28:考えることはみな同じ
メリークリスマス!
聖なる夜に乾杯っ!
ってなわけで、どうぞ!
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「ただいま〜……っていっても誰もいないか」
俺は久しぶりに自分の家へと帰って来ていた。突然のIS学園入学が決まってから変わってない、そのまんまの我が家だ。ただ、ほったらかしだった家具は埃を被り、フローリングの床は滑りに滑った。
「まず掃除だな……」
手に持っていたハガキの束をテーブルの上に置く。
俺に強制入学の案内が届いた日、前日にある宝くじでなんかすごい金額が当たっていたらしく、両親は『行きそびれた新婚旅行だ!』と、俺を置いて家を飛び出していってしまった。俺は学校の合格発表すらまだだったし、もし進学なら旅行なんてしてる暇もないということで、一人取り残されて今に至る。
どうやら両親は行く先々から家にハガキを送ってくれていたらしい。きっと俺が見てくれると思ったのだろう。
「まったく……どこまでお気楽なんだか」
ふっと笑みをこぼれた。
あの日。すべてを思い出したあの日、俺は出来るだけ早く二人に連絡しようと思ったのだが、なにせ居場所がわからない。あの二人は懐古主義……いや、今思えば居場所を特定されないようにということだったのかもしれないが、携帯は持たない派なのだ。こっちからは連絡不可能。
やっぱりこういうことは面と向かって話をするべきだと思い、今度帰ってきたらゆっくり話そうと考えていたのだが……。
『信、元気? どう? お父さんとお母さん、カップルみたいでしょ?』
『学校はどうだ? 父さんは早く孫の顔が見たいなあ。わっはははっ』
『今日はお寺でお願いしてきました。信が早くお父さんになりますように』
『信、彼女はできたか? 父さんは孫の顔が見たいなぁ。わっはははっ』
『孫っていいわよね』
『孫の――』
後半になるにつれて話題が『孫の――』しか無くなってきた。
「どんだけ孫欲しいんだよ……」
父さん、母さん。俺はまだ十五歳です。気が早すぎるのと違いますか。
なんかこんな風に幸せそうな二人に、わざわざ昔のこと思い出させる必要も無い気がした。というより、話すのがバカバカしくなってきた。
「ま、それは置いといて。掃除しますか」
さて、これは大仕事になるぞ……。
俺は意味もなく拳をパキポキと鳴らし、袖をまくった。
―――――
――――――――――――――――
――――――――――数時間後―――――――――――
「あー……」
ソファーにだらんと横たわり、覇気のない声を上げる。
こんなに疲れるとは……。
俺の疲労と引き換えに、部屋は見違えるようにピカピカ、さらには埃っぽい臭いまで消えて、今は新築と思えるくらいきれいになった。我ながらよくやったよ、うん。
「今日はもうなにもやる気しない……シャワー浴びて寝よ……」
のそのそと立ち上がり、浴室へと歩いていく。その後軽く汗を流し、布団に潜り込む。ふかふかとした心地よい弾力に包まれ、まふたが重くなり始める。
あー……やっぱ我が家が一番だわー。
その時、うるさい電子音が耳元で鳴り響いた。
俺は驚いて飛び起きたあと、携帯電話に向かってしかめっ面をして通話のボタンを押した。
「はーい、もしもーし……」
『あ、信か? 一夏だけど』
「うー? どーしたー……」
『いや、お前がどうした? まぁいいや。明日暇か?』
「あしたー? ……暇、だな。多分」
『じゃあさ! 信の家に遊びに行ってもいいか!?』
「ちょ、うるさい……なんで? 俺の家に来たってなんにもないぞ?」
『このまえ言ってたじゃないか! 俺の家は広いって! 俺の家はまだ掃除すんでないし、遊ぶならやっぱり広いとこがいいと思って!』
「わかったから……もうちょい静かに……」
『あ、ごめん……で? どうだ?』
「まぁ……いいけど……」
『よっしゃ! じゃ、また明日!』
最後の一番うるさい声に耳鳴りを起こしつつ、俺はため息をついて携帯をポーンと放り投げ、目を閉じた。
「あ……いつ来るのか時間聞くの忘れた……いっか」
俺はすぐに心地よい眠りに落ちた。
◇
ピンポーン!
「うわぁ!? な、なに!?」
自分で押したくせに、呼び鈴の音の大きさでひとり驚く金髪美少女。
何を隠そう、シャルロット・デュノアである。
日本の夏はこんなにも暑いのかと感心しつつ、ここまで来てから三十分が経過していた。涼しげな服装からのぞく白い両手足を紫外線の猛威にさらしたとしても、今の彼女にはとるに足らないことである。そんなことを気にする暇があったら、気のきいた挨拶の一つや二つ考えなければ。
そんな心理状況で、胸をドキドキさせながら意中の相手が現れるのを待つのだが……返事が返ってこない。
(あ、あれ? 今日は家にいるって言ってたのに……)
時計と表札を交互に確認する。
現在午前九時。場所、真宮信の家。
(ま、まず信が出てきたら……『おはよう! 元気?』……違うよね……『やっ!』……ダメダメ! 男子みたいじゃない! ……『やっほー!』……軽すぎ! 却下!)
なんとかうまく信に挨拶をしようとシャルロットは頭を悩ませる。だが一向にいいアイディアが浮かばない。
そのうち、挨拶以外のことが頭からぶっ飛んでしまった。
(も、もう! お、思いつかない! と、とにかくインターフォンを……)
ピンポーン!
「うわぁ!? ……って! さっきも押したじゃない! 僕のバカ〜……!」
自己嫌悪に陥って自分で頭をぽかぽかと叩く。端から見たら、ちょっと危ない人である。
それがしばらく続いてから、シャルロットはハッとする。そして、まるで敵を睨むかのような鋭い目線をインターフォンに投げる。まるでにらめっこをするかのように、視線を外さない。
「……信? 本当はそこにいるんじゃないの?」
無機質なカメラは夏の日差しを鈍く反射するだけである。無論、誰も答えない。
「もう! 信はいっつもそうだよね! いたずらばっかりしてさ! 僕だって怒るよ!?」
思いっきり頬を膨らませて横を向く。チラリ、と横目で確認した玄関のドアは固く閉じられたままで、開く気配がない。
「帰るよ? 僕帰っちゃうよ? いいの?」
答えは、ない。
「帰る! 帰るからね! 帰っちゃうから! いいの? 本当にいいんだね? 帰るよ? 本気だよ!?」
シャルロットは横にゆっくりとスライドしながら、カメラとドアを視界にとどめつつ、その場を離れようとする。が、『ごめんごめん! 悪かったって!』という言葉をかけながら出てくるような人はいない。
いつまでも出てこない信と、夏の暑さがストレスメーターを刺激し、ついに振り切れた。
バッと突然インターフォンの前に仁王立ちするシャルロット。
「しーん!? 僕、ずっとずっとずっーーっと!! 炎天下で一人で頑張ってるんだよ!? そこは『暑かっただろ? 早く家に上がって麦茶でも飲めよ』とか言ってすぐ出てくるものじゃないの!?」
火山の噴火のように吹き出した不満は、その勢いをさらに加速させる。
「信はさ、そういうところがずるいよね! 散々意地悪しといてさ! 結局優しくしてくれるんだもん! 『わざわざここまで来るなんて、物好きな奴だなぁ〜。お前ずいぶん暇人なんだな。ま、俺はシャルなら大歓迎だぜ。なんなら今日は泊まってけよ』とかさ!! こっ、こっちはもう準備万端なんだからねっ!」
後半は自分でもよくわからなくなってきたが、ノリで言ってほしい台詞とか自分で言ってみたり。勢いよく喋ったせいで息があがったが、シャルロットは何だかやりきった感に浸って満足したので、エッヘンと胸を張ってみる。その姿はまさに『勝者』とでも言ってもいいくらいの堂々としたものだった。もちろん、何に勝ったのかは不明である。
頬を流れる汗が一滴、二滴と次第に増え、突然、目の前に黒猫が現れたかと思うとシャルロットを一瞥し、あくびをして去っていった。なんだか猫にすら『なにやってんだか』とあきれられた気がして、急に恥ずかしくなった。
「何してんの? シャル?」
「うひゃぁ!?」
「いや『うひゃぁ!?』じゃなくて」
「し、信!? え? え!? だって、い、いい、家にいたんじゃ!?」
「え? 俺は近くのコンビニに行ってたぞ?」
そういって、信はコンビニのレジ袋を肩の高さまで上げる。
シャルロットはというと、信は完全に家の中で慌てている自分を面白がって見てるものだ、と妄想していたので予期せぬ登場にうろたえてしまう。だが信は今までの独りのやり取りは聞いてないようだったとので、多少落ち着きを取り戻す。
よく考えてみたら、自分はなんと恥ずかしいことをしていたのだろうか。信に見られなくてよかった、という安堵の気持ちでいっぱいだった。
「で? どうした?」
「え!? あ、うん……あのね!」
「?」
「き、き……!」
「え?」
「来ちゃった♪」
言い終わった瞬間、後悔の念がどっと押し寄せシャルロットの心の内は大変なことになっていた。
(な、ななななな、なっ、何言ってるの!? これじゃまるで……かっ、彼女みたいじゃない! うわわわ!? どうしよ〜……!)
「よくわかんないけど……家に上げろってことだろ? 俺は構わないぞ?」
「ほ、本当に!? 変じゃない!?」
「変……? いや、特になにも」
や、やった! 結果オーライ!
シャルロットは鍵を開けようと前に出た信の背中を見ながら、小さくガッツポーズをした。
「いや〜それにしても」
信が振り返ってニヤリと笑った。その笑顔は何ともいえない、人を虜にする魅力を持っていた。
だが、嫌な予感がした。
信のこういう表情は、たいていイタズラが成功したときの顔だ。そして、シャルロットの嫌な予感は的中だった。
「暑かっただろ? 早く家に上がって麦茶でも飲めよ」
「え?」
「わざわざここまで来るなんて、物好きな奴だなぁ〜。お前ずいぶん暇人なんだな」
「なっ……あ、あの……?」
「ま、俺はシャルなら大歓迎だぜ。なんなら今日は泊まってけよ」
「ちょ、ちょっと!? も、もしかして……」
「あー……泊まってけ、はダメだな。ほら、いろいろまずいし」
「だ、だよね……って! そうじゃなくて!! き、聞いてたの……?」
「ん〜? なんのことかなぁ〜?」
あからさまにイエスの答えを残して、信はドアを開ける。
いつからいたのだろう。考えれば考えるほど、自分の子供っぽくて恥ずかしいことを見られたのではないかとシャルロットは顔を真っ赤にした。ただでさえ夏の暑さで顔が赤かったというのに。
「ううっ……穴があったら入りたいよ〜……」
「ま、穴は無いけど家はあるから入れよ」
ニヤニヤとしながら信は手を体の前を泳ぐように通らせ、どうぞと伝える。シャルロットは不満げに信を横目で見る。
「いつからいたの?」
「えっと、インターフォンと見つめあってるあたりから」
「何で声かけてくれなかったの?」
「何でって言われてもなぁ……」
「僕に言うことがあるんじゃないのかな?」
シャルロットはプイッと顔を赤くしたままそらす。
しばらく唸っていた信は『あっ!』と声を上げて、手を叩く。
やっとわかったか、とシャルロットは信の方に顔を向け、謝罪の言葉を待った。
「あのな」
「うんうん。何?」
「家の前に随分とかわいい子がいるなぁと思ったら、シャルだった」
「へっ!?」
「やっぱり私服姿もかわいいよな、シャルは」
「あ、ありがと……」
「おう」
信は優しげな笑顔を浮かべた。
思い描いていた答えとしては『ごめん! 女の子を一人で待たせるなんて! シャル! 俺、お前のためならなんだってするよ!』だったのだが、いささか都合の良過ぎる想像だった。それでも、合格点以上の答えをもらえたので、シャルロットは嬉しくてちょっと笑みをこぼす。
「やっぱりずるいね、信は」
「え?」
「ううん。何でもない♪」
なぜそんなに機嫌が良くなったのか聞きたかったが、なんとなく聞かない方がいいような気がしたので、信はそのことはシャルロットのかわいい笑顔と共に胸のうちにしまうことにした。
「あ、そうだ」
「うん?」
「シャル、泊まる気なのか?」
「……え!? な、なんで!?」
「いや、準備万端って言ってたし……でもずいぶん軽装なんだな。まぁ、絶対泊めないけど……年頃の女の子が無闇に男の家に泊まりたいとか言うんじゃないぞ」
「そ、そそそそそ、そんなこと言ってないよ!? きっ、聞き違いじゃないかな!?」
「……『こっ、こっちはもう準備万端なんだからねっ!』」
「うぁー! わぁー! も、もう忘れてぇぇ!」
「あはは。ほら、入れよ。ちゃんとエアコンつけてるからさ」
「し、信!? 準備万端って言うのはそういう意味でじゃないからね!? こっ、心構えっていうか、覚悟っていうか……」
「俺の家に来るのに何を重大決心してるんだよ……」
「そ、それは……! ひ、秘密……」
シャルロットは玄関前で靴を脱ぎ、丁寧に揃える。恥ずかしさに身を焼かれつつも、この辺りは流石と言うべきである。
先に靴を脱いでいた信の後ろを付いて行き、シャルロットは未知の領域、すなわち『男の子の家』へと踏み出した。
(こ、ここが信の家かぁ……)
なんというか、広い。ただひたすらに。部屋というより空間と言った方が正しいのかもしれない。
仕切りは一切なく、天井が高い。窓は多めで日の光が室内を照らし、解放感に溢れている。
家具や設備はおしゃれなダイニングキッチン、ダイニングテーブル、冷蔵庫、そして三人がけのソファが二つ置いてある以外は何もなかった。一般家庭の物と比べるとかなり大きめであるのだろうが、なにせもともとのスペースが広すぎて、やや小さく見える。
「今飲み物持ってくるから。座って待っててくれよ」
ソファを指差して、信はキッチンに向かう。
シャルロットは言われた通りにソファに座り、冷蔵庫を開ける信を見ていた。
服装はタンクトップに半ズボン。垣間見える腕や足には、存在を誇張しない程度に筋肉がついているのがわかる。 それには目に見えない何かを秘めているような感じがして、シャルロットはため息をもらす。
(かっこいいなぁ……)
こういう人ってすっごく頼りがいのある旦那さんになりそうだよね、とシャルロットはまた妄想に浸る。言うまでもなく、妻のポジションは自分である。
「おーい、戻ってこーい」
「ひゃん!!」
「あはは。面白い声出すなぁ」
いつの間にか横に来ていた信が冷えた麦茶の入ったコップを頬に当ててきた。何だかやたらにボーッとしてるシャルロットに対する、信なりのイタズラである。
麦茶を手渡すと面白そうに笑みを浮かべながら、信はシャルロットの隣に座って自分の麦茶をごくごくと飲んだ。
シャルロットはというと、すぐ近くからしてくる信の香りが鼻をくすぐり、絶讚心拍数上昇中だった。
(は、話が止まっちゃったよ〜……何か話さないとつまらないよね……何か……何かないかな……)
そうえば、妙に台所が綺麗だ。料理とか作ってるのかな?
頭を高速回転させてようやく見つけた話題を信に振ってみる。
「ね、ねぇ? 信はさ、料理とか作るの?」
「作れるっちゃあ作れるけど……滅多に作らないなぁ」
「そ、そうなの?」
「うん。やっぱさ〜自分で作るより他の人が作ったものの方が美味しいじゃん?」
「……本音は?」
「……面倒だからです」
困ったように笑いながら信は麦茶のおかわりをつぐ。
「じゃ、じゃあ……信は……けっ、結婚したら、お嫁さんにご飯つくってもらうんだ?」
「なんだよいきなり。まぁ、そうしてもらえば嬉しいかな」
ということは料理できた方がいいよね、とシャルロットは心の中でうんうんとうなずく。自慢ではないが自分の料理の腕はそんなに悪くはないと思うので、シャルロットとしてはいい情報である。
「ぼ、僕ね! 料理得意なんだ!」
「へぇ〜……シャルがお嫁さんになったら苦労しないだろうなぁ」
そこで『じゃあ俺の嫁になってくれよ』と言わないのが彼が真宮信たる所以でもあるが、少しばかりそんな答えを期待したシャルロットはこれまた少しばかり肩を落として弱々しく微笑んだ。
「料理といえば……」
「……セシリア?」
「あいつ……こう……すごいよな」
「う、うん。わかるよ」
信は軽く身震いした。
そんな信を見て、シャルロットはクスリと笑う。ハッキリと『不味い』と言わないところが信らしいと思った。
「でも……」
「でも?」
「きっと食べる人の喜ぶ顔見たくて作ってるんだろうな」
もちろんみんなそうだろうけど、と信は補足する。シャルロットは何も言わずに、優しげな笑みを浮かべる。
(そうだね、みんな……)
みんな、信の笑顔を見たいから。だから頑張れるんだよ。
そんなことを考えて、自分で少し大袈裟かなと思ったり。
ピンポーン!
信の手をさりげなく握ろうとしたとき、電子音が部屋に響いた。
◇
(ついに……ついにこのときが!)
セシリア・オルコットは得意気に微笑む。そしてためらうことなくその人差し指をインターフォンに向ける。
指がスイッチを押すのと同時に、電子音が聞こえた。
今日、信が実家に帰っているという情報は一夏との会話から得ている。ちなみにそのときの会話は以下の通りである。
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『へー。じゃあ信は今週の金曜日に家に帰るのか』
『ああ。俺の家広いからさ、掃除大変なんだよ。帰ったら一週間ぐらい家にいるつもり』
『そっか。俺も金曜日に家に帰ろうと思っててさぁ〜。千冬姉のスーツとか出しておかなきゃならないし』
『お前、シスコンだからなぁ……』
『なんだよ。姉弟なんだから普通だろ?』
『ま、千冬さんもブラコンだからな。しかも素直じゃないし。その上鬼だし、鬼だし、ついでに鬼だし』
『だな。人の皮被った鬼だよ。いや、悪魔かも』
『大魔王かもな』
『あり得る』
『『あっはっはっはっは!!』』
『……織斑、真宮。ちょっと来い』
『『うわああああああぁぁぁぁぁ!!』』
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その日の午後は夏休み中にも関わらず、グラウンドを五十周させられた男子二人組がいたのだが、それはまた別のお話。
そんな会話から『今週の金曜日に家に帰る』と『一週間ぐらい家にいる』という情報を抜き出し、今日、つまり土曜日に来たわけである。
これにはセシリアなりの作戦があった。
金曜日は恐らく掃除をするだろうから、ゆっくり相手をしてもらえない可能性が高い。そして、もし万が一誰かが信を訪ねるとすれば、日曜日に集中すると踏んだのだ。
(したがって、信さんと二人きりでゆっくり過ごせるのは今日なのですわ!)
我ながらなんて名推理なんだろうかと自負する彼女には、もうひとつの危惧すべきことは頭にない。それはつまり『同じことを考えている人がいる』という可能性であったが、舞い上がっているセシリアには到底思い付くことはできなかっただろう。
(そ、そうですわ。二人きり……ですわ……)
まず家に入って、他愛のない話をして、なんやかんやでベッドルームへ……セシリアの妄想はさらに広がっていく。主にピンク色の。
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・・・・・・
『し、信さん……は、恥ずかしいですわ……』
『大丈夫だよ……ほら、力抜いて……』
『で、でも……』
『セシリア、愛してる』
『わ、わたくしもですわ……』
『ありがとう……なら……いいか?』
・・・・・・
・・・・・・・・・・・
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「ああっ! そんな! いきなり! う、嬉しいですけど、困りますわ! かっ、家族計画はもっと綿密にっ!」
『……何してんだ?』
「ひゃぁ!?」
突然聞こえてきた妄想相手の声に飛び上がる。キョロキョロと辺りを見回して、ようやくインターフォンから聞こえてきたのだと気付く。
「し、信さん!? な、何で!?」
『いや、ここ俺の家……』
「そ、そうでしたわね! わ、わたくし近くを通りかかったものですから、少し様子を見に来ましたの!!」
『お、本当に? じゃあ上がってけよ。何にもないけどさ』
「で、ではそうさせてもらいますわ!」
『じゃあちょっと待っててくれ』
プッと回線が切れる音がして、再び静かになった。
信が来る前に乱れた心を落ち着けようと深呼吸し、軽く咳払いをして喉の調子も整える。
そして、ガチャリとドアが開いて、信が出てきた。
「よっ、セシリア」
「え、ええ。こんにちは、信さん」
なるべく優雅に振る舞うも、心臓の鼓動が早くて、気を抜くとまた慌ててしまいそうだ。
(とっ、とっておきの服を着てきましたし! 香水だって特別なものをつけてますし……な、何があっても大丈夫ですわ!)
もっと言うと、セシリアは下着も勝負に出てきている。もちろん臨海学校時とは違う、もっと進化したものを。
そんな本当に『何が』あっても大丈夫なフル装備で来たということを自分に言い聞かせ、セシリアの心は弾む。
「あ、これ! 美味しいと話題のデザート専門店のケーキですわ!」
「え!? ケーキ!? うわぁ! ありがとな、セシリア!」
俺甘いもの大好きなんだよ、とニコニコしてケーキを受けとる信。
そんな様子を見て、セシリアはクスッと笑った。何だかここまで喜んでくれると、こちらがお礼を言いたくなる。
「暑かっただろ? 中はエアコン効いてるから安心してくれよ。麦茶くらいしか出せないけどな」
「いえ! 構いませんわ! わたくし、今とっても麦茶が飲みたい気分ですの!」
「あはは。そっか、ありがとう」
二人で笑いながら玄関で靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。
ああ、ついに……!
セシリアの胸が喜びで震えた。
「いやー、ちょうどセシリアのこと考えててさ〜」
「えっ!?」
まさかの告白に心臓が跳び跳ねる。
(わたくしのことを!? な、何を!? 何を考えていらっしゃいましたの!?)
信が休みの日に自分のことを考えてくれていた、と思うとセシリアはなんだか照れてしまった。
リビングのドアを開けると、信が笑った。
「シャルと一緒に」
「ど、どうも……こ、こんにちは、セシリア……」
「え……? あ……あ、ああ! こ、こんにちは。シャルロットさん」
えへへ、おほほ、と互いに愛想笑いを交わす。それ以外何をしていいのかわからなかった。
「じゃ、セシリアの分のお茶持ってくるから。シャルの隣にでも座っててくれよ」
「え、ええ……」
セシリアはその言葉にしたがって、少し居辛そうにしているシャルロットの隣に腰掛ける。二人とも礼儀正しく座っているものの、いろいろと悶々としたものがたまっていた。
(な、なぜ!? なぜシャルロットさんがここに!? ま、まさか……抜け駆け!?)
(せっかく二人きりだったのに……『噂をすれば影』って本当なんだね……はぁ……)
(で、でもまさかこの日に来ていらっしゃるとは……大誤算ですわ……)
(金曜日はきっと掃除で忙しいだろうからゆっくり相手をしてもらえないだろうし、 もし万が一誰かが信を訪ねてくるなら、日曜日に集中してると思ったんだけどなぁ……)
二人はチラリと横目で互いの様子を見る。
「き、奇遇ですわね。シャルロットさん」
「そ、そうだね。ほ、本当に奇遇だね、セシリア」
そして、また愛想笑い。そんなことをしていると、信が食器とコップを両手に持って戻ってきた。
「じゃ、ケーキ選ぼうぜ! 何にしよっかな〜」
二人と反対側のソファに座った信が、楽しそうにケーキの入った箱を開ける。
「へぇ、いっぱいあるな! 1、2、3……7個もある!」
「信さんがお好きなものがわからなくて……ついたくさん買ってしまいましたわ」
「別に気を使わなくてもいいのに。俺は誰かが来てくれるだけで嬉しいよ」
信は顔を上げて二人にそう言って、さらに言葉を続ける。
「じゃあセシリアから選んでくれよ」
「で、では……そちらのタルトをいただきますわ」
ちなみにケーキの種類はすべてことなっており、ショートケーキ、チョコレートケーキ、チーズケーキ、シフォンケーキ、モンブラン、りんごのタルト、そして今セシリアが選んだ洋なしのタルトの七種類だった。
「シャルは?」
「ぼ、僕は最後でいいよ?」
「そんなこと言うなって。もうちょっと自分に正直になれって、前に言っただろ?」
「う、うん……それじゃあ……苺のがいいな」
「オッケー。んじゃ、俺はこのチョコ――」
ピンポーン!
信が自分の希望をいいかけたとき、再びインターフォンが鳴った。
「ん? なんだろ? ごめん、二人とも。先食べててくれ」
信は室内の応答用の画面が設置してあるところへ向かうため、立ち上がる。
二人は特にすることもなかったので、ケーキを一口ずつ頬張る。
「うわぁ……これすっごく美味しいね」
「駅の地下街にある『リップ・トリック』ですわ。もともとはイギリスの有名なお店でしたの」
「そうなんだ。僕も今度行ってみたいな」
「でしたら、わたくしが案内して差し上げますわ」
「本当? ありがとう、セシリア」
うふふ、おほほ、と今度は愛想笑いでない笑みを浮かべる二人。しかし、その笑みはすぐさま消えてしまう。
なぜなら。
「あれ? 鈴じゃん。どうした?」
そんな言葉を、インターフォンに向かって信が発したからである。
◇
ああ、暑い……やっぱり日本の夏は嫌いだ。
インターフォンを押してから、鈴は空を見上げた。額に手を当てて目の周りに影を作りながら、忌々しく燃え盛る太陽を睨み付ける。
でも、もうちょっとで涼しい家の中に入れる。きっともうちょっと……。
ふと、もし信が家にいなかったら……なんて考えるが、そんな考えは一蹴した。
(金曜日は掃除に手一杯でゆっくり相手をしてもらえない! もし万が一誰かが信を訪ねるとすれば、日曜日に来るはず!)
少ない会話からここまで考えるなんて、我ながらなんて素晴らしい推理だろう。鈴は一人得意になりながら、待ちに待った瞬間を迎えた。
『あれ? 鈴じゃん。どうした?』
きたきた!
高鳴る鼓動を抑え、なるべく平然とした受け答えをする。
「どうしたもこうしたもないわよ。遊びに来てあげたの!」
『うわっ、なんだよ。その上から目線』
「うるさいわね! いいからさっさと中に入れなさいよ! 脱水症状になっちゃうわよ!」
『はいはい。待ってろ』
鈴が早く開け、早く開け、と念じながらドアを見つめていると、早く開けを37回念じたところでやっと開いた。
「遅いわよ!」
「ごめん、ごめん」
「……」
「何ボケッとしてんだ? ほら、入れよ」
「う、うるさい! あ、あんたが悪いのよ!!」
鈴が早く開けと念じていたのは、別に早く家に入りたいからではない。早く信に会いたかったからだ。実際会ってみると、やっぱり信は私服でもかっこよかった。
別にボケッとしてたわけではなく、信に見とれていたのだ。つまり、信の何が悪いかというと『かっこよすぎるところ』ということである。
「よくわかんないやつだな」
「じゃ、おじゃましまーす」
靴をパパっと雑に脱いで、信が止める暇もなく、鈴はツインテールをなびかせながら勢いよく玄関から近くのドアまでを駆ける。
「ねー! ここはー?」
「ん? ああ、そこはリビングだ」
「入っていいよね? 入るわよ! 冷えた飲み物準備しなさいよ!」
「何ではしゃいでんだよ」
「はしゃいでないわよ!」
鈴は口でこそそういうものの、実際かなりテンションは高い。
鈴の楽しそうな笑顔を見て、『はしゃいでるじゃないか……』と思ったが、あんまりにも楽しそうだったので、信は少し口元を緩めただけだった。
何せ意中の相手の家に初めて来る上、しかも二人っきりとなればそれもいた仕方のないことだ。
鈴は未知の場所に踏み入るのを楽しむ好奇心旺盛な猫のように、すばやくドアを開けた。が、あいにく目に飛び込んだ新しいものよりも、見知ったものの方がインパクト大だった。
「あ……り、鈴。こんにちは……あはは……」
「ご、ご機嫌いかがかしら? 鈴さん?」
鈴の表情がひきつったものになる。ピクピクと片方の眉を動かしながら、信を見る。
シャルロットとセシリアを指差しながら絶句している鈴に、信はその胸中など完全無視で言葉を投げた。
「みんな仲いいんだな」
「な、何でこいつらがここにいるのよ!!」
「何でって……わざわざ家に来てくれたんだからお茶ぐらい出すのは当たり前だろ?」
「そうだけど!! そうじゃないわよ!!」
「な、何だよ。落ち着けって」
「これが落ち着いていられるわけないでしょ!!」
「さっきまであんなにはしゃいでたじゃないか。鈴のあんな楽しそうな顔、初めてみたぞ?」
「な、なな、なに言ってんのよ! あ、あたしはいっつも笑顔でしょうが!!」
「……フッ」
「は、鼻で笑うなーー!!」
むむむっと信を睨み付けるが、どうやっても事態は好転しないので、鈴は諦めのため息をついた。そして、セシリアの隣にポスッと腰を下ろす。
鋭く横の二人を睨むと、同時にサッと目をそらされた。
(……ま、一方的に責められないわよね……あたしもここに来てる一人だし……)
再び諦めのため息を吐いて、近くにおいてあった皿とフォークを手元に引き寄せる。ちょうどそのときに信がコップを持ってきて、麦茶をついで渡してくれた。
「このケーキもらうわよ?」
「ああ。セシリアのお土産だぞ。感謝しろよ」
「ふーん。ありがとね、セシリア」
「え、ええ。どうぞ」
と、その時ちょっとした懸念が頭をよぎった。その懸念が『セシリアが持ってきた食べ物』というところであるのは言うまでもない。
「……確認するけど……大丈夫?」
「え? 何がですか?」
「う、うん! 大丈夫だよ! 有名な『ケーキ屋さんで買ってきてくれた』んだって! い、いくらセシリアでも『自分では作れない』もんね! ねっ!?」
「……? そうですわね。ここのパティシエは国際大会で受賞経験がありますから。流石のわたくしでもここまでの味は作れませんわ」
「だ、だよね〜……あはは……」
信はシャルロットのナイスフォローに感心しながら、ケーキの品定めをする鈴に目をやる。
「じゃ、あたしチョコレートケーキ!!」
「あっ!? 俺が狙ってたのに!」
「ふふん。早いもん勝ちよ〜」
ぱくり、と一口。
甘過ぎず、苦過ぎず。チョコレートの美味しさが口いっぱいに広がり、しばらく堪能する。
「これ……美味しいわね」
「そうでしょう、そうでしょう!」
「ふふっ。2人とも嬉しそうだね」
最初の重い空気はどこへやら、三人はワイワイと話始める。信もケーキを食べたかったので残りの四種類で食べたいものを吟味する。
「よし! 俺はこのチーズケ――」
ピンポーン!
宣言前にまたインターフォンが鳴った。
「またかよ……悪い、ちょっと待っててくれ」
信は再び、応答用の画面へと向かう。
そんな中、残された三人は素早くアイコンタクトを交わす。
(((ま、まさか……)))
冷や汗がタラリ。
「ん? なんだこれ?」
「ど、どうしたの? 誰だった?」
「いや、なんか宅配便だったみたいだ」
「宅配便?」
「ああ。なんかダンボールが置いてある。なんか文字が書いてあるけど………よく見えないな」
「そ、そうですか! に、荷物でしたか!」
「みたいだな。ちょっと取ってくるよ」
信は玄関の方へ歩いていった。
三人はホッと胸を撫で下ろした。荷物でよかった、と。 これ以上ライバルが増えなくてよかった、と。
だがしかし。
彼女たちが心配すべきだったのは、『荷物の中身が何なのか』であった。
◇
手探りで近くに置いた携帯を手に取り、この作戦の発案者に電話をかける。程なくして、電話の向こう側が呼び出し相手に繋がった。
『いかがでしょうか、隊長』
「うむ。規定位置にスタンバイした」
『外箱に文字は?』
「ああ。しっかり書いたぞ」
『装備は?』
「通常装備は所持してきたし、お前に言われた通りのものは装着してきた」
『わかりました。ターゲットは?』
「まだ出てこない……が、そろそろだろう。後でまた報告する」
『はい。御武運を。ラウラ・ボーデヴィッヒ隊長』
「うむ……あとな、クラリッサ……」
『なんでしょうか?』
「いろいろすまなかったな。ありがとう。よく私についてきてくれた」
『……! わっ、私は! ボーデヴィッヒ隊長だから! だからこそです!』
「ああ、そうか。これからもよろしく頼む」
『はい! お任せを!!』
通話を終了し、ラウラはわずかに笑みを浮かべる。
私もいい部下に恵まれたものだ。
しかし日本の男子を落とす方法というのはいささか難しいな、とラウラは額の汗を拭う。
白状すると、今現在信の家の前に置いてあるダンボールの中身は、ラウラ・ボーデヴィッヒである。クラリッサ・ハルフォーフに教えられた間違った日本知識により、こんな状況になっているわけである。
あらかじめ開けておいた二つの穴から外の様子をうかがうと、玄関のドアが開いて、ターゲット――真宮信――が出てくるところだった。体に緊張が走る。
『結構大きいな……ん? 『拾ってください』……?』
(さぁ! 開けるんだ! 嫁よ! 私が待っているぞ!)
『宅配便じゃないのか?』
(いや! あってるぞ! 私は贈り物を届けに来たのだ!)
『あれ? 上がテープで止められてない……』
ダンボールの蓋がパッと開けられる。暗かった箱の中に日光が勢いよく入り込み、暫しの間ラウラの視界が真っ白になる。
人の気配がする方に目をしばたたせながら、クラリッサに言われた通りのポーズをとって、台詞を言う。
ちなみにラウラの格好を述べるのは簡単だ。全裸でネコミミ。
ラウラは羞恥に顔を赤く染めながら、足を横に伸ばし、片腕で体を起こし、もう片方の腕で胸を隠す。
「わっ、私が贈り物にゃん?」
刹那、再び箱が閉められた。
「なっ、何をする!? わ、私だって恥ずかしいのだぞ!?」
「う、うるさい! と、とにかく服着ろ、服! あー! ビックリした!」
いろんな意味で胸をドキドキさせている信はラウラにそう告げる。
ぶつぶつと文句は言いつつ、だが恥ずかしさが意地に勝り、ダンボールの中にあらかじめ用意していた私服に着替えるラウラ。彼女とて、全裸でダンボールに入ってここまで来たわけではない。当然ここに来たあとにダンボールの中に入り、服を脱いだのだ。
ちなみに移動中、銀髪眼帯少女がダンボールを抱えて立っている姿はなかなかに目立ったのは当たり前である。
ガサゴソと言う音が止み、ラウラが今度は服を着て立ち上がる。
「まだまぶしいな……」
「お前には一度説教が必要だ……」
「む……クラリッサの情報は正しいはず……なぜ……?」
「そいつにも説教が必要だな……」
ため息をついた信はラウラの手を握ってダンボールから引っ張り出す。
「一応聞いとくが、どんな知識吹き込まれた?」
「男はあの格好でイチコロ、あとは家に入ってしまえばこっちのものだから、やりたいほうだいやれ……と」
「どっから仕入れてくるんだよその情報……聞いたこともないし……」
「それではいささか予定は狂ったが……家に入れてもらえるか?」
いずれ私もここで暮らすのだから、とラウラは付け加え、開いているドアからしれっと室内に入る。
信はダンボールを片付け、そのあとを追う。
流石にラウラも最低限度の礼儀というのはあるらしく、玄関で信が隣に来るのを待っていた。
「ところで、ラウラ」
「ん?」
「ネコミミ、気に入ったのか?」
信が頭の上を指差す。
そこで初めて、自分がまだ頭にカチューシャに二つの耳の飾りがついたものをつけていたことを理解した。慌てて取り外し、その両端を開いたり閉じたりと両手でもてあそぶ。
「い、いやっ、これは気に入った訳ではなく……お、お前を興奮状態にするのを助ける役目を……だな……」
「年頃の女の子がそんなはしたないこと言うもんじゃありません」
「と、ところで……どうだった?」
「はい?」
「わ、私の……かっ、体は……その……魅力的だったか……?」
「は、はぁ!? な、何言ってんだよ!?」
「み、魅力的だったのかと聞いている!! こっ、答えろっ!!」
二人して頬を朱に染めながら、見つめあう。
ラウラがあんまりにも必死そうだったので、信が折れることとなった。
「うん……まぁ……み、魅力的、でした……」
「そっ、そうか……」
言ったら言ったで、言われたら言われたで、二人は何だか恥ずかしくなってうつむく。
信がチラリとラウラを見ると、ネコミミをまだもてあそびながら次にすべき行動を必死で探しているようだった。
ふぅ、と息を吐いた信はラウラの手からネコミミを取って、その頭につける。
「ほら、入るぞ。気に入ったんならつけっぱなして俺は構わないからさ」
「だっ、だから私は気に入った訳では――」
「そっか? 似合ってるけどな」
「ん……そ、そうか……」
信はラウラの頭にポンッと手を乗せると、先に歩き出す。これ以上の話題も見当たらなかったので、ラウラは信の後についてリビングへと入る。
「みんな、ラウラも来たぞ」
ガタガタッと誰かが一斉に立ち上がる音がして、ラウラは顔をあげる。
四人が顔を合わせると、しばらく沈黙が広がった。
「……なんだ、お前たちも来ていたのか」
「ま、まぁ……ね。あ、あたしは三番目だけど」
「ら、ラウラさんも奇遇ですわね……おほほ……」
「ほ、ほらっ! こっちに来なよ、ラウラ!」
ラウラは特にためらうこともなく、シャルロットの隣へと腰かける。
そして、無言。聞こえてくるのは信がコップと皿とフォークを用意する音だけである。
ラウラとしてはまったく気にせずにいたのだが、他の三人としては何だか空気が重くのしかかってくるようだった。
それに耐えかねたセシリアは『んっ、んっ!』と軽く咳払いをして出来る限りの笑顔を作る。
「ら、ラウラさん? お、お好きなケーキをお選びになってくださいな」
((ナイス! セシリア!!))
「ではそうすることにしよう……ふむ……迷うな……」
ラウラが迷っているうちに信が皿とフォーク、麦茶を持って到着する。
「それでは、私はこのチーズケーキをもらおう」
「あっ!? またかよ!」
「あんたが早く選ばないのが悪いのよ」
鈴に返す言葉がなく、ガックリと肩を落とす信。
そんな中、ラウラは早速ケーキを頬張り、目を見開く。
「ほう……美味いな」
「ふふっ。ラウラ、嬉しそうだね」
「喜んでいただけたようで何よりですわ」
「ところであんた、何でネコミミなんてつけてるのよ」
「い、いや!? 別にこの飾りが気に入った訳ではなく!」
「えー!? 取っちゃうの? かわいいのに……」
「それ、何ですの?」
「ほう。なんだ、セシリアは知らないのか? これは『ネコミミ』と言ってな、日本の男性が好むらしい」
ラウラが得意気に話すと、話を聞いた三人が信の方をジトッと見る。
「な、なんだよ……そりゃあ、まぁ……嫌いではないな、うん」
女子三人の鋭い視線から逃れるように、信はケーキを選び始める。
「よし! 今度こそ! このりんごのタ――」
ピンポーン!
「……はぁ」
渋々立ち上がった信は再び応答するべく、画面に向かう。
「「「「……」」」」
訪問者が四人の想像力の及ぶところだったのは、仕方のないことかもしれない。
「おう。一夏。あれ? 箒も来たのか?」
◇
(まったく……なぜ今日に限って……)
箒は不満を隠せない。隣をチラリと盗み見るが、一夏はまったく何もわかっていないようで、それが腹立たしかった。ここに来る間だって言葉を一つ二つ交わしただけで、会話らしい会話など一回もしなかった。
(そ、それは私だって緊張して口数が少なかったと言うものの……わ、話題は男の方から振るべきだろう!?)
そのためずっと険しい表情をしていて、一夏は本当に何を考えているのかと本日何回目になるだろうか、またため息をついた。
(なんだ!? なんか箒に悪いことしたか!? 話しかけても『ああ』とか『そうだな。それで?』とかなんかイライラしてるみたいだし……信! 早く出てきて! お願いします!)
一夏も一夏で考えることはあるのだが。
インターフォンを押してから数秒間だったが、二人にとってはとても長い時間に感じた。そして、やっとその時間の終わりが来た。
『おう。一夏。あれ? 箒も来たのか?』
「あ、ああ! ほ、ほら、箒も来たいって言ってたから!」
「なっ、何を言っている! わ、私はそんなこと――」
その言葉を遮り、玄関のドアがガチャリと開いた。
「ほら、そこだと暑いだろ? 早く入れよ。エアコン効いてるぞ」
「おっ! 本当か!? やったぜ!」
一夏は早速、信が開けているドアから家に入って行く。特に気兼ねなくさっさと入っていけるのは、男子同士ならではである。
いまだに不服そうに眉をつり上げている箒は、信と目が合うと、すぐにそらした。
「一夏、入ってすぐそこの扉……そうそう。そこがリビングだから。適当に座って待っててくれよ」
「わかった。えっと……ほ、箒? 先入ってるからな」
「ああ」
また素っ気ない返事を返して、箒はため息をつく。
そんな箒に信がやれやれとでも言いたそうにため息を返し、口を開く。
「篠ノ之箒は一夏が家にいるという情報を仕入れ、勇気を出して一人で会いに行く。が、当の一夏には『今日は信の家に行くんだ。あ、箒も来るか?』とか言われてなんやかんやでついてきてしまって今に至るのだった……」
「変なナレーションはよせ……」
だが、説明の手間が省けたので良しとしよう。箒はその通り、と困ったように笑みを浮かべた。
「まー、あれだな。あいつらしいっちゃあ、あいつらしいけどな」
「うむ……」
「……ところでさ、夏祭り。あのあとどうだった?」
なるべく平静を装うものの、ピクッと箒の眉が動いたのを見落とす信ではない。ニヤリと意味深な微笑みを作って、からかうように親指と人差し指をピンと立てた手をあごの下に持っていく。キラーンと信の目が光ったのは気のせいではあるまい。
「ほほう? 何かあったようですなぁ?」
「うっ、うるさい! お、お前には関係のないことだ!」
「ま、どうせ素直じゃない箒のことだから、腕を絡めるくらいのことしかやってないだろうけど」
「なっ!? なぜそれを!」
「おっ、正解? 言ってみるもんだな」
「し、信! 謀ったな!?」
腹を抱えて笑い声をあげる少年を睨み付けながら、箒は肩を落とす。
確かに、なぜか一夏の前では素直になれない。しかし素直になったからといって、あの日、二人きりだとしても、あれ以上のことができただろうか。
「本当に素直じゃないんだよな、箒は」
「そうだな……」
「素直じゃないってことは素直に認めるのにな」
「……そういえば、そうだな」
二人は顔を見合わせて、同時に吹き出す。何が面白かったのかよくわからないが、とにかく面白かった。
しばらく二人でクスクスと笑い、緊張が溶けたところで、信は箒を家の中へと案内する。
「結局みんな揃ったな」
「みんな?」
「ああ。ほら」
ガチャ、とリビングのドアが開いて、箒がそこへ一歩踏み入れる。
「あ、箒! これうまいぞ! セシリアのおみやげだってさ!」
「つーか何で一夏が信の家に来てんのよ! 信に迷惑でしょうが!」
「り、鈴。僕たちだってお邪魔してるし……」
「ほう。つまりすべてにおいて最高のものを使っているということか」
「ええ。その道のプロたちの努力の結晶をさらに一流のパティシエが集め、まとめあげた至高の一品なのですわ」
わいわい、がやがやと、そこには見知ったいつものメンバーが楽しそうに座っていた。
「な? 揃ってるだろ?」
「……ふふっ」
「なんだよ?」
「いや。何でもない」
箒はそう言って、早速話に混ざりに行く。
信も柔らかい表情をして、そのあとをついていった。
「あっ!? 一夏、てめっ! 俺のりんごのタルトを!」
「いや、鈴が早い者勝ちって言うから……箒も選んだらどうだ?」
「ふむ……では私はこのモンブランをいただこう」
「ええ!? 結局俺は残り物かよ! ……でもこれはこれでうまそうだな……」
「あ、そのシフォンケーキ、一番人気と書いてありましたわ」
「そうなの!? あたしそれにすればよかった! ずるいわよ、信!」
「なぁ、シャルロット。日本のコトワザでこういうものがなかったか?」
「えっと……『残り物には福がある』だね、多分」
いつまでもこんな時間が続いてくれれば、と箒は思った。
そして、それは全員が願っていることだった。
楽しい時間はまだ続く……。