十七話
ルーマニアにある、とあるビルの中。
執務室と思われる場所に、ひと組の男女がいた。
「ご苦労だったねえ、ミス神崎。さすがは期待のルーキーだ」
「ありがとうございます」
少しばかり腹の肉が出始めた中年の男は、実に機嫌が良さそうに笑っている。
対して、小学生にも見間違われそうなほど小柄な少女は、能面のような無表情を貫いて端的な礼だけで対応している。
両者の空気はとても対極で、なにがこの状況を作ったのかは二人だけの知るところだ。
「任務が他にもありますので、私はイギリスに帰ります」
「そうかそうか。若いのに忙しくて大変だろうが、世のため人のために尽力してくれたまえ!」
「はい、失礼します」
最後に礼をして、さっさと退出する少女。
やかましいほどの笑い声は、扉を閉めてもまだ聞こえていた。
「まったく・・・話が長いのよブタ署長っ」
先程までとはうって変わって憎らし気に顔を歪め、悪態をつく。
ズンズンとあからさまな不機嫌っぷりを周囲にアピールしつつ、廊下を歩く。
左右に垂れた長いツインテールが、ピョンピョンと跳ねていた。
怒りに頬を染めて歩く様は、どちらかと言えば微笑ましさを覚えるものだった。
「ミス神崎、お迎えのヘリが到着しています。荷物を纏めてポートにお越しくださいとのことです」
「わかってるわよ!」
報告に来ただけの職員にまで当たり散らし、仮宿となっている部屋のドアを蹴破る。
少ない荷物を引っ掴んでキャリーバッグに詰め込み、さっさと階段を登っていく。
元いた場所が最上階だったため、屋上に出るには階段しかないのだ。
屋上に続くドアも同様に蹴り破って、途端に体を打つ激しい風に目を細める。
離陸の準備をとっくに済ませたらしいヘリは、プロペラを回転させながら乗客をひたすら待っていた。
傍に二人の黒服姿の男がいて、直立不動で少女を見据える。
「お迎えにあがりました。局からは一刻も早く帰国するようにと言付かってります」
「あっそ」
だからどうしたと言わんばかりの態度で乗り込む少女。
そんな態度に動じることなく、黒服の男達も同乗した。
扉を閉め、ゆっくりと離陸していくヘリ。
しばらくビルの上空で滞空したのち、ヘリは空港に向かって飛び立った。
「それでねママ、そこのブタ署長がアタシの手柄全部かっさらっていったのよ!」
「あらあら、またなの?」
アタシの言葉を聞いて、ママは眉を潜めた。
けれど、その顔にはどこか諦めというか呆れみたいな感情がある気がした。
「でもアリアが何もしないからよ? ちゃんと自分で言えばいいのに」
「う・・・」
そしてそれがアタシに向けられている事も、もう何回も繰り返したことだった。
「き、貴族は自分の手柄をむやみに誇示しないものよ!」
「だからって他人が偽りの功績を肥やしにするのを見過ごすの?」
「うぐ・・・!」
周りに言えば馬鹿にされて、ママに言えば正論で返される。
他の奴なら一発撃っちゃえば黙るけど、ママにそんなこは出来ない。
いつもは笑顔が眩しくて優しいママだけど、起こった時はすっごく怖い。
小さい頃にマリアといたずらした時だって・・・・・・
「・・・・・」
「アリア? どうしたの?」
「あ・・・ううん、なんでもない」
手を振って否定するけど、きっとバレバレよね。
今から行く場所が場所だから。
「そんな顔して行ったら拗ねちゃうわよ? 武偵になって初めて行くんだからしっかりしないと」
少し茶化すようにニッコリ笑ってママは言う。
そう、前は三日に一回は行ってた場所。だけど武偵になってからは忙しくて行けなかった。
気がつけばもう一年が経ってた。
あの事件からは、もう八年になる。
「そうよね、あの子が悔しがるくらいに自慢しちゃうんだから」
「ふふ、そうね。あの子もあれで負けず嫌いだから」
「うん」
思い出すようにママと笑う。
歩いている道の先、見えてきた門の中に入っていく。
通りとは違って閑散とした空気、人の姿もまばらだ。
ロンドン郊外にある、とある墓地に私達は来ている。
理由は、ここにいる私達の家族に会うため。
ママのもう一人の娘で、私の双子の妹。
八年前に、ある事件で命を落とした、たった一人の犠牲者。
「―――マリア、久しぶりね」
持ってきた花束を墓前に置いて、私はゆっくりと口を開く。
ママは今もしょっちゅう来てるから、私の後ろで見守っててくれてる。
「ずっと来れなくてごめん、私さ、武偵になったんだよ」
武偵の証明でもある武偵|徽章を見せる。私達が目指した夢の始まり。
「しかもSランクよ、すごいでしょ? 周りの皆も凄い速さだって驚いてたんだから」
ホームズ家では欠陥品呼ばわりされていた私達。
でも、私には体を動かす才能はあったみたいで本当に良かった。
中距離でも近距離でも、私より強い奴なんてそうそういない。
「まあホームズ家とは相変わらずなんだけどね。推理が出来ないなら意味ないみたいな態度なのよ、頭が堅くてまいるわ・・・・本当に」
武偵として有用だと示しても何も変わらない。
むしろ何人かに目の敵にされたくらい。
「パートナーもいない出来損ないのくせに〜ってね。なによもう・・・私が悪いんじゃなくて周りのレベルが低いのよ」
私は論理的な説明が苦手だから、いつも行動で示すしかない。
きっとマリアなら出来るんだろうな。私と違って頭がいい子だったから。
「犯人はちゃんと捕まえてるんだからいいじゃないって思うのよね。実績を残してるのに何で信じないのよ」
一人たりとも逃がした事はない。
それを凄い凄いって言うくせに、現場に行ったら誰も信じてくれない。
悔しくていつも一人で捕まえて、周りに証明したくて頑張ったのに。
名前の通りの独唱曲だって言われる。
「あーいうの僻みって言うのよね。自分に出来なくてアタシには出来るからってホント迷惑だわ」
気が付けがアタシは俯き、スカートを両手で握っていた。
おかしいな、いつからこうしてたんだろう・・・・
「どうせ私はカン頼りだし、特攻するしか能のない・・突進娘よ・・・・」
視界が霞んで、目が熱い。きっとママが私の後ろで心配そうに見てる。
それでも、寄ってきたりはしない。きっと全部言わせようとしてくれてるんだと思う・・・
「私だって・・・・好きでこうなったわけじゃないのにっ・・・・・私だって・・・どうすればいいのか分かんないのに!」
つい大声が出ちゃった。
でも、いいよね・・・・今日くらい。
周りに人もいないし、きっと今日だけだから・・・
「ねえマリア・・・・・マリアなら・・・私の感じてること、分かってくれる? 皆にも分かるように説明・・・出来る?」
そっと手を伸ばし、墓石に触れる。
冷たくて、硬い、物言わぬ石だと分かっているけど。
「もしあの時・・・私がマリアと一緒にいてあげてたら・・・・・今も私の隣で・・・」
八年前、どうして手を離してしまったんだろう。
一緒にいたはずだった、手を握ってたはずだった。
綺麗な服に目を奪われて、一人で行ってしまったのが最後の時だった。
こんなはずじゃなかった、なにかの間違いだって何度も思った。
何日も泣き続けて、疲れては眠って、また泣いて。
それでも、どんなに眠っても目覚めても、そばにあの子はいなかった。
『もっといっぱい勉強して、おねえちゃんのぱーとなーになるね』
あの日約束した、武偵になる夢。
どれだけランクが上がっても、どれだけ犯人を捕まえても。
やっぱりそばに、あの子はいない・・・
「ホームズの人間にはパートナーが必要だって・・・マリアも知ってるじゃない。・・・なのになんで・・・私の隣にいないのよ・・・」
ただの八つ当たり。
分かっているのに止められない。
初めて犯罪に対処したとき、本当はすごく怖かった。
訓練とは全然違う、正真正銘の悪意。
向けられる銃口も、殺意も、逃げ出したいくらい恐ろしかった。
それでもなんとか捕まえて、トイレに行ってずっと震えてた。
何度もやって今は慣れたけど、本当は誰かに一緒にいてほしかった。
パートナーと一緒にいる人達が、本当はすごく羨ましかった。
そんな人達に邪魔そうな視線を向けられるのが、本当はすごく辛かった。
お前なんかにパートナーが出来るかって何度も言われて、本当はすごく悲しかった。
任務が終わった直後の現場では、私はいつも一人で立っている。
周りは制圧した犯罪者達、共に戦っているはずの人達はみんな、離れた所で一緒にいる。
どんな時でも、私は一人だ。
「教えてよ・・・マリアぁ。私のパートナー・・・マリアじゃないの?・・・マリアじゃないなら、どこにいるの?」
いつの間にか、縋るように寄り添っていた。
きっと余所から見れば、ただの変な人にしか見えないだろうな。
でも、そんなのどうでもいい。
「アリア・・・」
「ママ・・・」
ひとしきり泣いた私を、ママがそっと抱き締めてくれる。
あったかくて、優しい温もり。
太陽みたいな香りが、私を包んでくれる。
物心ついた時から大好きなママ、マリアも大好きだったママ。
ときどきママを取り合ってケンカもした、どっちが一緒にお風呂に入るとか、どっちが一緒に寝るとか。
今思い出すと笑っちゃうような思い出。
でも今は、二度と叶わない過去。
どれだけ手を伸ばしても、一生懸命走っても、届くことはない。
「ねえママ・・・・本当に、いるの?・・・・・マリアがいない世界に・・・私の・・パートナー」
「ええ・・いるわ、きっといる。 アリアの事を心から理解してくれる、傍で支えてくれる人」
いるなら、早く会いたい。
色んな国に行って仕事をする度に探してる、それでもまだ見つからない。
もしいたとしても、こんな広い世界で見つかるの?
会えたとして、上手に話せるかな?
いつもみたいに上から目線で怒られるかもしれない、嫌われるかもしれない。
お前は周りとズレてるって、また言われるかもしれない。
「会いたい・・・・早く・・・・・会いたいよ」
「必ず会えるわ、いつか・・・きっと」
力強く抱きしめられて、少しだけホッとする。
ママの腕の中にいる時だけ、安心出来る。
「見つけるわ、ママ・・・絶対に見つけてみせるから」
「ええ、頑張ってアリア。私の大切な娘」
最後にもう一度ギュッって抱き合って、そっと離れる。
涙でママの服を汚しちゃって、申し訳ない気持ちになる。
それでも気にせず笑ってくれるから、私も笑えるんだ。
目元に残った雫を拭って、墓に向き直る。
「情けないこと言ってごめんねマリア、聞いてくれてありがとう。アタシ絶対に負けないから、いつかきっと、マリアを殺した犯人を捕まえて、ここで泣いて謝らせてやるんだから!」
そうだ、絶対に負けるもんか。
まだ犯人は分かっていないけど、そいつがいる組織は分かっている。
その目的も拠点も謎の、凶悪な犯罪者集団。名前はイ・ウー。
どれだけ強いか知らないけど、アタシの家族を奪ってタダで済むと思ったら大間違いよ。
絶対に全員牢屋にぶち込んで、地面に額擦りつけて謝罪してもらうわ。
「また来るね、マリア。今度はもっと楽しい話が出来るようにするわ」
立ち上がって、深呼吸する。
いつになく気力がわいてくるような気がして、俄然やる気が出てきた。
「ママ、行きましょう」
「わかったわ、じゃあねマリア」
並んで墓を後にする。
ママの手を自分から繋いだら、笑顔でそっと握り返してくれた。
これも本当に今日だけ。
もう子供じゃないんだから、これで最後にする。
顔が笑っているのを感じながら、私達は墓地を出た。
「神崎かなえさん、ですね」
「え?」
不意に、横からかけられた声。
同時に振り向けば、そこには三人の黒服の男。
立っている姿を見ただけで直感する、一般人じゃないと。
それどころか、かなりの凄腕だ。
咄嗟にママを庇うように前に出る。
犯罪者じゃないのは空気でわかるけど、いったい何の用があってママを訪ねたの?
「そうですけど、あなた方は?」
「私達はロンドン武偵局の者です。貴方を迎えに、いえ、拘束するために来ました」
「なっ!?」
一瞬、何を言っているのか理解出来なかった。
ママを拘束? 何で?
「何を言ってるのよ! 何でママが捕まらなきゃならないのよ!!」
「神崎武偵、これは局からの命令です。邪魔をすれば公務執行妨害となります」
「くっ!」
思わず噛みつきそうになる。
出来ることなら今すぐこいつらを叩きのめしたい。
そう思ったとき、ママが私の肩を掴んだ。
「ママ?」
「何故私が拘束されるのか、理由をお聞きしても?」
「いいでしょう」
そう言うと、男の一人が一枚の紙を取り出した。
それを私達に見せるように広げる。
そこには、裁判所と武偵局の名において、ママを拘束する許可を示す内容と、その理由が書かれていた。
その理由を読んだ瞬間、私の頭は真っ白になった。
「神崎かなえ。貴方には盗窃、傷害、殺人、暴行、またはそれらに類する数百もの嫌疑がかけられています。 よってイギリス最高裁判所とロンドン武偵局の許可のもと、貴方を逮捕します」