27:不良1匹見たら3、40匹いると思え
「わざわざすいません……」
「いいっていいって。弾には連絡したのか?」
「はい。おじいちゃんと来るって言ってました」
「え!?」
「どうしました?」
「いや!? なんでもないよ!? うん!」
やはり液晶テレビを抱えていると、大勢の人混みの中ではどうしても邪魔になった。
蘭はいつまでも信に持たせる訳にはいかないと、それを弾に受け取りに来させるために境内を出たところにある道路まで向かっていた。今現在液晶テレビを抱えている信もそれに同行し、別に狙ったわけでもなく人気の無いところで二人きりである。
一夏と箒も境内のところで待たせているし、なるべく早く戻らなければ、と蘭たちは少し急ぎつつ神社の裏手の細い道を通り、道路の少し手前まで来たところで広場に出た。昔はおじいちゃんと一緒によくここに散歩に来たっけ、と蘭は思い出す。ここまでは祭の明かりが届かず、二人の数メートル先は暗闇に包まれている。
「お、なんか開けたとこに出たな」
「ええ。ここって何もないから自由に走り回ったりできて、子供たちの隠れた遊び場みたいですよ。夜は誰もいないですけど」
「へ〜。誰もいない、か……」
すると信が立ち止まった。蘭は首をかしげて同じように立ち止まる。
ゆっくりと下に液晶テレビを置き、蘭の手を握る。訳がわからず信を見ると、今までになく集中した顔つきになっていた。月光に照らされたその横顔に蘭はドキドキしてしまう。
「し、信さん? あ、あの………?」
「蘭、俺から離れるな。絶対手を離すな」
『なんで』と理由を聞くまでもなくその答えは現れた。その答えは蘭の想像したロマンチックなものとは程遠く、信の顔つきは戦士のものへと変わっていた。
「ひゅぅ〜。うらやましぃ〜」
冷やかすような口調で暗闇から現れた薄ら笑いを浮かべるその男は、あのときの不良だった。蘭は恐怖を感じ、信にしがみつく。
「なんだよ今更。何か用でもあるのか?」
「まぁな。俺は律儀だからよぉ。お礼に来たわけだ。友達も君に会いたいって言ったから連れてきたし」
ザッザッと靴音が聞こえると、二人を中心に円形の包囲網が出来上がった。みな冷ややかな笑みを浮かべ、金属バットや鉄パイプ、スタンガンのようなものを持っている人もいる。蘭はますます強く信の手を握りしめた。
「へぇ。安心したよ。お前なんかにも友達いたんだな。しかも随分仲良さそうじゃないか」
「……あ〜何だろうなあ。お前みてぇに顔がいいやつが女と歩いてっとムカつくなぁ。何一つ不幸なことがないみたいでさ」
「奇遇だな。俺もお前みたいなグレて悪ぶって偉そうにしてるやつは気にくわない」
すると今まで人をバカにするような口調だった不良は突然怒鳴り声をあげた。
「うるせぇ! お前みたいなやつぁ一回殴り飛ばさねぇと気がすまねぇ!なぁ!お前ら」
不良の仲間たちが雄叫びを上げる。その声は祭り囃子に書き消され、誰かに届くことはないだろう。つまり、助けは見込めない。蘭はまた泣きそうになった。
すると信が一瞬だけ笑顔になり蘭の頭に手を置く。
「信じろ」
その言葉はどんなものよりも蘭を励まし、涙を堪えさせた。信から力を貰うように、ぴったりと体を密着させる。
「うぜぇんだよ! テメェ! 頭かち――」
バキッ!!
「……まず一人」
金属バットを振り上げて突撃してきた不良Aは蹴られたことも理解できず宙を舞い、地面に叩きつけられた。ピクピクと痙攣したあと、口から泡をはいてそのまま気絶した。
蘭と不良たちは唖然として信を見る。
「どうした? 予想外か?」
「……ちぃっ! 何ぼさっとしてんだお前ら! やれ!」
その声で我に返った一人が再び信に突撃する。が、あっさりとかわされて首にトンと手刀をあびるとそのまま気絶した。
信は動かなくなった不良を、最初に話しかけてきたやつ――不良のリーダーっぽい人――に向かって右手一本で放り投げる。ぐしゃっという音と共になんとも情けない格好で叩きつけられた不良Bは端から見てもすぐに復活は見込めそうになかった。
「な、なんだよ。こいつ……!」
「いいのは顔だけだって言ってたじゃねぇか……! 俺は聞いてねぇぞ……!」
「お、お前ら! 焦ることはねぇ! 一人でダメなら全員でかかればいいんだ!」
蘭は信にしがみつきながら未だにこの光景が信じられなかった。
(私と一緒にいる分、動きにくいはずなのに……)
信はそんなこと気にも止めず、他の人にもそれを感じさせない動きを見せている。恐らく全力じゃないのだろう。それでこれなのだから、思う存分戦えたらどうなるのか。蘭の想像力ではまったく見当もつかなかった。
「そ、そうだ! まとめていくぞ!」
「行け! お前ら! ぶっ潰せぇぇぇ!」
「「「「「「「「おおおおお!!」」」」」」」」」
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「はぁ……蘭、大丈夫か?」
「え!? わ、私は全然!!」
信の頬を伝う汗が月の光を反射する。それをぐいっと拭って、信はリーダーっぽい不良の方を向く。
リーダーっぽい人は信の周りの死屍累々の有り様に口をあんぐりと開けている。信の視線に気付くと、不良は怯えたような目をしながら後退りする。
「なぁ。俺もう疲れたからさ、帰ってくれよ」
「へ、へっ! ま、まあいいさ! お前みたいなやつはそのバカ女と一生イチャイチャ――」
ガシッ!
「!?」
頭を誰かに捕まれ、締め付けられる。その力たるや万力よりも強い。不良は何とかそれを振りほどこうとするが、その手は微動だにしない。
「ほぉ〜……お前さんが言ってるのはもしかしてあの子かい?」
言葉には測り知れぬ怒りがこもっており、不良はおろか信まで思わず冷や汗をかいた。その筋骨隆々の腕は年老いた今もなお衰えることを知らず、一家を支えてきた漢おとこの証だった。
「もう一度聞いておこうか? お前さんはうちのかわいい孫娘のことを『バカ女』と言ったかな?」
「いててて! は、離せ!」
「歯ぁ食いしばれ……」
信は蘭と繋いでない方の手を体の前にたてて、不良のご冥福をお祈りするのだった。
バキッッッッッッ!!!!
小太りの不良はまるで体重など無いように、数十メートル吹っ飛んで、そのまま暗闇の中で静かになった。
「い、いや〜。蘭のおじいさんは相変わらず元気だね〜……あ、安心したよ〜……」
「そ、そうですね……あ、あははは……」
二人で引きつった笑いを浮かべると、厳は老人とは思えないほどの速さでこちらにかけてきた。
信はなんとなーく嫌な予感がしていたが、それは的中した。
「うちの孫にぃぃぃぃ!!!」
「え!? お、落ち着いてくだ――」
「何しとんじゃぁぁぁぁぁぁ!!!」
「おじいちゃん! 待って!」
とっさに手を広げて飛び出した蘭は、放たれた拳が当たるのを覚悟する。
厳は既に勢いよく放った拳を止めることはできず、それ以前に冷静さを欠いていたのでとっさの判断に遅れた。
まさに拳が蘭の目の前数十センチまできたとき。目をつぶった蘭は手をぐいっと後ろに引かれる力に抵抗することができず、強引に場所を取り替えられた。
「え――」
バキッッッッッッ!!!!
気付いたときには信が真横に数十メートル吹っ飛んで気絶していた。 同時に花火が空高く上がり、夏の甘くて苦い思い出に色を添えたのだった。
◇
「すー……すー……」
「う、う〜ん……」
頬の痛みと誰かの寝息で、信は目を覚ます。いつの間にか月は高く昇り、自分を照らしている。痛みの引かない頬に手を触れると湿布のようなものが貼ってあり、気付けば野外ではなく屋内にいた。どこかの家の和室のようだ。畳の香りが心を落ち着かせ、庭に向かって開かれた戸から入り込む風が風鈴を鳴らす。
確か蘭のおじいさんに殴られて……。
信は布団に寝たまま首を動かす。
「……起きたか?」
声のする方向には、五反田厳その人が庭を向いて縁側に座り、小さい背中を信に見せていた。その姿は信を殴った人と同一人物とは思えない。
「あ、はい……ここは?」
「俺の家だ」
ぶっきらぼうにそれだけいうと、厳はまた黙ってしまった。
信は何をそんなに落ち込んでいるのか聞こうと上体を起こそうとするが、あることに気付いた。
「すー……すー……」
「……蘭?」
右手がどうにも自由でないと思ったら、蘭が握ったまま信の腹部を枕換わりにしてスヤスヤと眠っているのだ。その目は僅かに赤くなり、頬には涙の筋がくっきりと残っていた。
蘭が目を覚まさないようにゆっくり体を起こし、再び厳を見ると、その視線を感じたのか静かに厳は語りだす。
「お前さんを殴ったあとえらく泣いてかれて……『大嫌い!』なんて言われたのは初めてだ……」
厳は『はぁ……』とこの世の終わりを目にしたかのような絶望のため息をつく。
「織斑のガキにはうちの弾のほうから連絡したみてぇだから心配するな……」
(いや、俺的にはあなたの落ち込み度合いの方が心配なんですけど)
心のなかでツッコみを入れながら信は次の言葉を待つ。
「どうやら蘭は織斑のガキと同じようにお前さんをえらく気に入ったみたいでな。あんなに泣かれたのは初めてだ」
「そうですか……」
「娘がお前さんを手当てしている間も離れようとしないし、わしを近付けようとしないのだ。結局泣き疲れてそのまま寝ちまったようだが……」
携帯を取り出して時間を確認すると、十時をまわったところだった。
(今から帰ったら千冬さんに殴られるな……でも帰らないとそれはそれで……)
信は両頬を腫らしたまま朝食を食べる自分を想像して身震いした。
「……すまなかったな。蘭を助けてもらったというのに……」
厳はそう言って立ち上がり、信の横まで来て厳は土下座する。こうなると信としてはどうしたらいいかわからない。
「や、やめてくださいよ! も、もとはといえば俺が悪いんです!」
厳は頭を畳に擦り付けたまま動かない。そこには真剣な思いがこもっており、ひしひしとそれが伝わってくる。
「……蘭はとても優しくて、家族思いの女の子で、俺にとっては……なんというか……」
信は握られていない方の手で蘭をそっと撫でる。蘭はくすぐったいのか、少し首を動かして口元を緩ませた。
「妹、みたいな……だから、もう泣き顔を見たくありません。蘭も俺のことを慕ってくれるなら、とても嬉しいです」
顔をあげた厳は信の目を見つめ、再び頭を下げた。
「すまねぇ。わしはお前さんを勘違いしてたみたいだ。てっきり上っ面だけの調子のいいクソゴミグズゲスカス野郎だと思ってたが……」
「そ、そうですか……あは、あはは……」
「その考えを改めよう。今日からお前は織斑のガキと同じ、バカ野郎に格上げだ」
(上がったところであまり変わりがない……)
でもまぁ自分に対する変なイメージが払拭できたのならいいか。
引きつった笑いを浮かべながら信はそう思い、蘭の手を優しくほどく。最初は抵抗したものの、気持ちが通じたのか、蘭はゆっくりと手を開いて信を解放した。
「じゃあ俺は帰ります。蘭をお願いします」
「ああ。いろいろ悪かったな」
厳は顔を上げ、蘭を抱き抱えるとスクッと立ち上がった。
グキッ!
「ぐぁ!」
「え!?」
大事な孫娘を布団に一度戻し、ぺたりと座り込んだ厳は苦しそうな呻き声をあげる。
信が気の毒そうに顔を除き込むと、厳がその目を見つめ返し、情けないと顔を伏せた。
「も、もしかして……ぎっくり腰……ですか?」
「あ、ああ。わしも年だな………へへっ」
「いや『へへっ』じゃないですよ! だ、誰か呼んで来ますから!」
「な、何から何まですまねぇなぁ……いつつつ……」
痛みのあまり動かなくなった厳をその場に残し、信は急いで助けを呼びに向かったのだった。
◇
窓の隙間から朝日が差し込み、顔を照らしていた。眩しさと目覚めの悪さにに顔をしかめつつ、蘭は体を起こす。
(……何だかいつもよりすーすーする……)
目をこすって立ち上がり、机の上に出しっぱなしの手鏡をふとそのなかを覗いてみる。左右対称の自分の姿は、髪はボサボサ、服装は浴衣、目はちょっと赤かった。
(そうだ……昨日……)
『はぁー……』と大きくため息をついた。
我が祖父ながら信じられない。恩を仇で返すような真似をして……。
後で信に謝らなければと思うと、蘭はまたため息をついてしまった。
『蘭ー! 起きなさーい! ご飯出来たわよー!』
いつものように母親が一階から大声を出す。
『その前にあんたー! 昨日お風呂入ってないでしょー? 先に入って着替えてきなさいねー』
もう! そんなこと言われなくてもわかってる!
蘭は未だに子供扱いされることに少し腹をたてながら、一階の風呂場に向かうべく、部屋のドアを開けた。
「あ、蘭」
「お兄? なにしてんの?」
「実の兄にむかって何してんのとは何だ」
弾はあくびをして背伸びをすると、ため息をついて肩を落とす。
「夏休みの宿題。昨日から徹夜だよ、徹夜。ノースリープ、ノーライフ」
「あっそ」
正直1ミクロンも興味がなかったので適当にながし、階段を降りる。
五反田家の朝食は大体祖父が作るのだが、今日は珍しく母親が台所に立っていた。横目でチラリとその様子を見ると、やたら上機嫌だったが、あまり気に止めずに風呂場へと進む。
風呂場の戸を開け、ささっと服を脱いでシャワーを浴びると、動きやすいラフな格好に着替える。今日は別に外出する予定もないので、ほぼ肌着である。胸元から覗く成長途中の双丘を見て、蘭は少しがっかりした。
(箒さん、胸大きかったなぁ……)
大きい方が男性に好まれるらしいが、蘭のものはお世辞にも大きいとは言い難い。蘭は風呂場を出ると、すぐさま食事に向かった。
考えてみれば、昨日の夜は食事らしい食事をしていなかった。
「ふぁ〜……ん? おい蘭。いい加減そんなはしたない格好で出歩くのやめろよ。下着見えてるぞ」
「ど、どこ見てんのよ! このバカ兄!」
「んなっ!? お前なぁ! 俺は大事な大事な妹を心配して言ってるんだぞ!」
「あ〜はいはい! 変態は黙ってて!」
「誰が変態だ! このアホ妹!」
「お兄よりは頭いいし! お母さん、いただきます!」
ふんと鼻を鳴らして互いに逆方向を向き、五反田兄妹は白米を口に運ぶ。母親としてはそんないつも通りの風景に思わず笑ってしまうわけだが。
「ほーら、弾。これそっちに持ってって」
「ん。もうひとつ持つ」
「じゃあお願いね。蘭もこれお願い」
「はーい」
受け取った朝食三人分を空いている席に置く……あれ? 『三人』分?
今家にいるのは私とお兄とおじいちゃんとお母さんの四人。私とお兄の分はもうあるから、一人分余るんじゃ……。
「お母さーん? 多くない?」
「いいえ。それでいいのよ」
蘭は『?』となりながら、母親がそう言うならばということにして納得した。
「あ、弾? おじいちゃんの部屋にこれ届けて、ついでに呼んできてくれる?」
「うーい……」
弾が覇気の無い返事をして祖父の部屋へ向かう。
「そういえば、お兄の宿題って大丈夫なの? 夏休みの宿題と補習の宿題が重なって大変じゃなかったっけ?」
「それがねぇ、なるようになったのよ。やっぱり持つべきものは友ね」
うふふと嬉しそうに微笑んだ母はエプロンをほどき、テーブルに座って朝食を食べ始める。
蘭も別段話を掘り下げることもせず、箸を再び動かし始める。大方学校の友人に頼んでやってもらうことになったのだろう。情けない。お母さんもお母さんだ。ここはもっとビシッと言うべきなのに。
ちょうどそのとき隣に人が座った気配。弾が戻ってきたのだろう。蘭は少しわざとらしく咳払いをする。
「お兄、友達に頼ってばっかりじゃいつまでも成長しないよ。まったく、少しは一夏さんや信さんを見習って大人になってくれないと妹として恥ずかしいんだけど?」
「俺って大人かなぁ?」
「はい。うちのバカ兄より遥かに信さんは大人です」
蘭は水をごくごくと飲み始める。
横を見ると信がそんな蘭のことを頬杖をついて楽しげに見つめていた。
あれ? なんだ、隣に座ったのは信さんだったのか。あ、お兄は逆側に座ってた。まったくもう、勘違いしてしまっ……え?
信が隣でにっこり笑った。
「おはよう」
「ぶーーーーーーー!!!」
「うわっ! どうした蘭!」
「ゲホッゲホッ! し、信さん!? なんで!? なんで!?」
「いや、成り行きで……」
「うふふ。おじいちゃんの将棋相手も見つかったし、弾の家庭教師も見つかったし、万々歳だわ。いつでも遊びに来てね」
「あ、はい。厳さん強いですね。流石です」
「いやぁ、信がいなかったら俺の宿題もピンチだったぜ」
弾が箸を取って手を合わせる。
俺がいてもピンチだったろ、と信はからかうように言い、弾に続いて手を合わせて食事を始める。
一方蘭はというと、口を開いたまま目の前の状況を整理するのに必死だった。
「『なんでここにいるの?』って顔してるな、蘭」
「あ、当たり前です!」
「まあ簡潔に説明するとだな……鬼が金棒持って待ってるのがわかってるのに帰るやつはいないってことだよ」
「な、何ですかその例え!」
「いいじゃないか。本当はお前だって嬉しいんだろ?」
「うっさい! バカ兄!」
「こら、やめなさい二人とも。お客様の前で。前に一夏君が来たときもケンカしてたでしょ?」
「あ、いいですよ。これくらいの方が俺も見てて楽しいですから」
「と、とにかく困ります!」
「え? ああ、ご飯ごちそうになったら帰るから」
「あ、いえ! そういうことじゃなくてですね……心の準備というかなんと言うか……」
モゴモゴと口ごもってしまう。
(あーもう! 不意打ち過ぎる! あ……ちょっと待って……? 今信さんとひとつ屋根の下!?)
蘭がいろいろ妄想して赤くなっていると、母親が食器を片付けに行った隙を見計らって、信が蘭にそっと耳打ちする。
(あー……蘭、ひとついいか?)
(は、はい!? 何なりと!)
(えーっと……だな……もう少し男性の目というのを意識して欲しいというか……いや! 俺がそういう目で見てるわけではなくてだな!)
(ど、どういうことですか?)
(……肌の……その……露出が……な?)
信はごほごほと咳をして食事に戻る。その頬がほんのわずかに赤くなっていたのは気のせいではないだろう。
一方、隣の蘭の頬は誰が見ても真っ赤に見える。本能的に両手で胸を隠すと、弾が盛大に吹き出した。
「ぶはっ!? 何今更恥じらってんだよ、蘭! そんな服装いつものこ――――」
「あ、あっ!? 信さん! あそこに狸が!」
「え!?」
バキッ!
「ぶべらっ!?」
「だ、弾!? どうした!?」
「大丈夫です! いつものことなので!」
確かに五反田家では妹にシバかれて気絶しそうになる兄の構図はいつも通りのことだ。付け加えると祖父にぶちのめされる兄や、母に叱られたりする兄の構図も『いつも通り』の範囲である。少なくとも五反田家では。
「白目むいてるけど……」
「はい! 大丈夫です! 多分!」
「そ、そうか? それならいいけど……あ、お母さん。ごちそうさまでした」
『はーい。おそまつさまでしたー』
少し離れた台所から柔らかい声が返ってきた。
蘭も食事を終えると、気絶した弾を放置して、さっそく信に話しかけた。
「信さんはいつ頃までいらっしゃるんですか?」
「もう帰るよ。いつまでもお世話になるわけにはいかないしな」
信は身支度をしてさっさと玄関に向かう。もともと夏祭りに来た服装だったので、上着を羽織るぐらいしかしなかったが。
蘭としてはもう少しゆっくりしてもらっても構わなかったが、かといって引き止めるのもためらわれた。
「あの、信さん!」
「ん?」
「また来てくださいね!」
「ああ。そうするよ。今度は一夏も一緒にな」
「はい!」
「それと。俺から二つ蘭にお願いがある」
「何でしょうか?」
「まず服を着ろ」
「きっ、着てますよ!」
蘭は顔を赤くしながら反論する。
そんな様子を信は微笑ましく思って、よしよしと頭を撫でてやる。
「もうひとつ。厳さんと仲直りしろ」
「え? い、嫌です……」
「なんでだよ」
「だって! 信さんに酷いことを……」
「俺に気を使ってんのか? 大丈夫だって! あんないいおじいさんいないぞ? 本当に蘭のこと大切に思ってるんだから」
「でも……」
「ほら、そんな顔しない。蘭の家族は本当にいい家族だよ。俺が保証する。だから、みんなに仲良くしてほしいんだ」
「……そこまで言うなら……仕方ないですけど」
「はいはい。蘭は素直じゃないですねー」
「かっ、からかわないでください!」
蘭はまた反論してみるが、やっぱり信にはかなわない。はいはい、と流されてしまった。
「じゃーな。弾によろしく」
「はい!」
「あ。そうだ蘭」
玄関のドアを開けて、一歩踏み出した信はくるりと振り返る。
「あんまり、昨日のことは思い出したくないかもしれないけど……」
少しためらったあと、信は先程以上に満面の笑みを浮かべる。その笑顔は子供のようにとても無邪気で、蘭は驚いた。大人っぽいと思っていた信が、こんな表情できるなんて。
「昨日、楽しかった。蘭と一緒にまわれた時間は少なかったけど、すげー楽しかった。ありがとな」
その瞬間、蘭の目には世界が輝いて見えた。今の一言で、昨日の嫌な出来事はすべてなかったことになるくらい、幸せな気分になった。嬉しかった。あまりに嬉しすぎて、信が帰ったのも気付かずに数分惚けていたぐらいだ。
しばらくして、復活した弾がやって来た。
「いてて……あれ? 信帰っちゃった?」
「うふふ、ふふふふ……ありがと、か……えへへ……もう! 信さんは! ずるいです!」
「なぁ、蘭。信帰っちゃ――」
「信さんたら! もー!」
バキッ!
「あばらっ!?」
強烈な裏拳を食らって、弾はまた夢のなかにダイブした。
蘭はというと、学校でどんな風に自慢してやろうか考えながら、足下でのびている弾を無慈悲に踏み潰して足取り軽く部屋へと戻っていった。
この日を境に、弾は信を一夏と同種の人間であると確信し『何がなんでも奴らを義弟になんかしないぞ』と強く心に誓うのだった。