つ。次の瞬間、フローラたちに向けてメラミの呪文が放たれる。空間を抉るような炎の音が高速で迫ってきた。サイモンは盾で受け止めるつもりか、その場に足を踏ん張った。フローラはとっさに自らの呪文の力を呼び起こす。
少しでも威力を削いで、サイモンさんのダメージを減らさないと……!
「お願い、発動して」
フローラには呪文の才能がある。しかし実戦経験のない彼女では習得できる範囲に限りがあった。多くは書物で読み、その仕組みを頭に思い描くだけのものだ。だからこそ、自らに強く願う。今こそ自らの力を使うときだと。
両手に現れた光をメラミに向ける。眦を決し、叫んだ。
「――、ベギラマ!」
大きな反動とともに両手から炎が迸る。紛れもない火炎魔法ベギラマの発動。
しかし。
地面を舐めるように突進した炎は途中で千々に乱れ、メラミに直撃することなく霧散する。火の玉はわずかに進路と速度を変え、なおも迫る。
着弾の寸前、構えを解いたサイモンがフローラを抱きかかえ、その場から跳躍する。直後、メラミは彼女らがいた地面を抉り、四方に火の粉を撒き散らせながら消えていった。