小説『鎌の骨が鳴るとき』
作者:ぽてち()

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◆『苦痛な心の傷』

・その代償



男の右頬に赤い一筋の線が入った。どうやら、適当に振った鎌が運良く皮膚をかすったようだ。
すると、男は小さく舌打ちをして私を飛び越え、一瞬にして姿を消した。

「逃げられたか……くそっ、死神が死神を殺そうなんて、めちゃくちゃだ!」

フェリックスが悪態をついた。アルフレッドはというと、私達に救援を求めてきたジムとギルバートを心配していた。
草の上に大の字で仰向けに倒れたジム。彼は自分の側で座り込むアルフレッドに話しかけた。

「……もう、冥界はダメだ。零ノ使徒が主導権を握ってしまった……。実力差がありすぎて、俺達じゃ歯が立たない。
だから、デス・サターンがいても、現世に移った方がいいかもしれん……もちろん、今ここにいる六人一緒にな」

ジムの話を聞いていたアルフレッドは、笑みを浮かべて言った。

「珍しいねえ! ジムがそんな事を口にするなんてさ」

「あれだけの実力を見せ付けられれば、少しでも人数を多くして現世に移った方がいいと普通なら考えるだろう?
それに、お前に消えられても俺が困るからな。弟が先に成仏したら、兄としての面目が立たん」

「よく言うよ。あれだけ俺をボコボコにして楽しんでいたくせに。ま、今回はジムがボコボコにされたね。いい気味だよ」

アルフレッドのちょっとした嫌味にジムは薄笑いをした。そして、右手で手招きする。

「手伝ってくれ。足が震えて立てん」

「全く、世話がかかる兄だ……まるで老人の介護をしているみたいだよ」

ブツブツとこぼしながらもアルフレッドはジムに肩を貸し、立たせた。
季節がいつでも春である冥界に生温い強い風が吹き、皆の髪の毛を乱す。何も聞えない、しんとした寂しい世界。
狂い始めた冥界と恐怖に怯える死神達。しかし、私は死神になった事については後悔はしていない。なってよかったと思う。
アルフレッドという素晴らしい相棒ができたし、フェリックスやジョシュアといった良き仲間にも出会えた。むしろ、誘ってくれたオシリスに感謝したいくらいだ。
そして今、オシリスは危険な状態だと私は思う。きっと、誰かに洗脳でもされているのかもしれない。
そうであれば、私はオシリスを救いたい。冥界を元の状態に戻したい。私にできるのであれば……。

「なあにそんなにも深刻そうに考えてるんだ、エドガー?」

代わりにアルフレッドの鎌を持っていたフェリックスが、アルフレッドの鎌にぶら下がる頭蓋骨を振り回して私の頭にぶつけた。
完璧に不意打ちを食らった私。軽い音がしたが相当痛くて、私は思わず力を入れてフェリックスの頭を叩き返す。

「悪かった! ゴメン、そんなに痛いとは思ってなかったんだよ」

「それにしても骨で殴るなんて酷いじゃないか!」

全く反省の色が見られないフェリックス。少々笑いながら「ゴメン」と言っているほどだ。しかし、彼に悪意があったわけじゃないとわかっているので、私は仕方なく許した。
骨が直撃した後頭部をさすりながら、私は頬を膨らませる。悪気が無くとも、まさか頭蓋骨をぶつけるとは……。
それから私達は零ノ使徒に見つからぬように気を張り巡らせながら、各自、死神荘の部屋へ戻った。
部屋へ入るなりアルフレッド、フェリックス、ジョシュア、私の四人は早速現世へ向かう準備を始める。ジム達と話し合った結果、明日にでも冥界を出る事になったのだ。
しかし、現世に何を持っていけばいいのかわからず、私はただ突っ立っていた。読者陣も私がこうなる事をきっと予想していただろう。
というより、ここはフェリックスとジョシュアの部屋。アルフレッドと私は一度、ウール湖の死神荘へ戻らなければいけなかった。
外は危険だが、仕方がない。準備が終わったら戻って来ると約束し、私達は夕日に照らされながら歩き出した。

「ねえ、エドガー。一つ聞くけど、こんな事件に巻き込まれて、死神にならない方がよかったって思う?」

「そんな事、思うわけないだろ? むしろ、なってよかったと思ってるよ。
君やフェリックス、ジョシュアといった素晴らしい仲間に出会えたんだからね」

「そう言ってもらえて嬉しいよ。もし思ってたらどうしようかと思った。フェリックス達も喜ぶと――」

「アルフレッド、後ろ!」

私が叫んだ時にはもう遅かった。背後から近付いてきていた謎の死神が投げた一本の刃物。それが私の声で振り返ったアルフレッドの左目に運悪く突き刺さってしまった。
鮮血が飛び散り、彼は悲鳴と叫び声が混ざり合ったような声を出した。無理矢理刃物を抜いて投げ捨てる。

「ちょ、アルフレッド! 目が……!」

私は慌てて彼の状態を確認しようとする。
目蓋が閉じた左目から、真っ赤な涙が絶えず流れ、目を押さえる手が血に塗れていた。
私は顔を前方に向けてみた。が、刃物を投げた人物の姿はとっくに無い。もしかして、零ノ使徒だったのだろうか……。
いや、まずその事を考える前に、アルフレッドの傷をなんとかしなくてはならない。
痛みで呻き声を上げるアルフレッドを連れて、私達は死神荘の自室へ戻った。
血を拭うためのタオルを持たせた彼を椅子に座らせ、私は救急箱の中をあさる。そういえば、あの時、フェリックスが治癒鉄とかいう物を持っていたような……。

「確かフェリックスが治癒鉄を持っていたよね。それで治るかい?」

私が聞くと、彼は荒げた呼吸を繰り返しながら顔を上に向けた。

「治癒鉄は十年前に製造停止……。そして一個につき一度しか使えない。フェリックスが俺に使ったんだから、もうあれで最後のはずだ……」

「そんな! 他に残ってる治癒鉄は無いのか!?」

「治癒鉄に必要な鉱石はとっくに底が尽きた。どうやっても作る事はできない。この傷は……そうだな、一生背負っていくしかないみたいだ」

赤く染まったタオルを台所のシンクの中に投げ捨てる。ビチャッという音がたった後に血液がシンクの回りに跳ねて付着した。
そして、何を血迷ったのか、アルフレッドはナイフを取り出して刃先を自分に向けた。

「ちょっと……何をする気だ……?」

「目玉を抉り取る。必要の無い物はそこに居座ってはいけない。きっと左目は使い物にならないだろうから、俺の体から切り離す」

「何を馬鹿な事を! 正気か、アルフレッド! もう一つ治癒鉄をフェリックスが持ってるかもしれない。今呼んでくるから大人しく待ってろ!」

私はアルフレッドに向かって叫んで、部屋を飛び出した。
無我夢中で走り、フェリックス達の部屋へ行って状況を簡潔に説明し、とりあえずフェリックスとジョシュアを連れてアルフレッドがいる部屋へ早急に戻る。
息が上がっても気にせず、ドアを思い切り開けた。

「アルフレッド!」

私が彼の名前を大声で言って入ったが――遅かった。
窓に体を向けたアルフレッドの垂れた右手には血みどろのナイフ。左手には見るも無残な生々しい眼球が握られていた。
白目の部分は血液で赤くなり、夥しい量の真っ赤な液体が絨毯一面に広がっている。
私達は言葉が詰まって出ず、呼吸さえも忘れてしまいそうになった。
こうなるのではないかと、私は思っていた。わかっていた。でも、ほんの少しだが希望はあると思い、この部屋を出た。
その希望に賭けた私が悪い。間違った選択肢を選び、結果、こうなった。あのまま止めていれば今頃……。

「先に言っておくけど、エドガーは悪くないよ」

優しい声が上がった。アルフレッドがこちらを振り向くが、とても直視できるような光景ではなかった。
なんと書けばいいのだろう……例えが思いつかない。というより、存在するもので例えれるものなど無い。
閉じた左目の周りは異常なほどの血がこびりついていて、眼球が無くなったせいか、目蓋の部分がへこんでいる。
赤い涙が流れ、頬を伝い、顎へ流れて床へ無音で落ちる。彼は腕でその血を拭い、話を続けた。

「エドガーが俺を止めたとしても、絶対にこうなっていた。これは俺自身が決めた事だからね。他人の選択で結果が変わるなんて事はありえない。
俺の目に刃物が刺さった時から、俺はこうする事を望んでいた。こうしようと思っていた。その結果、俺の望み通りになった。
これは他人のせいとか、そういう問題じゃない。俺がどうしたいのかが問題なんだ。
きっと価値観の違いだろうから、俺のこの行為を理解できないかもしれない。けど、これは俺がした事なんだ。
わかってくれなんて言わないよ。いや、わかるはずがない。
でも、きっかけができてよかった。忌々しい目を抉り取る事ができたし、もう俺は満足だよ」

そこまで彼が言った時、騒ぎを聞きつけたジムが私達を押し退けて部屋に入り、アルフレッドの胸倉を掴んで壁に押し付けた。

「どういうつもりだ、アルフレッド! 自分の体を傷つけてまでも親父が憎いか!」

アルフレッドはジムをキッと睨み、怒鳴り返す。

「ああ、憎いさ! 憎くて憎くて、殺したいくらい憎い! あんな奴を父親だと言っていた自分が呆れるよ!
どれだけ俺が奴を憎んでいるか、お前にはわからないだろうね! 父親っ子だったもんな!」

「そこまで他人を罵る事ができるなんて、お前も落ちぶれたもんだ、アルフレッド!
もう成人だろ? そろそろ割り切れ! 馬鹿じゃなきゃできるはずだ!」

ジムに散々言われ、言葉に詰まったアルフレッド。歯を食いしばり、今までに無いほど憎しみが込められた眼差しでジムを強く睨む。
そして、左手に持っていた赤い眼球を軽々と握りつぶした。気色悪い音が聞え、内容物が握った指の間から床にこぼれ落ちる。
私は思わず顔を下に向けて視線を逸らした。フェリックスやジョシュアから「ああ……」という声が重い溜め息と共に聞えた。
眼球を潰した後も兄弟による罵声が部屋に響く。

「お前は本当に馬鹿だな! 目玉を潰したからといって、似ているものは似ているんだ。それが無くなる事は一生無いんだぞ!
まだ片目だって残ってる。どう足掻いても俺達は親父の子供なんだ!」

「ならこの目も潰せば……!」

私が顔を上げた丁度その時、アルフレッドが再び持っていたナイフを右目に向けていた。
その手を力ずくでジムが押さえ、無理矢理ナイフをもぎ取って手の届かない絨毯の上へ投げ捨てた。

「お前は世界一の馬鹿だ! 両目が無くなったら何も見えなくなるぞ!?」

ジムが叫ぶ。その時のアルフレッドの右目には、大粒の涙が溜まっていた。何かを我慢した様子だ。
彼は走り出し、私達を手で退けて部屋を飛び出した。私は後を追って外の廊下へ出たが、既に姿は無かった。
遅れて来たギルバートが部屋の状態を見るなり、驚きの声を上げた。

「な、何だこりゃ! 何でこんな血だらけなんだ!?」

「アルフレッドが目玉を抉り取った結果だ」とジムが静かに言った。「それよりもアイツを追いかけないと、大変な事になるぞ。あの出血量なら……一時間は持たない」

「なら、ジムとギルバート、ジョシュアでアルフレッドを捜してきてくれ。俺とエドガーで部屋の後処理をする」

フェリックスが指示を出すと、三人は急いで部屋から出て行った。

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