「フローラ。どうしたというのだ。部屋で待っているように言っただろう」
ルドマンが驚きの表情で突然の闖入者を見た。清楚な服に身を包んだフローラは、その表情をわずかに上気させながら父親に歩み寄る。
「お父様。私は今までずっとお父様の仰る通りにしてきました。ですが、自分の夫となる人だけは、自分の意志で決めたいのです」
フローラは胸に手を当て、会場に訪れた男たちに懇願した。
「それにみなさん、炎のリングがある火山洞窟は、溶岩が流れる非常に危険な場所だと聞きました。どうかお願いです。私などのために危ないことをしないでください!」
場が静まり返った。重苦しい空気が辺りを支配する。
彼女の真摯な言葉が、皮肉にも炎のリングを入手することの困難さを参加者に強く意識させることになったのだ。
男たちの様子に、フローラが不安そうに眉を下げる。そのとき、今度はひどく陽気な声が部屋に満ちた。
「はーい、フローラ。その辺にしとこうじゃないか」
「デボラ姉さん」
背後からフローラに抱きつくようにして現れた黒髪の美女――デボラは、妹の抗議の声を無視して参加者に指を突きつけた。
「ま、あたしの妹のムコになろうってんだから、命のひとつやふたつかけてもらわないと困るって話よ。わかった? あんたたち」
「姉さん! でも私は!」
「あーはいはい。気持ちはわかるけど下がった下がった。まったく後先考えずに飛び出すところは誰に似たんだろうねえ」
半ばデボラに引きずられるようにして部屋の外へと歩いて行くフローラ。呆れた表情を浮かべていた姉の顔が、ふと『にやり』と緩んだ。
デボラの視線は真っ直ぐにアランに向けられていた。
彼女は、いまだ腕の中でもがくフローラの耳に何かを囁いた。弾かれたようにフローラの顔が上がり、今度はそのフローラと目が合う。
何故かフローラが体を強張らせた。その隣でデボラが強烈な視線をアランに寄越してくる。姉の無言の圧力に押されたように、アランはフローラに向かって小さく手を振った。
途端、彼女の顔が赤くなった。
意外な反応にアランも戸惑い、振った手でそのまま頬を掻いた。どうしてか、こちらの頬も赤くなっていることを自覚する。
そうこうしているうちに、フローラはデボラに連れられ部屋の外に出てしまった。
やり取りはほんの数秒のこと。その場にいた男たちはアランとフローラたちの行動を見ていた様子がない。皆、無茶で危険な条件に対して騒ぎ立てるばかりだ。隣を見ると、あのアンディでさえフローラの変化に気づいていなかった。
むしろ――
「炎のリング……南の火山……結婚の、証……」
笛を顎先にあて、アンディは誰よりも真剣にこれからのことを考えていた。横顔は緊張に染まり、額からはわずかに汗が流れていた。周りが見えている様子ではない。だが、その瞳に宿る決意は少しも揺らいでいなかった。
「……アンディさん?」
アランが声をかけるも、彼は応えなかった。フローラたちに次いでルドマンも出て行った部屋の中を、困惑と諦念に満ちた男たちの声が包む。アランはただ、フローラたちが立ち去った扉をじっと見つめていた。
私室へと引き返す廊下で、デボラは忍び笑いを漏らした。
「ね? フローラ、言ったとおりだったでしょ? アランの奴、アンタと結婚したいって名乗りでたんだよ。さすがあたしの見込んだ男だねえ」
「もう、姉さんってば! アランさんまで巻き込んで、何てことを!」
怒り心頭に見える妹を、デボラは軽くいなした。長い付き合いだ。彼女が本当に怒っているか、それとも単なる照れ隠しなのか、手に取るようにわかる。だから口元のにやにやが止まらない。
フローラの方もデボラの性格を熟知しているので、それ以上何も言わず「知りません!」と言って顔を背けた。その頬はまだ若干の赤みが残っている。
ひとしきり笑ったデボラは、フローラの肩を叩いた。
「アンタの強情さはあたしもよく知ってるけどさ。さすがにあれは予想外だったわ。パパが大事な話をしているのに、いきなり飛び込んだりして」
「でも……どうしても我慢できなかったの。私のために、大勢の人が危険にさらされるなんて」
怒気を萎ませ、痛ましげにうつむくフローラ。デボラは頬を掻きながら少しだけ罰が悪そうにした。
――アランが来ているって言えば喜んでもっと態度が変わるかと思ってたけど、少しアテが外れたわね。いかにもこの子らしいというか。これじゃあ、あいつと気軽に話なんてできやしない。
「あーもう。何だかめんどくさいわ」
「姉さん?」
「あたしは寝る。昨日からあんまり寝てないのよ。考えるのも疲れるし。フローラ、あんたも部屋に戻って休みなさい。とりあえず頭を冷やすのよ。あのパパが、あんな真剣な顔をして口にした約束を、そう簡単に反故にするわけないんだから」
「それは、そうだけど……」
「だけどじゃないの。自分の意志で決めるにしたって、カッカした頭で本当の気持ちなんて考えられるワケないじゃない」
「……私、そんなに動揺していたかしら……?」
「動揺っていうか、ま、あんたらしいなとは思うけど。こういう状況になったんだから、やってくる男どもを品定めするつもりでどーんと構えてなさい」
「私、姉さんほど割り切れないわ」
しゅんとうつむくフローラ。やれやれとデボラは苦笑した。
二階の自室に向かう階段に足を掛けたとき、ふとフローラがつぶやく。
「お父様が出した条件を考えると、アランさんは南の火山に向かわれるのかしら。隣にはアンディの姿もあったわ。アンディ、とても戦える力なんて持っていないのに。二人とも早まらなければいいけど……」
「んー。アランの奴はまあ問題ないと思うけど、アンディはやばいかもねえ」
顔を上げ姉を見るフローラ。デボラは顎に手を当て、若干呆れた表情で言った。
「あいつ、相当思い詰めた表情してたわよ。あの調子だと冗談じゃなく馬鹿なことしそうな感じ」
「そ、そんな」
フローラの顔が青ざめる。それを見たデボラが再び笑った。何か悪巧みを思いついたときのような、あの『にやり』とした顔だ。
「気になるなら……行ってみる?」